第185話:ユニコォオオオオオオオオン!!!!
馬車はその後も順調に進み、予定通り夕暮れまでに街道沿いの一つ目の街に到着した。王都からの街道沿いにあるだけあって街はなかなかの広さで行きかう人も多い。商人や旅行客向けの宿も何件も建ち並んでいる。
そんな中で俺たちが今日泊まるのは、上流貴族向けの街一番の高級宿だ。どうやら事前にピュリディ侯爵が部屋を手配してくれていたらしい。
「それでは明日の朝にお迎えにあがります。ごゆっくりお過ごしくださいな」
宿の前で俺たちと荷物を降ろし、プラムさんは馬車と共に別の宿へ向かった。この宿には厩がないため、馬車と使用人は系列の別の宿に泊まることになるのだとか。プラムさんにはちょっと申し訳ない気もするけど、馬車や荷物もあるから仕方がない。
プラムさんを見送って宿に入ると、さっそく部屋へと案内される。用意されていたのはなんと広々とした空間に豪奢な内装と天蓋付きのキングサイズのベッドが置かれた最上級のスイートルームが四部屋。三階建ての宿の三階部分が全て貸し切りになっていた。
「ほ、本当にここに一人で泊まって良いんですか……!?」
レクティがアメジスト色の目をまるまると見開いて驚いている。俺もあまりの部屋の豪華さに言葉を失ってしまった。これが一人一部屋ってさすがに奮発しすぎじゃないか……!?
「ここは王都からも近いし、この宿を利用する貴族は大勢居るわ。無用なトラブルを避ける意味でも、お父様は三階をまるまる貸し切ったんじゃないかしら」
「なるほど……。たしかに同じ階に別の貴族が宿泊してたら、色々と面倒なことが起こる可能性もあるよな……」
ルーグの正体が露見するリスクはもちろん、レクティが〈聖女〉スキルを持っていることを知る貴族も多い。そして俺が黒竜ドレフォンを討伐したことも、一部とはいえ貴族の間で噂になっているだろう。
そう考えると俺たちってけっこう有名人なのかもしれない。あまり嬉しくはないが……。
その日の夕食はリリィの部屋に集まって済ませた。一階部分にレストランも併設されているらしいのだが、学生四人で利用すれば当然のように悪目立ちしてしまう。その辺を宿の側も配慮してくれたようで、リリィの部屋に手早くテーブルなどを用意してくれた。
美味しい料理に舌鼓を打ってその日は解散。各々の部屋で夜を過ごすことになった。
部屋に併設されたシャワールームで汗を流し、シャツとハーフパンツというラフな格好に着替えてベッドに倒れ込む。キングサイズのベッドは俺一人が寝るにはあまりにも広すぎた。大の字になっても手足はベッドからはみ出さないどころか余裕すらある。
……何となく寂しさと落ち着かなさを感じてしまうのは、寮の狭いベッドで毎日ティアと添い寝をしていたからだろう。
そう言えば、流れでティアと別の部屋になったけど大丈夫か? ティアの不眠症はドレフォン領での一件から少しだけ改善傾向にあるものの、まだ一人で眠れる状態にはないはずだ。ノコノコさんは持って来たけど、たぶん効果は薄いだろう。
もしかしたらそろそろ、自分の部屋から抜け出してこっちに来るかもしれない。
なんて考えていた矢先、俺の部屋の扉が控えめにノックされた。
「まったく、仕方がないなぁ」
俺はやれやれとため息を吐きつつ、ベッドから跳ね起きて軽い足取りで扉へ向かう。
そうして扉を開くと、
「……その、ちょっといいかしら」
廊下に立っていたのはティアではなく、薄っすらと肌が浮かぶ黒色のネグリジェを身にまとったリリィだった。
お風呂上りだろうか。白磁色の肌にはほのかに上気して赤みがさしている。いつも二房に結われている髪は下ろされ、普段に増して大人びた印象を受けた。
「えっと……?」
想定外の来客と、リリィの刺激的な姿に思わず思考がフリーズする。その間にリリィは俺の胸を優しく押しながら部屋の中へと入り、後ろ手で扉を静かに閉めた。まるで俺の部屋に入ったことを、周囲に気取らせたくないように……。
「責任、取ってよね……?」
「せ、責任!?」
俺なにかやったっけ……!? 思い当たる節が特にないから余計に混乱してしまう。まさか無意識の内にリリィと関係を持って子供が出来たとか、そういうことではないはずだけど……。
困惑する俺に業を煮やしたのか、リリィは「これのことよ」と小さな箱をこちらに突き出す。それは先日、俺がプロポーズと共に渡した翡翠の耳飾りが入った箱だった。
「も、もしかして気に入らなかったか……?」
リリィに似合うと思って買った翡翠の耳飾り。だけど美的センスやファッションセンスは俺よりリリィのほうがずっと高いものを持っている。彼女のお眼鏡に適わなかったんだとしたら、悲しいけど仕方がない。
「いいえ、とても気に入ったわ。毎日でも付けたいくらいよ。……だから貴方に、責任を取って貰おうと思って」
「えっと……?」
状況を飲み込めない俺に、リリィはおもむろ髪を掻き上げて綺麗な形の耳を見せつける。
「あ……っ!」
そこでようやく、俺はとんでもないミスを犯していたことに気が付いた。リリィの耳にはピアスホールがどこにも見当たらない。そして俺が露店で買った耳飾りは翡翠のピアスだったのだ。
「す、すまんリリィ! 俺てっきり……」
オシャレなリリィならピアスホールを開けているもんだと勝手に思い込んでしまっていた。よくよく思い返せば夜会などでリリィが耳にアクセサリーを付けているのを見た記憶がない。こんなのセンスどうこう以前の問題だ……!
「もうっ、せっかく貴方がくれたプレゼントを付けられないなんて、生殺しにも程があるわ」
「本当にすまん……」
「だから、責任取ってよね……?」
そう言ってリリィは、俺の手に細い何かを握らせる。何かと思って確認すれば、それは裁縫用の針だった!
「お、おい。責任ってまさか……!?」
「貴方が、私の耳にピアスホールを開けてちょうだい?」
いや、いやいやいや! 自分の耳に開けるのすらクソ怖くてやろうとすら思わないのに、他人の耳に穴を開けるとか無理すぎる! しかも裁縫用の針だぞこれ!? せめてピアッサーとかなら決死の覚悟を決めればやれなくもないかもしれないがっ!
「しょ、正気か……?」
「正気よ。貴方になら私、穴を貫通させられたって構わないわ」
「少しは構ってくれ! と言うか、こういうのって自分でやったほうがいいんじゃないか……?」
「うふふっ、愚問よ。そんな怖いことが私にできるわけないでしょう?」
リリィは凛とした表情で、膝をがたがたと震えさせながら胸を張る。……意外と怖がりだよなぁ。
とは言え、怖がりながらもリリィは覚悟を決めている様子だ。ピアスをプレゼントしてしまった責任はたしかに俺にあるし、今から別のプレゼントを見繕うのも難しい。せっかく気に入ってくれた物を返してくれとも言いづらい……。
俺がやるしかないか……。
「……わかった。責任を取らせてくれ」
とりあえず、リリィを部屋に備え付けてあったドレッサーの前に座らせる。姿見に映ったリリィの姿はセクシーで煽情的すぎて目に毒だ。思わず息を呑みそうになって、頭を振って余計な思考を追い出す。今はそんなことを考えている場合じゃない。
「えっと、耳のどのあたりに穴を開けたいとかってあるのか? 針を刺すのに印をつけたほうが良いと思うんだが」
「そうね……。耳たぶのこのあたりかしら」
リリィの希望を聞いて左右対称に穴を開けられるよう、ペンで印をつけようと彼女の耳に軽く触れる。
「んぁっ……」
途端、リリィの口から甘い吐息が漏れた。リリィは思わずと言った様子で口元を押さえて赤面する。
「ごめんなさい、くすぐったくてつい……」
「お、おぅ……」
気まずいから勘弁してくれ……っ!
ドクンドクンと飛び跳ねる心臓を押さえつつ、リリィの耳に目印を書き込む。耳を触られるのが弱いらしいリリィはその間も幾度となく声が出そうになるのを太ももをもじもじさせながら必死に我慢していた。その姿が何ともいやらしく、俺の初心な感情を弄ぶ。
目印を書くだけでこんなに疲れるのかってくらいに疲れた。けど、本番はこれからだ。
「必要な道具は調べて一通り持って来たのだけど大丈夫かしら?」
「俺もピアスを開けた経験が無いからわからないけど……」
リリィがドレッサーに並べたのは裁縫針とタオル、消毒液代わりの蒸留酒が入った小瓶、それから開けた穴を固定するためのファーストピアス。……前世だったら主に針とか消毒液が心もとないかもしれないけど、この世界で準備するならこれが限界だろう。
それに幸い、消毒ならもっと良い方法がある。
「ヒュー・プノシス、お前のスキルは〈聖女〉だ」
俺は姿見でスキルを〈聖女〉に切り替え、使用する針やタオルなどの他、リリィの耳周りや自分の手を〈浄化〉で消毒した。〈浄化〉には解毒作用の他にも消毒や滅菌作用があるのだ。これで傷口の化膿を防げると思う。
これで準備は万端、整ってしまった。
「ほ、本当にやるんだな……?」
「ええ、一思いにやってちょうだい……!」
リリィは向かい合った俺のシャツを両手で握りしめ、ギュッと痛みに備えるように瞼を閉じる。こうなったらもう俺も覚悟を決めるしかない。中途半端が一番ダメだ。リリィのことを想うなら、思い切ってやるしかない。
右手に針を持ち、左手にタオルを持ってリリィの左耳を掴む。ここで躊躇って失敗したら最悪だ。やるなら一気に……!
「行くぞ、リリィ!」
「ええ……ごめんなさいやっぱりちょっと待っ――痛ぁっ!」
リリィが日和る前に針を突き刺し貫通させた。ふぅと息を吐く俺の胸をリリィは目尻に涙をためながらポカポカ殴ってくる。
「待ってって言ったのに! ばか! きちくっ! ド外道っ!」
「お、落ち着け! まだ終わってないから!」
リリィの耳にはまだ針が刺さったままだ。これからこの針を抜いてファーストピアスを入れなおさなくちゃいけない。リリィは絶望に染まった顔でプルプルと震えているが、ここまで来たらもう後に引くわけにも行かないだろう。
リリィが少し落ち着くのを待って、針を抜いてファーストピアスを差し込む。痛みに悶絶するリリィだったが、何とか無事に片耳の処置を終えることができた。
「「これがあともう一回……?」」
俺は疲労感に、リリィは痛みに絶望して声が重なる。もう一方の耳にもファーストピアスを固定できたのは、それから三十分後のことだった。
俺とリリィは互いに疲労困憊で、どちらともなくベッドに倒れ込む。
「痛みは大丈夫か?」
「ええ、なんとか……。触るとさすがに痛いけれど、慣れればそれほど痛くないわ」
リリィの声音からは疲労が色濃く感じられる。彼女ほどではないけど、俺もめちゃくちゃ疲れた。まさか女の子の耳に穴を開けることになるなんて、前世の俺には想像すらできなかっただろうなぁ……。
「ふふっ。貴方に一生消えない傷をつけられちゃった」
「語弊があるけど、いや、まあ……責任は取るよ、一生をかけて」
そういう話だろうと思って返事をしたら、返って来たのは無言だった。ちらりと隣に寝転がるリリィを見ると、顔を赤らめてとろんと蕩けたような視線を俺に向けている。
ああ、なんかそういう雰囲気かもしれない。
リリィが伸ばしてきた手を掴み、指と指を絡ませようとして――
「ヒューっ! 一緒に寝よーっ!」
部屋の扉がばーんと開いてノコノコさんを抱えたルーグが現れた!
ルーグは部屋に入って来て、視線を巡らせる。ベッドの上には寄り添って寝転がる俺とリリィ。そして、ドレッサーの上には点々と血が付着したタオル。
それを順々に確認したルーグの手から、ノコノコさんが床に落ちて転がった。
「ひゅ、ヒューとリリィがえっちしてる……っ!」
「「してないっ!!」」
少なくとも、今はまだ……。