第192話:逃げるな臆病者!!
その後も旅は悪天候やトラブルに見舞われることなく順調に進み、王都を出て十日目の昼過ぎ頃、馬車はピュリディ領の領都リリィガーデンへと辿り着いた。
「へー、ここがリリィガーデンか」
「やっぱりピュリディ領の領都だけあって栄えてるね、リリィガーデン」
「百合のお花がいっぱい咲いてますね、リリィガーデン」
「貴方たちわざと言ってるでしょう!?」
リリィは拗ねたように赤く染まった頬を膨らませてそっぽを向く。まあ、うん。お察しの通りリリィガーデンという都市の名称は、リリィの誕生を祝して改名されたものなのだ。
プラムさんによると元々この都市は白百合の花が咲く丘に築かれたことから、ホワイトガーデンと呼ばれていたらしい。リリィの名はそれを由来としていたこともあり、リリィガーデンへの改称は領民たちからの祝福と共に受け入れられたそうだ。
ピュリディ領でのリリィの愛されっぷりは馬車に乗っていても伝わって来た。馬車に描かれた家紋を見てリリィの帰郷に気づいた領民たちは皆、足を止めて馬車へ「お帰りなさい!」と手を振ってくれている。
リリィは恥ずかしそうに窓から手を振ってそれに応えていた。
「リリィちゃん凄い人気ですね」
「うん、まるでお姫様みたいだね」
「本物のお姫様が何を言ってるのよ」
ティアの発言にツッコミを入れつつ、リリィは笑みを絶やさず領民たちに手を振り返し続ける。生まれ持った容姿に加えてこういうところも領民から愛される理由なんだろう。
馬車の窓から外を見ると、領都リリィガーデンは三重の城壁に囲まれた強固な城塞都市だということがわかった。
どうやら一つ目と二つ目の城壁の間には住宅街と商店などが広がり、二つ目と三つ目の城壁の合間は鍛冶屋など生産業の区域、そして最後の三つ目の城壁の内側がピュリディ家の屋敷になっているらしい。
「随分と堅牢な作りになってるんだな。まるで城みたいだ」
「城みたいじゃなくて、実際に都市全体が城なのよ。二百年くらい前までピュリディ領がリース王国の最東端だったの。敵国のド真ん前に築かれた最前線の城だから堅牢に作られているわけ。歴史の授業でも触れていたはずよ?」
「……あーっと、そうだっけ?」
「ヒュー、来年は別のクラスだね……」
ばいばい、とティアが悲しそうに眉尻を下げて俺に向かって手を振る。ちくしょう、既にもう諦めてやがる。二学期からはもっと勉強に力を入れて見返してやろう。
なんてやり取りをしている内に馬車は二つ目の城壁を通って生産業区に入る。ここでもリリィの人気は絶大で、リリィの馬車が通ると聞きつけたのか職人たちは作業の手を止めてまで通りに来て出迎えをしてくれた。
「お帰りなさいませ、リリィお嬢!」
「ちょうどお嬢のために新しいドレスを作ってるんです! ぜひ試着してくだせぇ!」
「おいズルいぞ! 俺はアクセサリーを作ってます!」
「わたしはハイヒールを! ぜひアドバイスをくださいませ!」
職人たちは両手に様々な衣服やアクセサリーなどを持ってリリィに試着を頼んでいる。リリィの美的センスは領民たちにも評判のようだ。リリィの人気は、前世の日本風に言えばアイドルやインフルエンサー的なものなのかもしれない。
「本当に凄い人気だよね。レチェリー公爵と結婚しそうになってた時って、領民の人たちの反応はどうだったの?」
ティアに尋ねられたリリィは顔を顰めて額に手を当てる。
「あの時は大変だったわよ。レチェリーの悪評はピュリディ領にも届いていたから、そんな奴に私を渡すわけにはいかないって領民たちが老若男女問わず集まっていつでも挙兵できるように準備していたらしいの」
「挙兵って、さすがにそれは大げさすぎないか……?」
「……いいえ。実際にピュリディ領だけで五万人集まったそうよ。お母様が本気で武器や防具、兵站の準備計画を立てていたから間違いないわ」
「ま、マジかよ」
リリィに表情から察するに冗談の類ではなさそうだ。
五万人ってそれ、ピュリディ領の人口とほぼ同じくらいの規模じゃないか……?
「もし貴方が助けてくれずにあのまま私がレチェリーと結婚していたら、きっとレチェリー公爵家と全面戦争になっていたでしょうね……。貴方は領民たちの命の恩人よ」
「ヒューのファインプレーだね!」
「お、おう……」
まさか知らず知らずの内に戦争を止めていたとは……。というか、今さらながらレチェリーとスレイ殿下のめちゃくちゃっぷりには驚かされる。……いや、さすがに領民がここまで反発するのは予想外だったかもしれないが。
しかもリリィのお母さんもなんかノリノリで武器や兵站の準備計画を立案していたらしいのが何とも……。
「というか俺、もしかしてリリィのお母さんだけじゃなくてピュリディ領の人たちにも結婚を認めてもらわなくちゃいけないのか……?」
リリィとレチェリーの婚約に反発して武装蜂起一歩手前まで行った人たちに受け入れて貰えるか不安なんですが……。
「そう身構えなくても大丈夫よ。レチェリーのような悪評は広まっていないし、私が私の意思で選んだ相手だもの。きっとお母様も領民のみんなも貴方を受け入れてくれるわ」
「そうだと良いんだが……」
さすがにレチェリーなんかと比較されたら自分でもマシだとは思うけど、それでもリリィのお母さんや領民たちが考えるリリィの理想の結婚相手かと言えば怪しいんじゃないかと思ってしまう。
まず辺境のド田舎貧乏男爵であるプノシス家というだけで家格は雲泥の差だ。近々伯爵家に格上げされるとはいえ、それでもピュリディ侯爵家よりは格下になる。その上、正妻ではなく第二夫人なんて、人によってはぶち切れるんじゃなかろうか。
ヤバい、そう考えるとリリィのお母さんに会うのめちゃくちゃ緊張してきた。
とは言え、ここまで来て逃げるわけにはいかない。たとえリリィのお母さんや領民たちから猛烈な反対を受けたとしても、諦められるほど俺のリリィへの想いは弱くない……っ!
俺が覚悟を決めている内に、馬車は三つ目の城門を過ぎてピュリディ家の屋敷に到着する。白百合が咲き誇る庭園の先には、白い外壁の大きなお屋敷。その前で俺たちの到着を待っていたのは、薔薇のように赤いドレスを着た女性だった。
後頭部で一房に結われた赤茶色を髪。切れ長の瞳の視線は鋭く、口元は真一文字に結ばれている。この人がリリィのお母さんで間違いない。子供の頃に見たことがあるけど、やっぱりリリィに顔立ちや体形がそっくりだ。
馬車から降りた俺たちをリリィのお母さんはピンと背筋を伸ばして仁王立ちで待ち構えている。な、なんか圧を感じるのは俺だけだろうか……。とりあえず粗相がないようにだけしよう。
「ただいま帰りました、お母様。お元気そうで何よりです」
「お帰りなさい、リリィ。貴方も元気そうね。一時はどうなることかと思ったけれど、楽しそうにしているようで何よりだわ」
リリィのお母さんは娘と短く会話を交わした後、俺たちのほうへ向き直って静かに一礼した。その所作はあまりにも美しく完璧で、思わず息を呑んでしまう。
「リリィの母、ローズ・ピュリディと申します。以後お見知りおきを」
ローズ……確かに薔薇のように美しくて、それでいてどこか刺々しい印象を感じる人だなぁ……なんて思っていたら、隣のティアに軽く脇腹を肘打ちされた。っと、そうだ。こちらも挨拶をしなければ……っ!
「ご無沙汰しております、ピュリディ侯爵夫人。プノシス領領主マイク・プノシスの息子ヒューです」
「憶えています。あの時はリリィの遊び相手になってくれてありがとう。こうして再会できて喜ばしく思っていますよ、ええ」
「きょ、恐縮です……」
いったいどこまで本気で言っているのか、ローズさんは俺を見定めるような鋭い視線を向けて来る。頭から足先までじっくりと観察されているかのようだ。いちおう、今日の服はリリィセレクトだから問題ないはずだけど……。
俺が不安に思っていると、ローズさんはようやく俺から視線を外してリリィのほうへ向き直ってくれた。
「リリィ、貴方は私の美貌や才覚を余すところなく受け継いでくれたわ。けれどどうやら、私は貴方に余計なものまで受け継がせてしまったようね」
「えっと、お母様……? それはいったい?」
困惑するリリィに、ローズさんは俺を一瞥して端的に答える。
「男の趣味よ」
そう言って、ローズさんは小さくため息を吐いた。
……あの、やっぱり逃げてもいいですか?