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行間③

夜十時を回っていたが、公共安全部の庁舎内、特殊事件部門の執務エリアはいまだに明かりが灯っていた。

新任の部長、ランス・コートは、濃紺の警察制服を背に掛けた椅子に身を投げ出し、天井から下がるシャンデリアを虚ろな目で見上げていた。


「どさっ」


彼の目の前で高く積み上げられていた書類の山が崩れ、机を覆うようにして、彼の身体と床の上に降り注いだ。


紙の角が首元に当たってちくりと痛んだが、今の彼には、その忌々しい書類をどかす気力すらなかった。


(くそ……役所の仕事は楽だって聞いたから、この任命を受けたのに。なんでこんなことになってるんだ……!)


そんな心の叫びを漏らしても、頭上のシャンデリアは当然ながら何の反応も示さない。


(はあ……このシャンデリアも、俺と同じで気の毒だな。こんな時間まで残業とは)


シャンデリアに共感している時点で、この部長がすでに思考を放棄しかけていることは明らかだった。


そのとき、突然ドアが開き、ランスはびくりと肩を震わせた。身体の上に載っていた書類が床へと滑り落ちる。


ドア口に立っていたのは、腕いっぱいに書類の束を抱えた部下だった。


「部長(Sir)、こちらが本日の最後の集会申請です。これまでと同様、時間と場所を調整し、互いに衝突しないよう再配置しております。ご確認のうえ、不反対通知(書)に押印をお願いいたします。……部長、大丈夫ですか?」


散らかり放題の机と、虚ろな目をした上司を見て、彼は儀礼的に声をかけた。


スーツにネクタイ姿の若い部下は、この光景に特別驚いた様子もなかった。むしろ、部下という立場で仕事を片付けねばならなければ、自分もとっくに床に倒れていただろうと思うほどだった。


「……ああ、問題ない。ご苦労」


上司の唇が力なく動いたのを確認すると、彼は手にしていた書類の束を、比較的安定していそうな書類の山の上に置いた。数秒間じっと見つめ、崩れないことを確認してから、部屋を後にした。


「カチャ」


ドアが閉まる音とともに、部屋には再びランス一人だけが残された。


ようやく彼は大きくため息をつき、身体を起こして机の上の書類を見つめた。


間近に迫った選挙に関連する集会申請と、それに対応する不反対通知(書)は、いくつもの山を成し、中には崩落しかけているものもある。


通常であれば、どの政府機関であっても、ここまでの光景はまずあり得ない。ましてや、設立されて間もない部署にとっては、異常中の異常だった。


(くそ……全部、キンのやつが突然選挙なんて言い出したせいだ。デモや集会なんて、やらせたいなら勝手にやらせて、警察に冷却対応させればいいだけだろ。しかも、選挙関連は全部許可って上が言ってるのに、なんでこんな無意味な審査手続きを残してるんだ……面倒くさい)


ランスは心の中で悪態をついた。仕事の内容自体は、部下が作成した書類を再確認し、押印するだけだ。しかし、短期間にこれほど大量の書類が流れ込めば、さすがに神経をすり減らす。


もちろん、審査の重要性が分からないわけではない。もし、これらの団体が事前連絡もなく勝手に街頭に出れば、長時間にわたる大規模な交通麻痺を引き起こしかねない。たとえ上層部が「原則すべて許可」と言っていても、時間や場所の調整を行い、警察部門と連携する必要がある。


そもそも、キンが選挙を実施しなければ、この部署自体が設立されることもなく、自分が部長になることもなかったのだ。


いくら文句を言っても、目の前の仕事が減るわけではない。


すでに処理済みの書類を無視し、ランスは新たに届けられた申請書類に目を通し始めた。


やがて、彼は眉をひそめた。


中には、名前を見ただけで過激な主張が伝わってくるような団体が含まれていたからだ。たとえば「左翼連合戦線」「カナタ人民党」など。以前なら、まったく表舞台に出てこなかったはずの存在が、今では雨後の筍のように堂々と現れている。


もっとも、申請されている集会の予定人数はいずれも多くはなく、大きな問題にはならないだろう、と彼は自分に言い聞かせた。


理論上は、選挙前にこうした極端な政党を排除することも可能だ。しかし、上層部はあえてそれをしていない。おそらく、それは一種の自信なのだろう。


さらに言えば、単一選挙区制のもとでは、こうした小党が議席を獲得する可能性はほぼない。


自分がどの党の候補者に投票するかについては、ランスはとっくに決めていた。


安定した今の生活を維持したい――その思いから、彼は保守党に投票するつもりだった。


(妻もたぶん同じだろうな……だが、ドロンド大学に通っている息子は分からない。夕食の席で、どの教授が啓蒙思想の遺産をどうこう語っていた、なんて話をよくしているし……別の候補に入れるかもしれないな)


だが、最終的な選挙結果については、ランスにはおおよその見当がついていた。同僚から、政府が保守党候補を資金面で支援しているという話をすでに聞いていたからだ。それに加え、公式の新聞やラジオは、大恐慌期における現政権の果断かつ英明な対応を繰り返し取り上げている。


しかも、わずか一か月後に選挙を実施するとなれば、反対派は準備不足のまま打たれることになるだろう。


もしこれが合衆国であれば、すでに大規模な抗議デモが発生していたはずだ。


だが、ここはカナタだ。政府はあらゆることに介入する権限を持っている。


ランスは再びため息をつき、机の上に置かれた、王立騎馬警察の徽章が表紙に刻まれた黒い手帳を手に取った。


申請書を見ながら、申請者の個人情報と団体名を、一つ一つ書き写していく。量は多いが、これもまた彼の仕事の一部だ。


――なにしろ、これらの情報が、いつ役に立つか分からないのだから。

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