第84話:リリィ「計画通り……?」
「お、お邪魔しております、ピュリディ侯爵閣下」
「うむ。楽にしたまえ」
対面のソファに座ったピュリディ侯爵は、俺の挨拶に平然と答える。……いや、なんで対面に座るんだよっ! どうして毎回ここへ来ると気まずい時間を過ごさなきゃいけないんだ……っ!
心の中でツッコミを入れつつ、味も香りもわからなくなった紅茶で喉の渇きを癒す。
どうしてこんなにも緊張してしまっているのかと言えば、それは目の前に居る人物がリリィの父親でもあるからだ。
『お父様にもいずれは挨拶をしてもらうからそのつもりでね、旦那様?』
レチェリー公爵邸からの帰りの別れ際、リリィにそう言われたのを思い出す。まだ未来がどうなるかなんてわからないが、否が応でも意識せざるを得なかった。
さすがに今ここで挨拶するわけではないが……。
「ごほんっ。あー、ヒュー君。この前は、娘を助けてくれてありがとう。改めてお礼を言わせてもらうよ」
「い、いえ。自分は何もしていません。リリィを助けたのはルーカス王子ですから」
もはや定型文になりつつある返しをしてしまう。レクティにはまた謙遜しすぎだと怒られそうだけど、さすがにピュリディ侯爵相手に俺が助けましたと胸は張れない。
「たしかに殿下には、娘だけでなく私やピュリディ家のために方々で手を尽くして頂いた。それは間違いじゃない。だが殿下から、娘を助けるよう頼んでくれたのは君だと聞いているよ。礼を言うのが遅くなってしまって済まなかったね」
「いえ、とんでもありません」
俺が頭を下げるとピュリディ侯爵は柔らかく微笑んだ。侯爵は紅茶が注がれたカップを口に運ぶ。俺も倣って紅茶を飲もうとしたのだが、
「ところで、君は娘をどう思っているんだね?」
「ぶふっ」
口に含みかけていた紅茶を再び噴き出す羽目になった。ゲホゲホと咽ながら侯爵の顔を伺うと、どこか茶目っ気のある笑みを浮かべている。狙ったのか、この人……っ!?
リリィが時折見せる茶目っ気は父親譲りだったらしい。
「ど、どうとはどういう意味でしょうか……?」
「どんな意味でも構わないよ。王立学園での娘の交友関係を知りたいと思うのは親として当然だろう?」
……そう言われるとまあそうかもしれないが。
ソファの横に立てかけてある剣がどうしても視界の端から消えてくれない。その気になればすぐに抜ける位置へ置いてあるのがなんとも……。
いちおう学園を出る前にスキルを〈忍者〉に変えたから、逃げようと思えば逃げれなくはないのだが……。
「リリィ……嬢にはいつも大変お世話になっています。本日も国王陛下の快復を祝う夜会へ着て行く服を用立てて頂いていまして。俺の衣装に関しては侯爵閣下のお下がりという事でしたが……」
「リリィは妻に似て気立てが良いからね。センスや社交界での立ち回りもばっちりだ。安心して任せておくといい。私の服も実はリリィが選んでくれたものなんだよ。妻に領地経営を任せて離れて暮らすようになってからは、リリィが何かと面倒を見てくれていたんだ」
「そう、なのですね」
……リリィのお母さん、生きてたのか。リリィに似た美人な才媛なんだろうな。
「娘は少し気難しいところもあるけど、父親の私から見ても才色兼備の素晴らしい令嬢に育ってくれた」
「はい、その通りだと思います」
「だからもし君がリリィを娶りたいと思っているのなら、相応の格を得てからで頼むよ」
「はい…………はい!?」
いきなり何を言い出したんだこの人!?
俺が目を剥いて驚いていると、侯爵はどこか寂しそうに眉尻を下げる。
「娘から届く手紙にね、日に日に君の話題が増えているんだ。妻から鈍感だのニブチンだのと散々言われてきた私でも、さすがに察してしまうよ」
「あー、なるほど……」
リリィの奴、父親への手紙にいったい何を書いてるんだよ……っ! なんか着実に外堀も内堀も埋められて行っているような気がしてちょっと怖い。
「ヒュー君。君が娘を憎からず思ってくれている事は察しているよ。でなければ、幼馴染だからなんて理由であそこまで必死に娘を助けてはくれないだろう?」
「いや、その……」
リリィを異性として意識し始めたのは助けた後の事で、本当に幼馴染だから助けたんだけどな……。今それを言っても信じてはくれなさそうだ。
「誤魔化さなくてもいい。ルーカス殿下からは君の話も聞いているからね。君は随分と殿下に買われている。殿下が王になれさえすれば、君は相応の地位を得られるだろう」
「そうだと良いんですが……」
俺の目標はあくまで悠々自適なスローライフだ。過労死した前世を省みて、今回の人生は人里離れた田舎でのんびり暮らしたいと考えている。
その目標は今も変わっていない。だけど最近は少しばかり欲張りになっている自覚もあって……。
ルーグやリリィ、それからレクティも。彼女たちと楽しく暮らせる未来があるのなら、今は全力でそれを目指して良いんじゃないかと思っている。
それに必要なら地位を得ることもやぶさかではないのだが、だからこその懸念もある。
「ルーカス殿下が信用できないかい?」
「い、いえ! そういうわけでは……」
俺の心情を見透かしたようなピュリディ侯爵の問いに、俺は言葉を濁してしまった。
しくじったな……。
ピュリディ侯爵は今やルーカス王子派閥の筆頭だ。誤解や疑心を持たれてしまったかもしれない。
「いいや、それでいい。あの方と付き合うなら疑ってかかるくらいが丁度いいと私も思っているからね」
「そうなんですか……?」
「だって胡散臭いじゃないか」
そんな身も蓋もない理由で……。
派閥の筆頭からも胡散臭いって思われてるのか、あのお義兄様は。
「殿下としても自分を妄信する臣下ばかり望んではおられないのだろう。私や君のように警戒心を持っている家臣をむしろ重用されている節もある。それにどうも、君にはどことなく特別な感情を抱かれているご様子だった」
「と、特別な感情ですか……!?」
おいそれってもしかして……いやいやまさかそんな。でも思い返してみるとボディータッチが多かった気が……。マジか……。
「君がルーカス殿下を信じる限り、殿下は君を裏切らない。それは私が保証しよう。どうか最後まで、殿下を信じてあげてくれ。彼は君が思っている以上に、普通の少年なんだ」
「普通の少年……?」
あれが普通か? と疑問に思わなくはないが……。
そう言えば、リリィは幼い頃ルクレティアと互いの家を行き来するほどの仲だったと言っていたな。もしかしたらピュリディ侯爵は幼少期のルーカス王子を知っているのかもしれない。
俺が信じる限り、王子は俺を裏切らない……か。
思えば俺は、あの人のことを何も知らない。
「気になっている事があるんです。ルーカス王子は、どうして国王になりたいんでしょうか」
王子だからただ漠然と国王を目指しているわけじゃないはずだ。何か国王にならないと成し遂げられない目標や野望があるんだろう。
何となくなんだが……。ルーカス王子を見ていると、俺と似た考え方を持っているような気がするんだよな。国王になるより、もっと気楽な立場を好みそうというか。
「私も一度それとなく尋ねてみたら上手くはぐらかされてしまったよ。だけどもしかしたら君になら、殿下は話してくれるかもしれないね」
ピュリディ侯爵はどこか昔を懐かしむような柔和な笑みを浮かべる。
俺になら……。
今度どこかで二人きりになったら、思い切って聞いてみよう。特別な感情とやらにはいちおう気を付けつつ……。