第90話:俺、聖女になります。
「王子っ!」
崩れ落ちたルーカス王子に慌てて駆け寄ると、彼は額に脂汗を浮かべ荒い呼吸を繰り返していた。
「すまない、すぐそこの部屋に運び込んでくれるかい……?」
「失礼します」
俺は王子の腕を肩に回して抱きかかえ、指示通りに近くの部屋へと運び込む。そこは王城に数ある応接室の一つだった。念のため内側から鍵を閉め、ルーカス王子をソファに寝転がらせる。
ソファに仰向けに寝転がった王子は、左腕を目に押し当てた。
「ありがとう、ヒュー。少しばかり強引ではあったけど、おかげで助かった。よく気づいたね……?」
「何となく、無理をしているように見えたので。それに初めて会った日に言ってたじゃないですか、目隠しすればある程度は力を抑えられるって」
それはつまり、目隠しをしなければ力を抑えきれないという事だ。目隠しを外したルーカス王子の目には、見たくもない情報が津波のように押し寄せていたに違いない。その負荷は激痛となってルーカス王子を苛んでいたんだろう。
気づけて良かった。もし〈忍者〉スキルに切り替えていなければ、ルーカス王子の些細な変化に気づけなかった。あのままやせ我慢を続けて貴族の相手をしていたら、いずれルーカス王子は倒れてしまっていたはずだ。
「あまり無茶はしないでください。ルーグが心配します」
「……そうも言ってられないよ。今日の夜会は、千載一遇のチャンスだからね。これほどまでに貴族が集まる機会はあまりない。……それこそ、父上の葬式くらいのものさ。ここで無茶をしなければ、到底王座なんて手に入らない」
「どうして、そこまで……?」
「さあ、どうしてだろうね?」
ルーカス王子は口元に曖昧な笑みを浮かべる。俺になら真意を話してくれるかもしれないとピュリディ侯爵は言っていたが、どうやらルーカス王子にそのつもりはないらしい。
だけど、心なしか照れ隠しに見えるのは俺の気のせいだろうか……?
「わかりました。けど、そのままじゃ夜会には戻れないでしょ。レクティを呼んできます。スキルで癒して貰えば、少しは痛みも引くはずです」
「……いいや、それはダメだ。君がレクティ嬢を夜会から連れ出せばより怪しまれてしまうよ。ただでさえ強引に僕を夜会から連れ出したんだ。これ以上は注目されるべきじゃない」
「だったら――」
「君が癒せばいいじゃないか」
「………………はい?」
「君がスキルを切り替えて〈聖女〉にすればいい。そしたら、レクティ嬢と同じことが出来ると思うんだけど、違うかい?」
「あー……」
その発想はなかった。確かにそれならわざわざレクティを呼びに行く必要はない。
でも、ちょっと待て。
「〈聖女〉ですか……? せめて〈聖人〉とか〈聖職者〉とか……」
「聖人は神授教の敵と戦って殉じた聖騎士に与えられる称号だし、聖職者はただの神授教での役割だろう?」
……言われてみればそうか。〈聖人〉や〈聖職者〉に癒しの力がありそうって思うのは、俺が前世のゲーム知識を持っているからだ。この世界の認識では、聖人や聖職者という役割に治癒のイメージはないのだろう。
〈忍者〉スキルを実際に使えている事から、どちらかと言えば一般常識より俺のイメージの方がスキルに反映されているような気もするが……。とは言え、たしかに〈聖女〉スキルに切り替えた方が確実かもしれない。
……でも大丈夫だろうか。〈聖女〉に切り替えた瞬間に体が女の子になっちゃったりしないだろうな……?
〈洗脳〉スキルは可能性が未知数過ぎて、試すのが正直怖い。
「ヒュー、すまないがあまり悩んでいる暇はないよ。ピュリディ侯爵が守ってくれるとは思うけど、残してきたレクティ嬢に貴族たちが群がっているかもしれない」
「……わかりました」
躊躇っていても仕方がないか……。もし体に変化があったとしても、スキルを切り替えればまた元に戻ってくれる……はずだ。
念のため〈忍者〉スキルで室内や廊下の気配を探り、誰も居ない事を確認してから手鏡を取り出して自身にかけていた〈洗脳〉を解除する。
「ヒュー・プノシス。お前のスキルは……〈聖女〉だ」
かちり、と頭の中で何かが切り替わったような感覚があった。
俺は咄嗟に顔、胸、股間を順番に触って普段との違いを確かめる。…………よかった、女の子になってない!
念のためステータスを確認すると、スキルは問題なく〈聖女〉になっている。どうやら体が女である必要はないようだ。
スキル:聖女Lv.Max ……癒しと浄化を司り、魔を払う力を得る。
スキル説明はシンプルだからこそ強力なパターンか。他のスキル同様、〈聖女〉スキルがどこからどこまでを可能にするのか感覚的に把握する。とりあえず、ルーカス王子の治療には〈治癒〉を使えば良さそうだな。痛みを緩和する効果もありそうだ。
「どうやら上手く行ったようだね。さっそくだけど、宜しく頼むよ」
「了解です。〈治癒〉」
俺はルーカス王子の目の辺りに右手をかざしスキルを発動させた。すると淡い黄緑色の光が手から溢れて、ルーカス王子へと吸い込まれていく。
「これでダメージは回復するはずです。あくまで応急処置ですが」
「構わないよ。……ところで、ヒュー。君には〈聖女〉スキルが何をどこまで可能とするか感じ取れているのかな……?」
「ええ、まあ。意識すれば何となくですが……」
「なら、レクティ嬢が父上に使った〈クレンズ〉について教えて欲しい。レクティ嬢に尋ねたら『何となく、これなら国王様を助けられると思いました』としか答えてくれなくてね。どうやら自分の力を把握できていないみたいなんだ」
自分の力を把握できていない……?
もしかして、レベルによってスキルへの理解度が異なるんだろうか。
……いや、むしろ逆かもしれない。
スキルへの理解度が、レベルとして表示されているとか……?
なんにせよ、〈浄化〉か。効果は言葉そのままに、体内の魔や毒素を取り除いて綺麗にする力だ。毒や寄生虫に効果があって…………。
……おい、ちょっと待て。頼むから、待ってくれ。
どうして〈浄化〉に、病を治す効果が含まれていないんだ!?
「……ヒュー、教えてくれるかい? 父上が本当に、病気だったのか」