第92話:リリィ on ICE
もちろんレクティとのダンスタイムがいつまでも続くはずがなく、音楽は十分も経たずに鳴りやんでしまった。周囲を真似て一礼し、レクティをエスコートしてリリィたちの方へと戻る。
「お帰りなさい、レクティ。見てたわよ」
「楽しそうだったね、レクティ」
笑顔のリリィとルーグに出迎えられ、レクティは「はいっ」と嬉しそうに頷く。
「緊張しましたけど、ヒューさんが一緒だったので! すごく楽しかったです!」
「それは何よりね。ヒューもお疲れさま。なかなか斬新で独創的なダンスだったわ」
「それ、遠回しに下手糞って言ってないか?」
「ひねくれないの。こういう場は楽しんだもの勝ちなのよ? 正直、レクティが少しばかり羨ましかったわ」
そう言ってリリィは自嘲するかのような寂し気な笑みを浮かべる。ダンスをあれだけ嫌っていた彼女から、まさか羨ましいなんて言葉が出て来るとは思わなかった。
「じゃあ、次はリリィの番だね!」
「えっ? いえ、私は……っ!」
「いいからいいから」
「ちょっ、ちょっとルーグっ! やめなさい……ってレクティまで!?」
ルーグはぐいぐいとリリィの背中を押して、俺の方へ近づけて来る。抵抗しようとするリリィだったが、レクティにまで加勢されて俺の前に押し出された。
「ヒュー、リリィと踊ってあげて?」
「リリィちゃん、楽しんだもの勝ちです!」
「も、もうっ!」
リリィは赤く染まった顔を隠すように左手で覆いながら、もう片方の手を控えめに俺へ差し出してくる。ダンスは死ぬほど嫌がっていたはずだが、ルーグとレクティに背中を押され腹を括ったらしい。
リリィが勇気を出して一歩を踏み出したんだ。応えなきゃ男じゃないよな。
「俺と一緒に踊って頂けますか、お嬢様?」
レクティの時と同じように片膝をついて、リリィの手を取って尋ねる。
「えぇ! どうぞ宜しく!」
リリィの返事はどこか投げやりな感じで、彼女の心情が伝わってきて思わず吹き出しそうになった。普段の淑女然としたリリィとギャップが感じられて面白い。
「……でも、私がヒューと踊るとなるとレクティの相手はどうするべきかしら。ルーグが目立ちすぎるのも良くないでしょうし……」
俺たちの周囲では、レクティのダンスパートナーに立候補しようと何人もの若い貴族たちが遠巻きに隙を伺っている。彼らは俺とリリィが離れればすぐにでもアタックを仕掛けて来るだろう。
「こういう時にイディオットが居れば任せられるのだけど……」
「そう言えば見かけてないな」
てっきり今日の夜会にも来るかと思っていたんだが、イディオットの姿は大広間のどこにもない。
「あ、あのっ。わたしのことは大丈夫なので、お二人はダンスを楽しんできてくださいっ!」
「そうは言ってもな……」
過保護すぎるかもしれないが、第二第三のイディオットが現れても面倒だ。とは言え、俺が何度も何度もレクティと踊るわけにもいかないし、どうしたもんか。
リリィと揃って頭を悩ませていると、ふと周囲のざわめきが大きくなるのを感じた。続いてこちらに近づいて来る足音が一つ。振り返れば、ピンクのドリルツインテールを揺らした少女がこちらにぶんぶんと手を振りながら駆け寄って来る所だった。
「レクティ! 先ほどのダンスとっても楽しそうでしたわ! 次はわたくしと踊りましょうですのっ!」
「ろ、ロザリィさん!?」
聖女ロザリィ・セイントはしゅばばっと駆け寄って、レクティの両手を掴んだ。
目を白黒させていたレクティはハッと意識を取り戻し、そんな彼女に問いかける。
「あの、わたしダンスを踊ったことがなくて……」
「それは見てればわかりますわ。わたくしもダンスなんて初めてですの。さっきもお相手の殿方の足を七度も踏んでしまいましたし!」
「えぇぇ……」
「だから心配無用ですわ!」
そう言ってニッコリ微笑むロザリィに、レクティは「別の心配が……」と足元に視線を落とす。まあ、二人とも〈治癒〉が使えるから大丈夫…………って話でもないな。
というかそもそも、
「こういう場でのダンスって同性同士もありなのか?」
「普通は無しだけれど、良いんじゃないかしら。あなたとレクティの自由っぷりで何でもありって雰囲気になっているし、……ほら。国王陛下も笑っていらっしゃるわ」
リリィに釣られて視線をステージ上へ向けると、国王陛下は俺たちの方を見て愉快そうな笑みを浮かべていた。こうしてみると、子供を見守る父親って感じだ。
「俺、陛下はもっと怖い方かと思ってたよ」
「……いいえ、怖い方よ」
リリィは短く答え、俺の手を引いて歩き出す。俺はリリィの後ろに続きながら、空いている手を無意識に首元へと伸ばして、首と胴が繋がっているか確認してしまった。
具体的に何がどう怖いのかリリィは教えてくれなかったが、だからこそ色々な想像を掻き立てられて恐ろしい。
……考えるの、やめとこ。
気を取り直して、今はリリィとのダンスを楽しもう。
向かい合って一礼し、互いの手を重ね合わせる。
「先に言っておくけど、本当に下手だから笑わないでちょうだいね? あと体力もないからすぐに息切れするわ。それからリズム感も壊滅的で音楽に乗って体を動かすって感覚がわからなくて」
「そこまで予防線張らなくてもいいんじゃないか?」
「だって……。貴方に嫌われたくないんだもの……」
リリィは顔を伏せ、ポツリと呟くように言う。俺に聞かせるつもりじゃなかったかもしれないが、あいにく今の俺のスキルは〈忍者〉だ。強化された聴覚は一言一句聞き逃さない。
「馬鹿だな。ダンスが下手なくらいで俺がリリィを嫌いになるわけないだろ」
「……足を踏んでも怒らない?」
「それはちょっと怒る」
「もぅっ!」
冗談だよと笑っている内に音楽が始まった。リリィは本当にダンスが苦手なようで、なかなか一歩を踏み出せない。俺が先に動いて軽く手を引くと、ようやく遅れて動き出す。
さっきは自由にステップを踏んで舞い踊っていたレクティに俺が引っ張られる形だったが、リリィとのダンスは俺がリードしなくちゃ成立しない。まるで普段と真逆だから面白い。
「あのピュリディ侯爵令嬢が踊っているぞ!」
「踊……れてるのか?」
「あぁ、揺れているだけでも美しい……」
「相手の男は何者だ?」
リリィのダンス嫌いはやっぱり知れ渡っているようで、俺たちは存外注目されてしまっているようだ。音楽に合わせてちょっとだけステップを踏んで体を揺らしているだけだが、それでもリリィの魅力的な容姿は様になっている事だろう。
「リリィ、大丈夫か?」
「ええ、なんと――かぁっ!?」
言いかけてすぐにリリィは足をもつれさせてひっくり返りそうになる。
それを咄嗟に手を伸ばして受け止めると、偶然にもなんかそれっぽいポーズが決まってしまった。前世のテレビで見たフィギアスケートのペアの演技でこういう技があった気がする。
ともすればそのまま二人そろってひっくり返りかねない体勢だったが、〈身体強化〉の膂力で何とかリリィの体を引っ張り上げる。そのまま何事もなくダンスに復帰すると、ギャラリーから拍手を貰ってしまった。
「し、死ぬかと思ったわ……!」
「大げさだなぁ」
その後もリリィが転びそうになるたびにフォローし、それをダンスの一環と勘違いしたギャラリーから拍手を受けるという謎の時間がしばらく続いたのだった。