第89話:ピュリディ侯爵「最後尾こちらです!」
確かな意志を感じさせる、ルクレティアと同じ紺碧の瞳。ルーカス王子はしっかりと目を見開き、ドレスに慣れておらず動きづらそうなレクティをエスコートして階段を下りてくる。それは目が見えていなければとても出来ない所作だった。
陣営問わず大勢の貴族が集まったこの夜会で、そのカードを切った。レクティのためなんかじゃなく、おそらく初めからそのつもりだったんだろう。さすがとしか言いようがない。
その効果は抜群で、ルーカス王子とレクティが着席した後も貴族たちのざわめきは収まらない。
「もしかして、レクティがルーカス王子の目の治療を……!?」
「ううん、たぶん違うと思うよ」
ルーグはルーカス王子のスキルを知っていたんだろう。ルーカス王子の瞳はスキルによってとっくに視力を取り戻している。レクティは何もしていないはずだ。
けど、これじゃリリィがそう思ったように、レクティの〈聖女〉スキルによって視力が回復したように見えてしまう。
……それも、あの人の狙い通りか。視力だけが回復したように見せかけて、スキルの存在を隠すことが出来るから。
「静まれ」
会場に威厳のある声が響き渡り、貴族たちは一斉に口を噤んだ。国王陛下が玉座から立ち上がり、言葉を発したのだ。
「今日はよくぞこの場に集まってくれた。儂の快気祝いという名目ではあるが、久々の夜会だ。最後まで楽しんで行くがよい」
国王陛下は宰相のプライム侯爵からグラスを受け取り、それを掲げて見せる。
「皆も知っておった通り、儂は長年病に苦しめられてきた。一時は死の淵に立ったほどだ。だがこの通り、今は病から解放されこの場に立つことが出来ている。それは偏に、ここに居る二人の聖女の献身によるものだ」
玉座の後方に着席していたロザリィとレクティが起立して前に歩み出る。ロザリィが堂々と歩くのに対し、レクティは緊張でガチガチだった。転げないか冷や冷やしたが、何とか無事に国王陛下の横に並び立つ。
「神授教の聖女ロザリィ・セイント。そして〈聖女〉スキルを授かりし乙女レクティ。儂の命を救い、この国の危機を救った二人の聖女と、この国の輝かしい未来に――乾杯」
国王陛下の乾杯の合図とともに、貴族たちはグラスを掲げてから口をつける。俺は念のため飲む素振りだけして、同時にルーグの手を掴んでジュースを飲ませないようにしつつ、周囲の様子を伺った。
急に苦しみ出したり、モンスターになったりする参加者は居なさそうだ。
「やっぱり躊躇しちゃうわよね」
俺と同じように周囲を観察していたリリィが苦笑する。まあ、レチェリーがモンスターになる姿を見ちゃうとどうしてもな……。
「ヒュー、もう飲んでいい?」
「ああ、急に悪かったな」
ルーグは不思議そうに首を傾げていたが、俺が手を離すとグラスに口をつけて一息にリンゴジュースを呷って「ぷはぁ」と息を吐く。そんなにすぐ飲んで、トイレに行きたくなっても知らないぞ……。
国王陛下の乾杯の挨拶が終わり、夜会が歓談の時間になると貴族たちは一斉に動き出した。ステージ上の国王陛下へ挨拶に向かう貴族や、ステージから降りたスレイ殿下とロザリィ、ルーカス王子とレクティたちの元へ向かう貴族がせわしなく動き回る。
音楽隊がゆっくりとした優雅な曲調の音楽を奏でては居るが、様相はまさに戦争だ。ピュリディ侯爵も「これは忙しくなるぞ……!」と気合を入れて群衆の中へ突撃していった。
会場の隅から人の流れを見ていると、国王陛下の元へ向かう貴族三割、ルーカス王子とレクティの元へ向かう貴族五割ってところか。明らかにこの場で注目を集めているのはルーカス王子だ。やっぱり、瞳を見せたインパクトは大きかったらしい。
元々、視力さえあれば次期国王候補の最右翼だったって話だからな。素質を感じていても視力を懸念してルーカス王子を支持していなかった貴族は多いんだろう。その問題がクリアされた事で、一気に支持が広がろうとしている。
一方、スレイ殿下とロザリィの元へ集まった貴族はあまり多くない。それもほとんどが、元々スレイ殿下の陣営に属していた貴族たちだろう。その数にしても、貴族中心に支持を集めていたはずのスレイ殿下陣営にしては少ない気がする。
幾人かは国王陛下への挨拶に向かっただろうとは言え……、
「お父様が抜けて、陣営の引き締めに手が回っていないのね。そのあたりは、お父様の得意分野だったもの」
「と言うか、もしかしてピュリディ侯爵が忙しそうにしてたのって……」
「ふふふっ」
事情を知っているだろうリリィは多くを語らず愉悦の笑みを浮かべる。そりゃレチェリーと共謀していたスレイ殿下を、ピュリディ侯爵が許すわけないわな……。
今にして思うと、前の夜会でピュリディ侯爵がスレイ殿下に助け舟を出したのは、殿下に罪が及ぶ事で陣営が瓦解しパワーバランスが崩れるのを防ぐ意味合いがあったんだろう。
国王陛下の体調が回復し情勢が安定した事でその心配はある程度取り除かれた。つまり、もう遠慮する必要はないってわけだ。
ピュリディ侯爵はルーカス王子の元へ集まる貴族たちを巧みに誘導して列を形成させている。なんか握手会みたいになってるな……。
ルーカス王子は柔和な笑みを浮かべ、一人一人と言葉を交わしていた。その隣でレクティは表情を強張らせている。貴族たちから何か話しかけられている様子だが、ほとんど受け応えは出来ていないようだ。その辺は上手くルーカス王子がフォローしてくれている。
「ルーカス殿下のおかげで何とか大丈夫そうね」
リリィはホッと息を吐いて微笑む。今のところレクティにいきなり求婚を申し込むような馬鹿は現れていない。ルーカス王子が注目を一手に引き受けてくれているおかげだな。
そう思いながらもう一度ルーカス王子に視線を向け、俺はある事に気が付いた。
「すまん、リリィ。ルーグのことを頼む。ちょっとルーカス王子に用事が出来た」
「えっ? 急にどうし――ちょっとヒュー!?」
リリィにグラスを預け、俺はルーカス王子の元へ向かった。杞憂ならそれで構わない。だけど、もしそうじゃなかったら……。
「ルーカス殿下!」
俺は列に並ぶ貴族たちの脇を通り抜け、ルーカス王子の目の前で片膝をつく。
「プノシス領領主、マイク・プノシスの息子ヒューと申します! 領地経営に関する事柄で殿下にご相談があります! 何卒お時間を頂けないでしょうか!」
頭を垂れた俺の耳に聞こえてくるのは、律儀に列へ並んでいた貴族たちからの非難の声だ。
「なんだこの若造は!」
「プノシス領だと? 聞いたことがないな」
「北東部の辺境貴族だ。おい、場を弁えろ田舎者め!」
まさに非難轟々。罵詈雑言が俺に向かって投げかけられる。レクティがムッとして立ち上がりかけ、ピュリディ侯爵も俺を庇うためかこちらに近づこうとする。それよりも先に、ルーカス王子が言葉を紡いだ。
「良いだろう。プノシス領は王都から最も遠い辺境の地だ。王都に住む僕らには想像も出来ないような困難や悩みを抱えているに違いない。だからこそ、次期国王を目指す僕はそれを知る必要がある。……済まないが後を頼むよ、ピュリディ侯爵」
「はっ! お任せください、殿下」
「ヒュー・プノシス君だったね? 少し別室で話そう。ついてきなさい」
「はいっ!」
俺の即興劇に応じたルーカス王子に促され、彼の後に続いて大広間を後にする。
しばらく城内の廊下を歩き、やがてひと気が無くなった頃。
「ぐっ……」
ルーカス王子は頭を手で押さえながら、
――その場に崩れ落ちた。