第83話:噴き出したら戻らないと言って目指したのは
「二人とも、この後の予定は何かあるかしら?」
ルーグの失言に眉間を押さえていたリリィが、気を取り直して俺とルーグに問いかけて来る。
「いや、特に何も」
しいて言えば、次の週末に迫りつつある中間テストに向けて勉強をしようと思っていたくらいだ。昨日の夜、先週みたいに王都へ出かけようかとルーグに聞いたら「ヒューは勉強しなきゃでしょ?」とやんわり断られたんだよな……。
何もないと返事をした俺に、ルーグはジト目を向けて来る。ま、まずはリリィの用件だけ聞かせてくれ。
「ならちょうどよかったわ。実はこれからレクティと私の実家へ行こうと思っていたの。二人も来てくれないかしら?」
「リリィの実家に?」
「ええ。国王陛下の快気祝いで何かしらの催しが開かれるのは予想していたから、ピュリディ家がいつも懇意にしている商会を呼んでおいたのよ」
「あ、そっか。ドレスコードがあるもんね」
ルーグがなるほど、と手を打った。あー……、そう言えばスレイ殿下の陣営の夜会に行った時も、ピュリディ侯爵から王立学園の制服じゃ浮いてしまうって言われたな。
式典などの畏まった場では王立学園の制服が正装として使えるが、夜会やパーティなどドレスコードのある催しには制服じゃ適さないのかもしれない。実家が辺境過ぎて父上も滅多に社交界に出ないから、その辺の常識を全く教えて貰ってないんだよなぁ。
「り、リリィちゃん。わたしやっぱりドレスなんて……。似合わないと思うし、お金も……」
「何度も言ってるでしょう、レクティ? 似合うかどうかは実際に着てから判断なさい。お金は後で返してくれれば大丈夫よ。この間の件で国王陛下から報奨金も頂けるでしょうし」
「で、でもぉ……」
ドレスを着ることに抵抗があるのか、それともドレス代を建て替えようとするリリィへの申し訳なさからか。なおも渋るレクティに、リリィはこちらをちらりと流し見て、何やら耳打ちをする。
「(ヒューに可愛いドレス姿を見てもらいましょう?)」
直後、ぼふっという効果音が聞こえてきそうなほどレクティの顔が急激に紅潮した。おいリリィ、いったいレクティに何を吹き込んだんだ……!?
レクティは真っ赤になった顔を両手で覆い、指の隙間からチラリと俺の様子を伺って来る。いったい何をリリィに言われたのか皆目見当もつかないが、本当に大丈夫か……?
「レクティ、嫌なら嫌ってちゃんと断った方がいいぞ……?」
最悪制服でも別にダメって事はないだろうし……。
そう思って声をかけてみたのだが、レクティは小さく首を横に振る。どうやらリリィの説得は成功したらしい。本当に何を言ったんだ……。
「ヒューとルーグも夜会に着て行く服がないでしょう? せっかくだから一緒に用意してしまおうと思うのだけど、どうかしら?」
「それは助かるけど……」
レクティのドレスだけでなく俺たちの正装まで用意するとなれば、それなりの額になるはずだ。レクティが渋っていた気持ちもわかる。ピュリディ家からしたら大した出費じゃないんだろうとは言え、さすがに立て替えてもらうのは……。
というかそもそも、俺の場合は返済の当てがない。実家にそんな金があるとは思えないし、父上に持たせてもらった路銀はもう雀の涙ほどしか残っていなかった。
俺の心情を察したのか、リリィは「大丈夫よ」と微笑む。
「心配しなくても、ヒューの分はお父様のお下がり。ルーグの分はルーカス殿下に後でキッチリ請求するわ」
つまり遠慮は不要らしい。それならリリィに任せて大丈夫そうだ。
「じゃあ、悪いが甘えさせてもらうよ。ルーグもそれでいいか?」
「ふぇっ? あ、うん。宜しくね、リリィ」
「ええ、任せてちょうだい」
リリィはふふんと胸を張る。ルーグがどこか上の空だったような気がするけど、とりあえず俺たちは学園から王都中央区にあるピュリディ侯爵邸へ向かう事にした。
移動手段はアリッサさんの馬車だ。昨日の内にリリィが頼んでくれていたらしく、約束の時間に校門へ向かうとアリッサさんは既に馬車を用意してくれていた。
「ありがとうございます、アリッサ先生」
「いやいや、ルーカス殿下に報告しに行くついでッスからお礼なんて要らないッスよ」
アリッサさんは謙遜してリリィに答えつつ、俺にはニヤニヤと笑みを浮かべて背中を叩いて来る。
「もてもてッスねぇ~。よっ、色男!」
「王国騎士団のノリで背中を叩くのやめてくださいマジで。派手に痛いんで」
痛む背中を押さえつつ馬車へ乗り込み、30分ほどでピュリディ侯爵邸に到着した。帰りも用事を終えたアリッサさんが迎えに来てくれるらしい。
ピュリディ家の屋敷に入った俺たちは、出迎えてくれた使用人さんたちに案内され応接室に通された。ここに来るとどうしてもピュリディ侯爵との気まずい時間を思い出すな……。
「あれ? そう言えばピュリディ侯爵は?」
てっきりこの前みたくリリィを出迎えるのかと思っていたが、今のところまだ姿を見ていない。応接室にも俺たち四人分のティーセットしか用意されていなかった。
「お父様なら留守よ。ルーカス殿下の派閥筆頭として王国中を飛び回っているもの。しばらく帰って来られないんじゃないかしら」
「な、なんか大変そうだな……」
社畜時代を思い出して少し胃が痛くなった。
「手紙を読む限りだと本人はけっこう楽しそうよ? 陣営の構築をルーカス殿下に一任されてやりがいを感じてるんじゃないかしら。スレイ殿下の陣営に居た頃は動きたくても動けないとか外より中に敵が多いって嘆いていたし」
「ああ、なるほど」
どうやらピュリディ侯爵は色々なしがらみから解放されて自由に羽ばたいているようだ。陣営の鞍替えを転職に置き換えて考えると、気持ちは凄く理解できた。
「それじゃ、私たちはさっそくドレスを見てくるわね。ヒューは少しの間ここで待っていてくれるかしら?」
「俺は行かなくていいのか?」
「ヒューの服はお父様のお下がりだって言ったでしょう? この前見た感じだと仕立て直しも必要ないでしょうし、ここでゆっくり待っていてちょうだい」
そう言ってリリィはルーグとレクティを連れて応接室から出て行ってしまう。……俺、何のために連れて来られたんだ?
……まあいいや。ソファに座って使用人さんが淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。この前は緊張でほとんど味も香りも楽しめなかったからな。たまにはのんびりと良い紅茶を楽しむ時間も悪くないだろう。
そう思っていた矢先、
「会いたかったよリリィちゃんっ! 君が帰って来ると聞いてパパ慌てて南部から引き返して…………あ」
「ぶほっ!?」
ピュリディ侯爵が勢いよく現れて、俺は鼻と口から紅茶を噴き出す羽目になった。