第96話:そういえば最近洗脳してないな……
申し訳なさそうに頭を下げるシセリーさんに見送られ大聖堂を後にした俺たちは、そのまま学園への帰路についていた。
まだ午前中の早い時間帯だが、ここからどこかへ遊びに行こうって気分にもなれない。陰鬱とした気持ちを抱えたままじゃ、ルーグも俺も楽しめないだろう。
「ロザリィ、大丈夫かな……。無理、してたよね……?」
「…………ああ」
ロザリィは、治せるはずがない病に侵された人々への治療を強要されている。その人々の死を背負わされ、救えなかったのは全て自分の信仰心が足りないせいだと思い込まされている。
まるで洗脳だ。
マリシャス枢機卿は、ロザリィを使い潰そうとしているようにしか見えない。
ロザリィの体には既に異常が出始めていた。味覚障害や手の震え。ストレスと過労によって、彼女の心身は悲鳴を上げている。おそらくそう遠くない内に、ロザリィは限界を迎えてしまうはずだ。
……そうなる前に、何とかしてあげたい。そう、思いはするのだが……。
「ボクたちに出来ることって、あるのかな……」
「とりあえず、シセリーさんの頼みを聞くくらいだな……」
ただ、ルーカス王子にロザリィの置かれている状況を知らせたとして、ロザリィを取り巻く状況が改善されるとは考えづらい。リリィの時と違って、ルーカス王子のメリットにならないからだ。
現状、教会勢力はスレイ殿下に近い。教会内部のいざこざや聖女の破滅は、ルーカス王子にとってはむしろ歓迎すべき内容だ。これを機にスレイ殿下と教会が距離を置くようになれば、スレイ殿下を王位継承権争いから蹴落とせる可能性だってあるかもしれない。
もし、ルーカス王子が黙殺を選んだとしたら、俺は……。
学園に戻り、俺たちはその足でアリッサさんを探した。幸いにもアリッサさんは教員宿舎で見つかって、さっきの出来事を説明しルーカス王子への取次ぎを頼む。
「夜会が終わって以降、殿下は積極的に貴族との繋がりを強めてるッスからねぇ。すぐに会える保証はないッスよ? ……あと、教会のいざこざに王家が介入ってのも良くないッスから、期待はしない方が良いッス」
「……それでも、お願いします」
「了解ッス。くれぐれも勝手な真似はしちゃダメッスからね?」
アリッサさんは俺たちにしっかりと釘を刺してから、ルーカス王子に事情を知らせるべく王城へ向かってくれた。返事は早くても夕方頃になるだろうか。
とりあえず昼食を学食で済ませ、午後からは部屋で過ごす事にした。部屋でやる事と言えば勉強くらいだが、どうしてもロザリィの事を考えてしまって集中できない。ルーグも俺のベッドにノコノコさんを抱えて寝転がり、物思いに耽っている様子だ。
結局、たいして勉強も進まないまま時間だけが過ぎて行った。
ルーカス王子からの返事が来たのは、窓の外に朱色が見え始めた頃だ。アリッサさんからの「今夜、いつもの時間と場所に集合ッス」という簡素な手紙を、領の管理人さんが届けに来てくれた。
どうやら、ルーカス王子はさっそく会ってくれるらしい。アリッサさんの口ぶりでは忙しそうにしていたはずだが、何はともあれありがたい。ルーグと相談して、招集には俺だけ向かう事にした。
夕食を終えて指定された時間まで部屋で待っていると、誰かが部屋の扉をノックする。時刻は19時過ぎ。こんな時間に誰だろうか……?
扉を開けると、立っていたのはイディオットだった。
「珍しいな、こんな時間に」
「……夜分遅くにすまない。少しだけ時間を貰えるだろうか。……出来れば、二人きりで話したいのだが」
俺の後ろで様子を伺っていたルーグをチラリと見て、イディオットは俺と二人きりで話したいと提案する。イディオットの表情は、どこか思い詰めたものに見えた。何やら事情がありそうだな……。
「わかった。ごめん、ルーグ。少しイディオットと話してくる。留守番頼めるか?」
「うんっ、いってらっしゃい」
手を振るルーグに見送られ、俺はイディオットと共に部屋の外へ出た。向かったのは3階にあるイディオットの私室。侯爵家待遇のイディオットは、俺とルーグが暮らす部屋の二倍の広さがありそうな大部屋に一人で暮らしている。
ベッドや装飾品、絨毯に至るまで俺たちの部屋とは比べ物にならない豪華仕様だ。……ただ、広すぎて一人で暮らすのは寂しいだろうな。
「ソファに座って待っているといい。すぐに茶を用意しよう」
「いや、そこまで気を遣われると怖いんだが……。この後予定もあるから、早めに本題に入ってくれると助かる」
「そうか……。時間を取らせてすまなかった」
イディオットは謝罪の言葉を口にして対面のソファに腰を下ろす。……なんか調子狂うな。イディオットのこんな殊勝な態度は見た憶えがない。
「何かあったのか?」
わざわざ二人きりで話したいという内容だ。表沙汰には出来ず、尚且つ俺に関連する何かだろう。
出来ればろくでもない悩み相談とかであって欲しいが……。
「……今日、父上に呼び出されたのだ。そこで、レクティ嬢の誘拐を手伝えと命令された」
「…………は?」
自分でも驚くほどに冷たい声が出た。イディオットは狼狽えるように俺から目を逸らし、「すまない」と頭を下げる。
「レクティ嬢の恋人である君が怒るのは当然だ。父上に代わり謝罪させてくれ」
「そんなもん要らねぇよ。それより、お前はその命令を聞き入れたのか?」
「そんなわけがないだろう……!」
俺の問いにイディオットは語気を強める。
「この僕がレクティ嬢を傷つけるような真似をするわけがない! もちろんその場で断った。僕がこの話を君に伝えているのは、父上たちの計画を阻止するために君に力が必要だと判断したからだ」
「……そう、だよな。悪い」
イディオットに謝り、感情の高ぶりを抑えるために大きく息を吐く。一度冷静になろう。少し考えれば、イディオットがレクティに危害を加える計画に加担するはずがないって気づけたはずだ。
イディオットもテーブルに置いてあったピッチャーからコップに水を注いで一息に飲み干す。
とりあえず、まずは話を聞こう。全てはそこからだ。