第81話:体を拭くシチュを書こうとしたけどWeb版では我慢しました
ルーカス王子との話し合いがひと段落する頃には、すっかり窓の外には西日が差していた。元の部屋へ戻ると、ちょうどそこへ宰相を務めるプライム侯爵が現れた。
プライム侯爵によると、国王陛下の容態は病なんて無かったかのように回復しているらしい。ただ、何日も寝たきりの生活が続いていたため、しばらくは療養に時間を割かなければいけないそうだ。
今回の礼は後日改めてさせて欲しいと、プライム侯爵はレクティに頭を下げた。
「お、お礼なんてそんなっ! わたしは少しお手伝いしただけで……っ!」
「聖女様はレクティ嬢が居なければ国王陛下を救う事は出来なかったと申されていた。謙遜なさる事はない。貴方は救国の英雄だ」
「え、英雄……っ!?」
プライム侯爵からとんでもない異名を付けられて、レクティは目を大きく見開いて絶句する。
まあ確かに、あのまま国王陛下が死んでいたらこの国は内戦に突入していた可能性が非常に高かったわけで、場合によってはリース王国そのものが滅んでいたかもしれない。
プライム侯爵もそれを理解しているから、救国の英雄とレクティを称したのだろう。
「チェンサー、今後の事について話せるかい?」
「もちろんでございます、殿下」
「ありがとう。それじゃ、アリッサ。後の事は任せるよ。ロアンとルクレティアは一緒に来てくれるかな?」
ルーカス王子はロアンさんとルクレティア (に扮するメリィ)を連れて、プライム侯爵と共に部屋を出て行く。残された俺たちは、学園に帰ることにした。
「ルーグ、大丈夫か……?」
「うん。まだちょっとふらふらするけど、平気だよ」
ソファで横たわっていたルーグは、起き上がってこくりと頷く。顔はまだ赤らんでは居るが、さっきより少しだけ元気になったみたいだ。
眠っている間もレクティが何度か〈ヒール〉を使ってくれたようで、それがいい方向に作用したのかもしれない。
レクティの〈ヒール〉は傷だけじゃなくて疲労回復にも効果があるからな。ここ最近は毎朝使って貰っているから、その効果は身をもって知っている。
ルーグをおんぶして (またお姫様抱っこをしようとしたら全力で拒否された)馬車まで連れて行き、王立学園への帰路へ着く。
馬車から王都の街並みを眺めながら何かあるんじゃないかと身構えてしまったが、特に何事もなく王立学園に辿り着いた。
ルーカス王子も今すぐどうなるわけではないと言っていたし、気にしすぎも良くないか。
アリッサさんとは校門前で別れて寮へ向かう。リリィとレクティはルーグを心配して男子寮のすぐ目の前まで付き添ってくれた。
「ルーグさん、大丈夫ですか……?」
「うん。ありがとね、レクティ」
俺の背中にぐったりと体を預けているルーグは、まだ気怠そうな声音でレクティに答える。
「ヒュー、ルーグの事で何かあればすぐに連絡してちょうだい。寮の管理人さんには伝えておくから、エントランスまで来てくれれば大丈夫よ」
「助かる。そっちも大丈夫だとは思うが、何かあれば知らせてくれ」
いちおうルーカス王子からは応援の騎士を何人か派遣すると言われている。アリッサさんも居るし、ひとまず学園内は安全だと考えていいだろう。
とはいえ、いざって時の緊急の連絡手段がないのがもどかしいな。携帯に似た魔道具があればいいんだが……まあ、さすがに無いか。〈洗脳〉スキルを上手く使えば作れそうな気もするけど、下手に手を出していいものか……。
魔道具作成は後で慎重に考えることにして、リリィとレクティとは男子寮の前で別れる。
部屋に戻ってルーグを背中から降ろすと、彼女はふらふらとした足取りで歩いて俺のベッドにボスっと倒れこんだ。
おいおい自分のベッドに……いやまあ、もう実質ルーグのベッドみたいなもんだから良いんだけどな?
とりあえず中途半端な寝相を直して、上から布団をかけてやる。ふと時計を見れば夕食時だ。
「ルーグ、お腹は減ってないか? もし何か食べたいなら学食でパン粥でも作ってもらってくるぞ?」
「ううん、だいじょうぶ……。ヒュー」
「どうした?」
「手、ギュってしてほしい」
微熱のせいか、それとも二人きりになってリミッターが外れたのか。ルーグは布団の中から俺に左手を伸ばす。
ハチミツのようにとろけるような甘い声。赤らんだ頬と濡れた紺碧の瞳は、彼女の幼い顔立ちをよりいっそう際立たせて庇護欲を駆り立てる。
……はっ! 危ない危ない。可愛さのあまりもう少しで意識がぶっ飛ぶところだった。
俺はベッド脇に膝をついて、ルーグの左手を両手で包み込む。
「えへへ。ヒューの手、あったかいね」
「そ、そうか……?」
……あぁ、好きだ。感情が溢れ出してしまいそうになるのを必死に抑え込む。
「ありがと、ヒュー。お城、連れて行ってくれて。ヒューが後悔するって背中を押してくれたから、お父様にも会えて……。もしあのまま、お父様が死んでたら、わたしたぶん死ぬまで後悔してたから、だから……」
「大丈夫、伝わってるよ。お父さんが治って良かったな、《《ルクレティア》》」
「うん……っ」
それだけ伝えたかったのだろう。ルクレティアは安心した表情でゆっくりと瞼をつむる。そのまましばらくすると安らかな寝息が聞こえてきた。
お互い、知らないふりはもう限界なのかもしれない。俺はルーグの正体がルクレティアだと知っていて、ルクレティアも俺がルーグの正体を知っている事を知っていて。
気づいていない振りをしていたのは、お互いに一歩を踏み出すのが怖かったから。踏み出してしまえば、そのままどこまでも走り出してしまいそうだったから。
気持ちを、心を、衝動を。抑え込むには知らないふりをするのが一番だった。
だけど、
「好きだよ、ルクレティア」
彼女の左手を包み込んだ自分の両手を額に当てて、ポツリと呟く。
理屈じゃなくて、論理じゃなくて、ただただ心の底から溢れ出してくるこの感情に、いつまでも蓋をし続けることは難しそうだ。