第46話:時間は第40話の後に遡る
「――レチェリー公爵が人身売買に関与しているとか、ね」
時間は三日前のルーカス王子との密談まで遡る。
ルーカス王子が語った、リリィがレチェリー公爵との婚約を破棄できる正当な理由。リース王国では人身売買は重罪だ。例え貴族であっても国王陛下の名のもとに厳正な処罰が下される。
「それは本当なんですか?」
俺は壁際に立っていたロアンさんを見て尋ねた。ルーカス王子が「どうして僕に尋ねないのかな?」と首を傾げているが気にしない。
「あー……、お前さんが潰した人身売買組織があったろ?」
「ありましたね」
「ちょっと待って、貴方いつの間に何やってるの? 初耳なのだけど?」
リリィが思わずといった様子でこちらを見る。
そう言えば入学試験の日の話はしてなかったな。特に言う理由もなかったし。
「彼と妹が偶然入った服屋が人身売買の誘拐場所になっていてね。妹が誘拐されたのを彼が助けてくれたんだ」
「ああ、それであんなに懐いて……」
ルーカス王子からの簡単な説明で、リリィは唇に拳を当てて合点がいったように呟く。
「話を戻すぜ? 捕まえたその連中を尋問したら、どこかの貴族が誘拐に関与していることが分かった。連中はその貴族が誰かまでは知らねぇみてぇだが、奴らが利用していた湖上輸送のルートはその貴族の口利きで得ていたものだ。その線から調べて行った結果として名前が浮上したのが」
「レチェリー公爵ってわけさ。彼は湖上輸送の利権を持っているからね。ただ、彼も馬鹿ではなかった。現状あるのはあくまで状況証拠。レチェリー公爵が怪しいってだけで、彼の関与を確定させる決定的な証拠はどこにもない。これでは父上に逮捕状を出してもらっても握りつぶされてしまうだろう」
「……つまり、レチェリー公爵が人身売買に関与している決定的な証拠があれば」
「リリィの婚約破棄に正当性を持たせられるってわけか」
「そういうこと。ピュリディ家は事前にレチェリー公爵の人身売買への関与に気づいていた。だから婚約破棄をし関係を断つことで、結果的にスレイ兄上を守った事にする。そうすれば兄上の陣営から文句を言われる事もないだろう。問題はその決定的な証拠をどうやって得るかだけどね」
そう言いながらルーカス王子は俺を見てニッコリと微笑む。……まあ、そうなるよなぁ。
「わかりました。俺が――」
「私が証拠を手に入れてきます」
俺の言葉を遮ってリリィが言う。彼女の表情には悲壮な覚悟が浮かんでいた。
「えーっと、どうやって?」
まさかリリィが言いだすとは思っていなかったらしく、ルーカス王子は苦笑いで尋ねる。
「……証拠があるとしたらレチェリー公爵の私室のはずです。私が彼の誘いに乗れば、入るのはそう難しくないでしょう」
「気の進まない策だね。証拠を得られるとも限らない。あまりにも危険すぎる」
「それでも、婚約を破棄できるのなら……」
「レチェリー公爵と一夜を共にしてもいいと?」
「……蚊に刺されるようなものです」
そう言って泣きそうな顔で強がりながら、俺と繋いだままだったリリィの手は小刻みに震えている。
……ああ、くそ。
お前はどうしてそういつもいつも自分だけで背負い込もうとするんだよ……!
「君も同意見かな、ヒュー?」
「そんなわけないだろ」
「ちょっと、ヒュー!?」
思わず乱暴な口調が出てしまい、リリィが慌てた様子で俺を見る。
「ルーカス殿下になんて口の利き方を!」
「いいんだよ、リリィ嬢。彼の怒りはもっともだ。君はもう少し、人に頼るってことを覚えたほうがいいかもしれないね」
「ぇ……? あ、はい……」
ルーカス王子からまさか自分が諫められると思っていなかったのだろう、リリィは困惑した様子で頷く。
「さて、ヒュー。リリィ嬢は自分の身を犠牲にすれば証拠を掴めると言っているけど、君ならもっと簡単に証拠を得ることができるかな?」
「今すぐにでも、取って来いと言われれば行ってきますよ」
「それは心強いね。だけど今すぐに行く必要はないよ。狙うなら明後日の日中がいい。翌日の夜会に向けた準備で大勢の出入りがあるだろうからね。夜よりも警備が手薄になるはずだ」
「なるほど……」
明後日はたしか、ちょうど学園も休日だったな。日中からレチェリー公爵の屋敷に侵入するのは問題ない。ルーグを一人で待たせてしまうのがやや心配ではあるが……。
「ヒュー、貴方まさか、一人でレチェリー公爵の屋敷に侵入する気なの……? き、危険すぎるわ! 貴方にもしものことがあれば、私は……っ!」
「言っておくが、そう思ってるのはお前だけじゃないからな? 俺だってリリィに何かあれば悲しいし苦しくなる。怒り狂っちまうかもしれない。だから俺が行く。俺のスキルなら誰にも気づかれずにレチェリー公爵の屋敷に侵入できるはずだ」
「そうかも、しれないけれど……。せめて誰かもう一人くらい……」
リリィは視線を彷徨わせ、ロアンさんを視界に収める。
見つめられたロアンさんは肩をすくめた。
「俺には無理だぜ? 真正面から乗り込むならともかく、気づかれちゃいけねぇ隠密任務にゃ向いてねぇよ。……あー、なぁに安心しな、ピュリディの嬢ちゃん。実際にやりあったわけじゃねぇが、ヒューの強さは本物だぜ? ごろつきとはいえ人身売買組織を一人で、しかも誰一人殺さず無力化してるしな。皆殺しにするよりずっと難しいことをしてやがる。忍び込んで証拠を探すくらいなら余裕だろ。なぁ、ヒュー?」
「ええ、まあ」
ロアンさんにそこまで言われるとちょっとむず痒いな。リリィを納得させるためにリップサービスをしてくれたのはわかっているんだが……。
王国最強の騎士のお墨付きを得てようやく安心できたのだろうか。リリィは俺の手を握り締める力を少しだけ緩める。
「本当に大丈夫なのよね……?」
「さすがにそろそろ信じてくれていいんじゃないか?」
「信じるのと心配しないのは別よ。あなたにもしものことがあれば、悲しむ女の子が最低でも三人居るってこと、忘れないでよね……?」
「あ、ああ。とんでもない女たらしに聞こえるのは気のせいか……?」
「気のせいじゃなくて事実でしょ?」
「健全誠実に生きているつもりなんだけどなぁ……」
ルーグにリリィ、それとレクティもか。そりゃ突然、《《友人》》が公爵家に侵入して捕まって処刑されたりしたらショックで悲しくなるよな、うん。
「話はまとまったかな? それじゃ、今後の計画について話し合おうか」
その後、ルーカス王子とリリィを中心に今後の計画について話し合われた。ピュリディ侯爵を仲間に引き入れられるか、スレイ殿下が逮捕状を信じず実力行使に出た場合にどうするかなど、様々な可能性を検討して計画をまとめる。
ひと段落ついたのは深夜2時を過ぎた頃だ。今日のところはお開きという事になり、最終打ち合わせを夜会の前夜に行う事にして解散。俺とリリィは来た時と同様に、アリッサさんに馬車で送り届けてもらう事になった。
「ちょっといいかい、ヒュー?」
建物から出る直前、ルーカス王子に呼び止められる。「なんですか」と尋ねると、王子は俺の肩に腕を回して小声で話しかけてくる。
「もしもレチェリー公爵の屋敷に人身売買に関与した証拠が無かった場合の話だ」
「まさか、偽造しろと?」
「無理にとは言わないよ。だけどレチェリー公爵は狡猾な男だからね。もしかしたら証拠になりそうな物を何一つ残していない可能性がある。もしレチェリー公爵の関与が確定的で、それを示す証拠が存在しない場合はやむなしだと思わないかい?」
「…………そうですね」
仮に人身売買への関与がなかったとしてもやるつもりだったのは黙っておこう。
俺の中ではもう、リリィを傷つけたレチェリー公爵を許す選択肢は残っていないのだから。