第91話:どうにでもなれーッ
ルーカス王子の治療を終え、俺はスキルを〈忍者〉に切り替えて大広間に戻った。ルーカス王子は何食わぬ顔で再び貴族たちに囲まれている。
〈聖女〉スキルでの治療はあくまで痛みを緩和する程度でしかない。しばらくしたらまた激痛が彼を苛むはずだ。けど次は限界になる前に撤収すると言っていたから、心配しなくても大丈夫だろう。
ルーグとリリィを探すと、元居た場所で変わらず立っている二人の姿を見つけた。
「あっ! ヒュー、お帰りっ!」
「ただいま、ルーグ」
いち早く俺に気づいて声をかけてくれたルーグに答えつつ、「お帰りなさい」とどこかホッとした表情を浮かべたリリィから預けていたグラスを受け取る。
「持っててもらって悪かったな」
「いいえ。それよりも、大丈夫? 酷い顔色だけど」
「あー……、まあ問題ない」
心配してくれるリリィの問いに短く答える。
……実際は問題しかないのだが。
レクティが国王陛下に使った〈浄化〉に病を治す力はなかった。〈浄化〉は体内の魔 (異物のような何かだろうか?)や毒などを取り除く力。それはつまり、国王陛下の体調不良がそれらに起因していた事を意味している。
『おそらく父上は、以前から何者かに毒かそれに近しい何かを盛られ続けていた。しかも、回復系スキルに反応して容態が急激に悪化するように仕組まれた物を少しずつね』
『もしあのまま陛下が亡くなっていたら……』
『明らかに聖女のスキルで容態が悪化していたから、神授教……いや、聖女への責任追及は避けられなかった。少なくとも、王家と神授教の仲は過去最悪の状態になっていただろう。そこに加えて内戦になれば、三つ巴が四つ巴になっていた可能性だってあるだろうね。神授教に呼応して周辺諸国が侵攻して来るシナリオもあり得た』
あの場にレクティが居なかったら。ルーカス王子との会話を思い出して、その可能性を改めて考えると身の毛がよだつ。何より恐ろしいのは、いったい誰が仕掛けた罠だったのかがわからない事だ。
会場を見回す。国王陛下はステージ上で王妃様や年齢が近いだろう貴族たちと談笑している。だけどあの中に犯人が居る可能性もあるんだよな……? それを考えると、貴族たちや王妃様の笑みすら作り物に思えて仕方がない。
……ダメだな。疑いだしたらキリがないし、ルーカス王子からも俺を動かすつもりはないと言われている。
その気になれば犯人の特定は出来そうだが、ルーカス王子の指示を無視してまで動く必要はないだろう。こんな闇深案件、自分から顔を突っ込んで得するとは思えない。
この事はとりあえず考えないようにしよう。その方が絶対に良い。
しばらくルーグとリリィと話しながら軽食をつまんでいると、夜会の会場に流れる音楽が少しアップテンポな曲に変化した。それを聞いたリリィが露骨に顔を顰める。
「始まったわ、地獄の時間が……」
「そこまでダンス嫌なのかよ……」
夜会に参加しているのは男性の貴族だけじゃない。貴族の夫人やご令嬢も大勢居る。歓談の時間は終わり、ここからはダンスのお相手探しをする時間らしい。
リリィの美しさに惹かれて何人かの若い貴族がこちらへ近づいて来ようとしたが、リリィに睨まれてすごすごと退散していく。どうやらリリィのダンス嫌いはそれなりに知れ渡っているようで、しばらくしたら誰もこちらへ近づいて来なくなった。
一方で、人気を集めているのはやはりレクティとロザリィだった。レクティはもちろんのこと、ロザリィも奇抜な髪形をしちゃ居るが顔立ちが非常に整った美少女だ。二人にはダンスを申し込むために大勢の若い貴族が集まっている。
ちょっとヤバそうだな……。ルーカス王子はスキルの副作用でダンスを踊る余裕はないし、ピュリディ侯爵は既婚者で娘と同い年のレクティをダンスに誘うわけにはいかない。
「行ってあげて、ヒュー」
「レクティのことお願いね?」
「……わかった」
やっぱりそうするしかないよなぁ……。
ルーグとリリィに背中を押され、レクティの元へ向かう。
「レクティ」
「ひゅ、ヒューさんっ!」
貴族に囲まれておろおろしていたレクティは、俺の存在に気づいてパァッと表情を明るくする。慣れないドレスで駆け寄って来た彼女が転げかけたため、慌ててその体を抱きとめた。
「大丈夫か?」
「は、はいっ」
レクティは頬を赤くして照れ笑いを浮かべる。とりあえず怪我は無さそうでよかった。
不可抗力とは言え抱き合うような形になってしまった俺たちに……というか俺だけだな、レクティ目当てで集まった貴族から睨まれているのは。〈忍者〉スキルで強化された俺の耳には「またお前か」「恥知らずの田舎者め」などと蔑みの声が届いて来る。
甘んじて受け入れよう。これからしばらく、俺がレクティを独り占めするのだから。
ゆっくりとレクティから離れ、左手を右胸に添えながら片膝をつく。この所作が正しいのか正直わからないが、それっぽいなら問題ないだろう。
「リリィ、あれ求婚する時の――」
「しーっ。面白いから見守ってあげましょう」
……どうやら致命的に間違ったらしい。もうどうにでもなれ。
右手をレクティに向かって差し出して、尋ねる。
「俺と、踊って頂けますか?」
「は、はいっ! 宜しくお願いしまひゅっ!」
レクティは元から赤かった顔をさらに赤くして、恐る恐るといった様子で差し出した手を取ってくれる。俺は立ちあがって、レクティと手を繋いだままダンススペースにエスコートした。
「あ、あのっ、ヒューさんっ。わたしダンスを踊った経験が一度もなくてっ、上手く踊れなかったらごめんなさいっ!」
「安心してくれ、レクティ。実は俺もこういう場所で踊った事は一度も無いんだ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ。だから不格好なダンスをさせてしまうかもしれない。本当は俺がリードすべきなんだけどな……、ごめん」
「いいえっ。むしろそれを聞いてホッとしちゃいました。不格好なダンスでも、ヒューさんと踊れるなら楽しみですっ」
「……っ、そ、それはよかった」
肩の力を抜いて柔らかく微笑んだレクティに、思わず心臓がどきりと飛び跳ねる。……俺のバカ野郎っ。
音楽が切り替わり、ダンスタイムが始まる。俺たちは周囲に倣って一礼し、互いの手のひらを重ね合わせた。緩やかな曲調の音楽に合わせ、ゆっくりと動き出す。
ステップも何もない。ただ体を揺らして、ちょっと歩いて回ったりして。周りの貴族たちの動きを真似たりしながら、二人で音楽に身を任せてみる。
傍から見れば、俺たちの動きは何とも不格好で、見るに堪えない事だろう。だけどそんなことはどうでもいい。
「ふふっ。楽しいですね、ヒューさんっ!」
「そうだな、レクティ」
レクティは心の底から楽しそうな笑みを浮かべ、自由に舞い踊っている。
俺はそんな彼女に歩調を合わせながら、この時間が少しでも長く続けばいいのになんて思ってしまったのだった。