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第二章 ―― KANATA概況

KANATA総督管区は北米大陸の北部に位置し、大陸を横断する形で広がっている。南はアメリカ合衆国に接し、首府はオンタリオ州ドロンド市。


北東端および周辺のいくつかの島嶼は直轄領として区分され、本土が直接管理する。


面積は莫大だが、KANATAは人が少ない。人口はおよそ二千万人。

住民の多くは大西洋へ注ぐ河川沿いに集中し、最西端の河口にも一定数の集住がある。その他は中央部に点在する程度で、ほとんどが無人地帯だ。


軍は東西の沿岸線と、合衆国と共有する長大な国境線に沿って配置されている。


最新の世論調査では、住民の半数が王国に好意的。

しかし同時に、六割近くが「変化」を肯定しており、その傾向は年々強まっている――。


……妥協は避けられない、か。


制度をいじれば、貴族勢力が反発するのが常だが――


(そもそもKANATAに貴族なんているの?)


いても、せいぜい少数だろう。


「現総督は……」


イリサは「現状」の欄を追った。


現KANATA総督、キング・マッケンジー(King・Mackenzie)。六十六歳。地元ドロンド大学を卒業後、本土で政府職員となり、二十年以上の経歴を経てKANATA総督に任命。就任は二十一年目。管区の行政は、彼と十数名の閣僚によって運営されている。世界大戦ではKANATAを参戦へ導き、本土からの大規模移民を整理し都市化を促進。大恐慌期には財務大臣ジョージ・スミス(George・Smith)の進言により介入政策を採用し、社会安定を維持――。


(父王が言っていた「協力者」ね。確かに頼れそう。でも……二十年以上権力の中心にいる人が、改革を素直に受け入れる?)


総督本人だけでなく、家族関係まで記載されていた。


「息子はオックスフォード卒でロンドン勤務……」


本土に家族がいるなら、少なくとも彼がこちらに牙を剥く可能性は低い。

――人質、という言い方は悪いが。


KANATAの概要を確認したイリサは、今度は自分の論文に視線を移した。


白紙とペンを取り、要点を抜き出していく。


現行体制との最大の差は、二院制の復活だった。

上院と下院――17世紀の内戦以前のイングランド王国に近い形。


下院の定数は選挙区数と同数。

ただし議員は、合衆国のように単一選挙区・単純多数制による普通選挙で選ぶ。


その上に上院を置く。

学者や、行政経験の深い人物を指名して入れる。


改革で職を失い不満を抱きそうな官僚は――補償として、ここに回せばいい。


さらに上に、総督と内閣。


KANATAの内閣は当面、現体制を継承する。必要が出れば、両院から新任を選ぶ形にする。


(今はいじらない。まずは協力が要る)


だが――。


(彼らは誰に忠誠を誓う? 私は王家の人間だ。でも、KANATAで実権を握ってきた現総督のほうが“上”だと判断されるかもしれない。もしそうなら、私は飾り……)


何もしなくていい暮らしは楽だ。

ただ、「やらない」のと「できない」のは別物だ。


緊急事態が起きたとき、飾りは自分の身さえ守れない。


護衛隊は同行するが、せいぜい十数名。


(私だけの部隊があればいいのに……)


KANATAにおけるイリサの権威は、本土の王室――つまり国王に支えられている。

キングと現内閣は、彼女の重要な支え手だ。


だが戦争などで本土と断絶し、支援が届かなくなったら?

そのときは、内閣の忠誠が決定的になる。


もしそこで彼らが不穏な動きをしたら――。


(内閣の改組は必要。忠誠の向け先を、私に固定しなければ。全員更迭? 無理。代わりがいない。なら……新規メンバーを少しずつ増やして、影響力を薄める?)


もちろん、手段はそれだけではない。


(彼らと良好な関係を築くなら、キングを“窓口”にするのが早い……)


イリサは紙に線を引き、「総督」と「内閣」を結ぶ。

さらにその中間から別方向へ矢印を伸ばし、「首相」と書いた。


(これでいける。……ただ、彼が退いたら?)


下院がある以上、政党が生まれる。

ならば下院多数党の党首を首相に据えれば、人物の見通しも立つ。


宣伝と、水面下の調整(必要なら)で、親英派を勝たせるのは難しくない。


(首相は数年ごとに入れ替わる。総督は簡単には動かない。内閣は――誰に付くのが得か、理解するはず)


こうして構図は、

総督――首相――内閣。

その下に、上院と下院。


次は議会の役割。


下院に立法権を与え、議会と内閣の全員に法案提出権を認める。

ただし法案は下院で三読会を経て、上院へ送付。上院で審査・承認された後、最後は総督が裁可する。


(私に不利な法案は、多くの場合、官僚や貴族にも不利。なら上院で止まる)


たとえ否決されても、責められるのは上院――自分ではない。

……よし。


イリサは満足げに頷いた。


自由派への「譲歩」にはなる。

だが、急進的提案が法律化する危険は抑えられる。


最高裁などは、現行どおり総督が任命すればいい。


イリサはあくびを噛み殺し、筆を置いた。

寝室の掛け時計を見ると、すでに午前二時を回っている。


(今日は日曜で助かった……明日、現総督に連絡しよう)


――その日の午後。

イリサはKANATA総督キング・マッケンジーに電話を入れた。


「もしもし。マッケンジー卿でいらっしゃいますか?」


受話器の向こうから、年配特有の穏やかな声が返る。


「ああ、久しぶりだね、イリサ殿下。覚えておいでかは分からないが――失礼ながら、あなたもここへ“流されて”来るのかな?」


イリサは眉をひそめた。


「……失礼ですが?」


「失敬」


キングは軽く咳払いする。


「KANATA総督の引き継ぎでね。代々の不文律みたいなものなんだ。前任も私にそう言った。前任の前任も……。だから私も、一度言ってみたくてね。気にしないでくれ」


「……」


「黙られると困るな。殿下が電話をくださったのは、事前の段取りが必要だからだろう? 先ほど電報で届いた書類は拝見した」


「父王は、KANATA自治領の政治制度に一定の改革を加えるおつもりです。お話は届いているはずですが……ご意見を伺えますか?」


イリサは探るように訊ねた。

自分の論文を教授が目の前で読む時の、あの落ち着かない感覚が蘇る。


「私個人としては構わない。そもそも、私は以前から引退の準備をしていた。本土にも話は通してある。問題は官僚たちがどう受け取るかだが……彼らに手を付けないなら、ひとまずは」


イリサは見えない相手に、思わず頷いた。


「特別な理由がない限り、私は人事には触れません。むしろ現状維持のつもりです。上院については、学者や経験者を指名したい。名簿の作成に協力していただけますか?」


「もちろん。閣僚に推薦させよう。それから――KANATAにも世襲貴族はいる。本土ほどの力はないが、名の通った者を数名入れておけば、顔を立てられる」


「それは良い案です」


イリサは受話器を握り直す。


「もう一つ、お願いがあります」


「聞こう」


短い逡巡ののち、彼女は言った。


「私は間もなくあなたの職を継ぐことになりますが、経験が不足しています。正直、自信がありません。ですから総督とは別に、同格の“首相”職を新設したいのです。……あなたは引退の意向と仰いましたが――申し訳ありません。もうしばらく、私を支えていただけませんか」


息を止めて返答を待つ。


「殿下にそこまで言われては、断れないな」


キングは小さく笑った。


「辞表は何度も出していたが、今回急に認められて驚いたよ。ついさっきまで、引退後に何をするかで悩んでいたくらいだ。なら残りの時間で、ゆっくり考えることにしよう」


「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」


予想していた結果とはいえ、イリサの胸には素直な感謝が満ちた。


「気にしないでくれ。下院選挙の詳細は、君がこちらへ来てから詰めよう。それまでに新版の『英領北米法』の草案を起こし、本土の審議に回すよう手配しておく」


「承知しました。六月末までにKANATAへ向かいます。それでは、途中で何もなければ――その時に」


「再会を楽しみにしている。KANATAへようこそ」


通話終了の音が鳴り、イリサは受話器を置いて大きく息を吐いた。


これで、段取りは整った。


白髪の少女は椅子にもたれ、伸びをする。


(本土にいられる時間も、カウントダウンね……)


両親に伴って海峡の向こうへ渡ったことは何度かある。

だが、自分がこの大陸を離れる日が来るとは思わなかった。


しかも、あの遠いKANATA。

他国の言語では「彼方」という意味もあると聞く。


名は体を表す、か。


(どんな所なんだろう。……まさか一面、農村ってことはないわよね?)


都市を見られるのは、今が最後の機会かもしれない。


(なら、今のうちに外へ出よう!)


イリサは再び受話器を取り、別の番号を回す。


「クレア? 街へ出かけたいの。――当然、あなたも付き合ってくれるわよね?」

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