第37話:幼馴染を絶対に助けるファンタジー
「ありがとうございました、ヒューさんっ」
イディオットの治療を終えたレクティは俺に向かってぺこりと頭を下げる。
「ヒューさんはお怪我ありませんでしたか……?」
「いいや、俺の方は問題ない」
じゃっかん手に痛みと痺れはあるものの、これくらいでレクティにスキルを使わせていたらキリがない。それに、この感覚を消してしまうのはイディオットに対して申し訳なさもあった。
「なんて顔をしているのだ、ヒュー・プノシス」
イディオットも立ち上がり、俺へ声をかけて来る。
「この僕に勝ったのだぞ? 存分に誇って末代まで語り継ぐといい!」
「なんでお前はそんなに自己評価が高いんだよ……。と言うか、そっちは負けたのにスッキリした顔をしてるんだな」
「負けて初めて気づけるものもあると言う事だ。貴様には理解できない境地かもしれんがな」
「そ、そうか……」
イディオットはふぁさりと髪を掻き上げて爽やかな笑みを浮かべる。負けた自分にも酔えるのはさすがだ。
「だが、次こそは僕が勝つ! ヒュー・プノシス、君を倒すのはこの僕だ!」
「……ああ、またやろう」
イディオットと握手を交わし、彼は踵を返して去って行く。
……やっぱり、硬い手だ。どれだけ剣を振り続ければああなるのか、俺には想像することすらできない。
俺も、明日から剣の稽古を始めてみるか……。
「はーい! そんじゃ決闘も終わった事ッスし、授業を始めるッスよー! 今日は一対一の対戦形式で各々の剣の実力を見て行くッス!」
アリッサさんの呼びかけで授業が始まる。俺とイディオットがしたような、一対一の模擬試合を次々に行っていくようだ。
対戦相手はその場でアリッサさんが選んでいくのだが、実力が近い者同士で戦わせているように見える。事前にある程度調べてあったのか、その場で実力を見抜いているのか。後者だとしたら恐ろしい。
既に試合を終えた俺は、ちょうどルーグとレクティが試合を始めるタイミングでリリィの元へ向かった。遠くでアリッサさんがウインクをしている。どうやらこの機会を意図して作ってくれたらしい。ありがたく使わせてもらおう。
リリィの傍へ行くと俺の接近を気づいたのか彼女の方から声をかけて来る。
「あの子たちの試合を見ていてあげなくていいの?」
「大丈夫だよ、ここからでもよく見える」
二人とも剣を握った経験なんてないんだろう。ルーグは剣を振り回して「やぁー!」とか「とぉー!」とか叫んでいるだけだし、レクティは完全に腰が引けてしまっている。じゃっかんルーグが危なっかしいが、何かあれば全力でアリッサさんが止めてくれるはずだ。
「後で『どうして最前列で見てくれてなかったのっ!』なんて拗ねなければいいけれど」
「意外と声真似上手いな」
「……忘れなさい」
照れ臭かったのか、リリィは頬を赤く染めて肘で小突いて来る。甘んじてそれを受けつつ、俺は彼女に問いかけた。
「少しは俺の言葉を信じる気になったか?」
「……ええ。強かったでしょう、彼」
「ああ。……正直、舐めてた。もっと強力なスキルに切り替えておけば良かったって後悔したよ」
「昔から実力はあるのよ。努力も怠らない。だけど周りが上っ面だけしか見ずに褒め称えて彼も調子に乗るから、誰もが彼を誤解する」
「良くも悪くも、周囲に影響されやすそうだよな」
「でしょうね。レクティに対する暴言だって、取り巻きが言っていることを真に受けただけだったんじゃないかしら。実際に発言したのはイディオットだから擁護する気はないし、本人も言い訳なんてしないでしょうけれど」
「だとしたらあの環境は少し可哀想だな……」
「仕方がないわ。念のため忠告しておくけど、変な気を回してレクティを傷つけないでよ?」
「わかってる」
イディオットとレクティの仲を取り持とうなんて気はさらさらない。イディオットから頼まれたわけではないし、レクティがそれを望んでいないのも理解している。
あの二人の関係値はあの二人のペースで変化していくべきだろう。
「それで……その、本当に私を助けるつもりなの……?」
「言っただろ。お前がそれを望むならって」
「……貴方にそれが可能な事は理解したわ。だけど、レチェリー公爵との婚約はスレイ殿下肝いりなのよ? 妨害すれば公爵と第一王子、スレイ殿下の陣営に所属する全ての貴族を敵に回す。…………そこまでして助けるだけの価値が私にあるとは思えないわ」
「価値観なんて人それぞれだろ。俺にとってリリィは、公爵や王子を敵に回しても助けたいって思える相手なんだよ」
「…………私のこと口説いてるの?」
「友人としてに決まってるだろ」
そりゃリリィは魅力的だと思うけど、これは恋愛感情ってわけじゃない。好きだからとか、好きになって欲しいからとか、そういう理由ではなくて。
「幼馴染みたいなもんじゃないか、いちおう」
周囲に同年代が居なかった俺にとって、たった数日とはいえ幼い頃に一緒に遊んだリリィは俺にとってたった一人の大切な幼馴染だ。
公爵だろうが王子だろうが、敵に回したって助けたい。それを可能に出来るだけのスキルを持っているのだから、なおのことそう思うのは当たり前だ。
「ちょっと前まで忘れてたくせに」
「仕方がないだろ。こんな――」
美人になるなんて思わなかった……なんて本人に言ったら本当に口説いているみたいだ。慌てて口を噤むとリリィは訝しむように眉を顰める。
「こんな、なに?」
「何でもない。それよりも、助けて欲しいのか欲しくないのかどっちなんだよ?」
「……これは私だけの問題じゃないの。ピュリディ家の命運がかかっていると言ったでしょう? 私一個人の我儘で、お父様や家のみんなに迷惑はかけられないわ」
「なら、まずはその問題から解決しなくちゃな」
リリィとレチェリー公爵の婚約を破談させても問題ない状況を作り出す。そのためにはあの人の協力を取り付けるのが不可欠だ。
「あなた、さっきからいったい何を――」
「そこまでッス! 勝者、レクティ!」
リリィと話している間にいったい何があったのか、ルーグがレクティに負けていた。そこでちょうど授業の終了を知らせる鐘の音が鳴り響く。
「ヒュー少年! 片付けを手伝ってもらいたいんスけど、良いッスよね?」
「なんで俺が……。というか、片付けって木剣が2本だけじゃないですか。一人で持って来てましたよね?」
「まあまあ。次からは2本じゃ足りないッスからね、保管場所を教えておくためッス。偶然目があった不幸を呪う事ッスねー」
「……ったく。すまん、リリィ。行ってくる」
「え、ええ……」
俺は嫌そうな振りをしつつ、アリッサさんの元へ駆け寄って木剣を受け取る。
「そんじゃ各自解散ッス!」
アリッサさんは授業の終了を宣言すると、俺を連れて倉庫のほうへ歩き出した。道中はこれと言った会話はなく、2分ほど歩いて校舎近くの倉庫に辿り着く。
中に入ると、アリッサさんは後ろ手で倉庫の扉を閉めた。
「二人きり……ッスね」
「そりゃそうなるように小芝居を打ったんだから当然では?」
「ノリが悪いッスねー、ヒュー少年。こんな美人と密室で二人きりッスよ? 少しはドギマギしてくれないと自信無くすッス」
「次の授業に遅れるんで早くしてもらえますか」
「スルーとかマジッスか……。まあ、良いッス。殿下からの返事を預かって来たッスよ」
昨日アリッサさんに頼んでおいたルーカス王子宛の伝言。それに対する返事は概ね俺の予想通りだった。これでリリィを救うための道筋は立った。
だが、予想外だったことが一つだけある。
「明日の夜、殿下は少年とリリィ嬢と直接会って話したいらしいッス。学園からは自分が案内するッスから、自力で夜に寮を抜け出せるッスか?」
「…………おそらく」
ルーグにはたしてどう言い訳するべきだろうな……。
リリィを救う以上に難題だ。