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第191話:湖の中心で好きを叫ぶ

 町中を誰も居ないほう誰も居ないほうへと走り続けている内に、俺たちは町はずれにある小さな湖とその畔の小さな公園に辿り着いていた。


 町の人々の憩いの場となっているんだろう小さな公園では子供たちが元気に走り回って、それを近くのベンチに座った母親らしき女性たちが微笑まし気に見守っている。


 他にも散歩をする老夫婦や湖で釣りをする壮年の男性たちなど、町の人々は思い思いに公園での時間を過ごしていた。


 町中での事故の騒ぎがここまで伝わって来ている様子はない。ここでならゆっくりと時間を過ごせそうだ。


 ……なんてホッとしてふと気づく。そう言えばずっとレクティの手を握りっぱなしだった。慌てて手を放し、俺はレクティに頭を下げる。


「ご、ごめん、レクティ。急に手を掴んで走り出したりして。痛くなかったか……?」


「あ、はい! それはぜんぜん大丈夫ですっ」


 レクティはそう言うものの、頬は赤らんでいて呼吸も少し荒くなっている。〈忍者〉スキルによって強化された聴覚は、彼女の大きくなった心音を正確に聞き取っていた。


 事故現場からここまでそれなりの距離を走っちゃったからな……。いくら〈聖女〉スキルに〈身体強化〉が内包されているからと言って、走って疲れないわけじゃない。


 周囲を見渡して空いているベンチにレクティを座らせ、俺は公園のすぐ隣にあった露店へと向かった。そこはおばあさんが経営している果実水のお店だった。


 どうやらこのおばあさん、〈製氷〉のスキルが使えるらしく、スキルで作った氷を溶かして果物の果汁と混ぜて売っているようだ。冷たい果実水は人気なようで、露店には列が出来ていた。


 そこへ並んで二人分の果実水を手に入れてレクティの元へと戻る。果実水を受け取ったレクティが「あ、ありがとうございますっ!」と言いながら慌てた様子で財布を出そうとしたので、俺はそれを押しとどめる。


「今日は俺に奢らせてくれ。ほら、前にティアの誕生日プレゼント探しの時に奢ってくれただろ? そのお返しをずっとしたかったんだ」


「で、でも……」


 食い下がろうとするレクティを「まあまあ」と宥めて財布をポシェットに戻すよう促す。しばらく「いやいや」「まあまあ」と言いあってようやくレクティが折れてくれた。


「ヒューさんは少し律儀すぎると思います。(……そ、そういうところも好きですが)」


 ポツリと俺に聞こえないよう呟かれた言葉は、残念ながら〈忍者〉スキルが一言一句聞き逃さず拾ってしまう。顔に感じた熱はキンキンに冷えた果実水で誤魔化した。


「その、さっきはすみませんでした。ヒューさんのお話の途中で走り出してしまって……」


「いいや、気にしないでくれ。状況が状況だったしな。それに、やっぱりレクティは凄いと思ったよ」


 事故の知らせを聞いた瞬間、レクティは一切の迷いも躊躇もなく事故現場へ向かって走り出した。いくら怪我人を治療できる〈聖女〉のスキルを持っているからと言って、彼女と同じように脇目も振らず事故現場に飛び込める人がどれだけ居るだろうか。


 クラス対抗戦の時もそうだ。レクティは怪我を負ったクラスメイトたちを貴族平民分け隔てなく、スキルの使い過ぎで倒れてしまうまで治療をし続けた。


 それまでいがみ合っていた貴族と平民のクラスメイト達がクラス対抗戦に向け一致団結出来たのは、誰もが彼女の献身的な姿勢に胸を打たれたからこそだ。


 彼女はいつも誰かのために必死だ。誰かを助けるために全力で、それが少し危なっかしくもあるけれど、俺はそんなレクティの強さと優しさに惹かれているんだ。


「わ、わたしなんてそんな、ヒューさんと比べればまだまだで……っ」


 そう言ってレクティは謙遜するのだが、彼女の中で俺はいったいどんな聖人扱いされているのか逆に不安になる。まあ、うん。引き続きレクティから尊敬してもらえるように頑張ろう。


 それからしばらく、俺とレクティはベンチに座ってゆっくりとした時間を過ごした。やがて互いに果実水を飲み終えた頃、俺はある提案をレクティに持ち掛ける。


「なあレクティ、もしよければ一緒にボートへ乗らないか?」


「ボート、ですか?」


「ああ。さっき果実水のお店でおばあさんに聞いたんだけど、湖の近くの小屋で手漕ぎボートを貸してもらえるらしいんだ。この町一番のデートスポットらしい」


「で、デートスポット……っ」


 レクティは緊張した様子で息を呑む。


「そ、その。このお出かけはいわゆる、デート……と思っても良いんでしょうか……?」


「え、俺はそのつもりだったんだけど……」


 いまさら……? という疑問符を飲み込んで俺がそう答えると、レクティは「はぅっ」と頬を赤らめて顔をうつむかせてしまう。もしかして、レクティは単なるお出かけだと思っていたんだろうか。


 そう言えば俺もデートと口にするのは気恥ずかしくて、レクティを誘う時に「二人で町を見て回らないか?」としか言わなかった気がする。今のレクティの反応を見るに、それはそれで正解だったのかもしれない。


 果実水のコップをおばあさんに返してから、俺はすっかり緊張してしまったレクティを連れて湖近くの小屋へと向かった。そこに居たおじいさんに船を貸してもらい、俺とレクティは浜から湖へと漕ぎ出した。


 湖面を緩やかな風が吹き抜けていく。船はほとんど揺れず、オールを漕ぐたび静かにすいすいと前進した。湖には俺たちの他にもいくつかボートが浮いていて、そこに乗っているほとんどが若いカップルのようだった。


 俺たちも周囲からはそう見られているんだろうか。そうだったら嬉しいし、そろそろ腹を決めるべき時だ。


 湖の中央辺り、他のボートが周囲に居ないことを確認してオールを船の上に乗せ漕ぐのを止める。


「レクティ、君に渡したい物があるんだ」


 西日の柔らかな日差しを受けながら、俺はあらかじめ用意していた小さな箱をポケットから取り出した。中身は小さなアメジストがあしらわれたネックレス。レクティと出かけた時に買った物だから格好はつかないけど、俺に用意できる精いっぱいだ。


「これ、あの時の……」


「レクティ、俺と……家族になってくれますか?」


 俺が差し出したネックレスに、レクティはゆっくりと右手を伸ばそうとして、


「いいん、ですか……?」


 その手が止まる。レクティのアメジスト色の瞳は不安げに揺れていた。彼女は右手を引っ込めて胸元でギュッと左手で包むように握りしめる。


「わたし、ティアさんやリリィちゃんみたいに貴族じゃありません。平民で、貧民街で育った下民です。皆さんと仲良くして頂けているだけでも幸せで、なのにこれ以上、幸せになってしまっても良いんでしょうか……?」


 苦し気な表情で心情を吐露するレクティに、俺は彼女に必要な言葉を探す。


 生まれや育ちなんて関係ない。君は幸せになって良い。俺が幸せにしてみせる。そう言えば、レクティは安心して俺を受け入れてくれるかもしれない。


 だけど、それは果たして本当に彼女に必要な言葉なんだろうか。彼女の不安の根本的な原因は、おそらく自己評価の低さにあるはずだ。


 ティアやリリィに対する劣等感でも、将来への不安でもない。


 自分への自信の無さ。自己評価の低さから生じる俺への負い目。


 それが彼女の心を縛る足枷になってるのだとしたら、俺がやるべきことは一つ。




 褒めて褒めて褒めまくって、レクティの自己評価をぶち上げる!




「レクティ、俺は君の淡い水色の髪が好きだ」


「え……?」


「そのアメジスト色の瞳も、小さくて可愛らしい唇も、透き通った肌も大好きだ!」


「え、あの、ひゅ、ヒューさんっ!?」


「小柄な体形も可愛くて守ってあげたくなるし、控えめな胸元だって愛おしい! 清楚で可憐で愛らしいレクティの全てを愛してる!」


「ちょっ、は、恥ずかしいですぅっ!」


 レクティは顔を真っ赤にして、両手を顔の前でバタバタと振る。俺の声は湖全体に届いているらしく、周囲の船に乗っているカップルたちが何事かとこちらに注目していた。それに気づいたレクティはよりいっそう恥ずかし気に体を縮こませる。


「誰かのためになりふり構わず一生懸命になれる君が好きだ! 怪我人を治療している時の真剣な眼差しも、治療が終わって安堵した時に見せる気の抜けた笑顔も大好きだ! それから他にも――」


「も、もうっ! わかりました、わかりましたからぁっ!」


 レクティはもう限界と言った様子で俺の口を塞ごうと飛びかかって来た。彼女を抱きとめたと同時に船が大きく揺れて危うくひっくり返るところだったが、〈忍者〉スキルの身のこなしでギリギリ転覆を耐える。


 船の揺れが落ち着いたのを確認して俺はホッと息を吐き、胸元で抱きしめたレクティに優しく語りかける。


「俺はレクティのことが、本当に大好きなんだ。だから、自信を持って幸せになって良いんだよ、レクティ」


「……ヒューさんは本当にイジワルです。これ以上好きになったらわたし、気持ちが抑えられなくなっちゃいますよ……?」


「受け止めるよ、可能な限り」


「全部と言ってくれないところもイジワルだと思います」


 レクティはふふっと笑って、俺の口を唇で塞ぐ。控えめで、ほんの少しの間だけの優しいキスだった。


「ヒューさん。ティアさんとリリィちゃんも、さっきわたしにしてくれたみたいにたくさん褒めてあげてくださいね?」


「えっ? いや、あれ実は結構恥ずかしかったんだが……」


「ダメです! わたしだけなんて不公平ですから、ちゃんとお二人も褒めてあげてください! わかりましたか?」


「は、はい」


 有無を言わせないレクティの気迫に頷くと、彼女は満足げに微笑んで船を揺らさないようゆっくり慎重に元の位置へと座りなおす。おそらく今日の出来事はそう遠くない内に二人へも共有されるだろうから、色々と後が怖いなぁ……。


 ただまあ、レクティの表情からはもう不安は感じない。


 俺はもう一度ネックレスが入った箱をレクティに差し出す。


「改めてになるけど、レクティ。俺と家族になって欲しい。第三夫人という立場で君に肩身の狭い思いをさせてしまうかもしれない。寂しさを感じさせることもあると思う。それでも君に後悔は絶対にさせない。必ず幸せする。だからこれを、どうか受け取ってくれますか?」


「はいっ!」


 レクティは俺が差し出した箱に迷わず手を伸ばし、……またその手が止まる。


「そ、その……、もしよければヒューさんがつけてくれませんか?」


「お、俺が?」


「お、お願いします……っ!」


 西日に照らされた頬を赤く染め、レクティは俺に向かって頭を下げる。レクティの手が止まった時にはドキッとしたけど、そういうことなら……。


 箱からネックレスを取り出して、彼女のほうへ。船が揺れないようにバランスを取りつつ、ネックレスを彼女の首元へと近づける。


 正面からネックレスを付けるのってめちゃくちゃ難しい。レクティと抱き合うような姿勢で密着してようやく、ネックレスの留め具が引っかかった。


 〈忍者〉スキルによって強化された聴覚は、レクティの早鐘を打つ心臓の鼓動をハッキリと聞き取る。だけどたぶんこの近さだと、俺の心臓の音もレクティに聞こえてしまっているだろう。


 レクティから離れようとした時、彼女がギュッと掴んでいた俺の服が少しだけ引っ張られた。離れたくないというささやかな意思表示に、彼女への愛が爆発しそうになる。


 ネックレスにあしらわれた小さなアメジストが西日をきらりと反射する。


 そしてレクティのアメジスト色の瞳もまた、何よりも美しく輝いていた。


「わたしはヒューさんやリリィちゃん、ティアさんと過ごす今がすっごく幸せです。これから先もずっとずっと皆さんと一緒に幸せな時間を過ごしたいって思っています。……ヒューさんが好きだと言ってくれたわたしで居られるように精いっぱい頑張るので、その、末永く宜しく願いしますっ!」


「ああ。宜しく、レクティ」


 湖に浮かぶ静かなボートの上で、俺とレクティは互いの温もりに優しく触れあうように唇を重ねる。


 幸せにしよう、レクティを。そしてティアとリリィを。


 たとえこの先、どんな困難が待ち構えていたとしても――絶対に。


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