02.門出
窓からこぼれる光に、静かに目を覚ます。
まだ眠たいけれど、今日だけは遅刻するわけにはいけない。そう思い、俺は重い体を起こした。
トントンと小気味よい音が静かな家に響き渡る。肉が焼ける香ばしい匂いにつられて階段を降りていくと、母が台所で野菜を切りながら、軽やかなリズムをまな板に刻んでいた。
「もう少しで馬車が来るわよ。急いで急いで」
そう言いながら、俺を席につかせる。
今日の朝食はいつもと違い、彩り豊かだ。
昨日、村の人達から島を出ることを祝してたくさん野菜をもらっていたから、それらを使ったのだろう。
そんなことを考えながら、一番取りやすい場所にあった肉に手を伸ばし、自分の皿に乗せた。
「いただきます」
しばらくの間、母の手料理を食べれなくなると思うと、自然と声が出る。
「いただきますできるなんて...本当に大人になったのね」
肉から目を上げると、母は目に涙をにじませていた。
俺は黙々と食べ進め、母はそんな俺を見守る。
昨日までと何かが違うようで、何も変わらない。そんな朝。
朝食を食べ終わり、昨晩まとめた革製アタッシュケースを手に取る。
心配性の母がいらなそうなものまで詰めて入れたので少し重く、膨らんでいた。
「なにか困ったことがあったら、ハトで知らせるんだよ」
「うん、わかったよ」
そう言いドアノブに手をかける。
「行ってきます」
※※※※※※
家を出るとすぐに、馬に繋がれた大きな客室のようなものが待機していた。客室には綺麗に手入れされた扉と窓が取り付けられていて、その質素なたたずまいが、かえって華やかさを際立たせている。
「これが馬車か...」
今まで馬車を見たことはなかったけど、想像していた形とあまり変わらない。
御者であろう馬にまたがる細身の男性と挨拶を交わして、客室の扉を開ける。中には先客が一人いた。
「おはよう、フィル」
「おはよう。遅いよ」
金細工がわずかに施された内装。その優美さに驚きながら、自然とフィルの隣に座る。同時にゆっくりと馬車が走り出した。
教会を横切り、村をぬけ、道に沿って進むと一面田んぼが広がっている。ゆったりとした自然の風景をながめながら、落ち着いた時間を過ごす。
互いに話題もないので口を開かないけれど、長い間時間をともにしているフィルとは、このような時間も不思議と苦じゃない。
馬車に乗って小一時間が過ぎた頃、丘を登りきり、頂上から目的地の港町が見えた。
「あれが港か……」
そう思った途端、胸の奥に小さな引っかかりが生まれ、この馬車に違和感を覚える。
「この馬車全然揺れないな」
道はでこぼこしているはずなのに、キャビンは常に地面に対し水平を保ち、振動を感じさせないのだ。
「たぶん、これはキャビンにかけられている魔法の効果だよ。今日のために神父様が大陸から取り寄せた一級車らしいから、乗る人が快適に過ごせるようになる魔法をかけられていても不思議じゃない」
「なるほど...魔法ね」
森での魔法の練習を通して気づいたことだが、俺には魔法の才がないらしい。
フィルの指導を受けながら挑んだが、簡単な魔法でさえ、一度として成功しなかった。
数日前、小石をかすかに動かせたと思った瞬間もあった。しかし、石の下のアリが動かしていたと知り、俺の魔法剣士への夢は音を立てて崩れた。
それ以来、魔法らしきものを感じるたび、フィルに尋ねることにしている。
「俺も剣に炎を纏わせたりして戦いたいよ...」
「魔法なんていいじゃないか。カイは力が強いし、反射神経も良い。それに―――」
そんな会話をしていたら、いつの間にか港町エリアに入った。
石造りの家が建ち並び、ほのかに潮の香りがする。
人の行き来が激しく、馬車が進む先では人が割れ、通り過ぎた途端、その隙間を埋めるように人が流れ込む。
いくら小さな島とはいえども、一日で走って一周できるほど小さくはない。村からそう遠くへ離れたことのない俺達は、初めての光景に目を奪われた。
「目的地に到着いたしました」
御者がそう言い、キャビンを出ると、視界いっぱいに人の波が広がる。肩越しにぶつかる人々、ざわめき、香る食べ物や香水の匂い。
高すぎる人口密度に少し気持ちが悪くなってきた。
表情に出ていたのか、フィルがにやりと笑いながら言った。
「いったん人混みを抜けようか」
フィルの動きは慣れたもので、すいすいと人をかき分ける。俺はその後ろにくっつき、なんとか抜け出すことができた。
「ほっほっほっ。人混みは苦手かね?」
抜けた先で、聞き慣れた声が響く。
声の主に顔を上げると、神父が立っていて、そのすぐ隣には見知らぬ男が立っていた。歳は四十代後半ぐらいだろう。
無精髭をたくわえ、右手には義手のようなものをつけている。背中に携える大人の身長ばかりある大剣や鋭い目つき、筋肉質の体格から、ただ者ではない雰囲気が漂う。
神父は俺の視線に気づいたのか、ゆったりとした口調で紹介する。
「こちらはわしの旧友であり、今回おぬしらをクルメン王国の王都まで運ぶ船を指揮してくださるウィール・マリナス船長じゃ」
船長は腕を組み、鼻で笑うように言った。
「船長のマリナスだ。初めての船で調子乗って海に落っこちないようにしろよ」
「フィル・グレイです。この度はよろしくお願いします」
「俺はカイ。よろしく」
簡単な挨拶を交わしたものの、それ以上言葉は続かず、場に短い沈黙が落ちた。
俺はその沈黙を誤魔化すように辺りを見回し、船長の船を探す。
港には船が何隻も停まっているのに、目の前には広い空き地のような場所しか見えないからだ。
「ところで船長、どの船に乗るんだ?似たようなみための船が多いみたいだけど...」
船長の視線の先、空を見上げると巨大な船がゆっくりと降下してきた。まるで空を裂くように、迫力を伴って。




