第184話:三等分のヒュー
馬車留場には既にピュリディ家の家紋が大きく入った馬車が停まっていた。その脇に控えるプラムさんが俺たちを見つけて一礼する。
「お待ちしておりました、リリィお嬢様。ヒュー様とご学友の皆様も」
「お久しぶりです、プラムさん。今日から宜しくお願いします」
「まあご丁寧に! ふふふっ、さすがリリィお嬢様が選ばれた殿方だけありますわ。ささ、お荷物のほうをお渡しくださいな。わたくしのほうで馬車に積み込みますので」
「いえ、俺がやりますよ。馬車の後ろに載せればいいですか?」
「ええ。ではお願いいたしますね? お嬢様方はささ、馬車にお乗りくださいませ」
プラムさんに場所を教えてもらい、馬車の後部に取り付けられたトランクを開く。トランクの中には旅の途中で使うだろうテントや調理器具などが用意されていた。俺たちの荷物を入れるスペースも十分に確保されている。
ルーグとレクティからも荷物を預かり、荷物を入れてトランクを閉じる。そして俺も馬車に乗り込むと、ルーグが空いている席をぽんぽんと叩いた。対面の席にはリリィとレクティが並んで座っていた。
「今日はボクの隣だよっ」
「今日は?」
俺が首を傾げると、リリィが説明してくれる。
「事前に話し合いをしていたのよ、誰が貴方の隣に座るのか。今日はルーグで明日は私。明後日はレクティ。一日ごとに席を交代するから、そのつもりで宜しくね?」
「お、おう。わかった」
席順くらいで大げさだなぁ……。
「ヒューったら、いま席順くらいで大げさって思ったでしょー?」
「へっ!? い、いや、そんなことは……」
ルーグに言い当てられて思わず言い淀んでしまう。もしかして俺、考えてることがけっこう顔に出ちゃうのか?
「順番を明確にすることが家庭内の平穏に繋がるのよ? 席順であっても例外にするべきではないの。その辺を曖昧にしていた家庭が子作りの順番を間違えて、大変な騒動になったことだってあるのだから」
「こ、子作りって……っ」
リリィの言葉にさすがに飛躍しすぎ……って考えてしまうのは、たぶん俺が童貞を拗らせすぎているからなんだろうなぁ……。
貴族である以上、結婚すれば当然子作りには励まなくちゃいけないのだ。それで例えば正妻より先に第二夫人や第三夫人に子供が生まれて、しかもそれが男の子だったら、跡目問題やら何やらが色々と面倒くさいことになるわけで……。
「貴方の場合、特に注意を払う必要があるのはわかるでしょう?」
「それは、まあ」
このまま行くと正妻には王家の血筋に連なるルクレティアを迎え、第二夫人にはリース王国有数の名門貴族ピュリディ侯爵家のご令嬢リリィを迎える。そして、まだ本人とちゃんと話が出来ていないものの、第三夫人にはレクティを迎えたいと思っている。
レクティは国王陛下の命を救った〈聖女〉スキルの持ち主だけど、身分としては平民だ。万が一にも、レクティとそういう関係になって真っ先に子供が出来てしまったら、王家やピュリディ家に大顰蹙を買ってしまいかねない。
「順番を明確にする理由は他にも、平等を期すためでもあるの。言うなれば機会の均一化ね。あらかじめ順番を決めておけば誰かさんに貴方を独り占めされずに済むでしょう?」
「むぅ。誰かさんって誰のことを言ってるの?」
「さあ、誰かしら」
ぷくっと頬を膨らませたルーグとすまし顔のリリィが視線をぶつけ合う。な、なるほど。こういういざこざを防ぐためにも、あらかじめ順番を決めておくべきなんだな……!
「そろそろ出発いたしますよ。夕暮れまでに最初の街に着かなければいけませんからね」
「あ、はいっ! お願いします、プラムさん」
御者台から聞こえて来たプラムさんの声に答えると、馬車がゆっくりと動き出す。一触即発の雰囲気は、とりあえず霧散した。
ほっと息を吐いてルーグの隣の席に腰掛けると、座席は程よく包み込むような弾力で座り心地がとてもよかった。さすが大貴族が長距離移動に利用する馬車だ。
窓の外を王都の街並みが流れていく。少し前は国王陛下の体調不良と王位継承権争いで街中もピリピリしていたけど、今の王都の風景は平穏そのものだ。
国王陛下の体調も安定し、第一王子のスレイ殿下が王位継承権争いから脱落したことで、第二王子ブルート殿下と第三王子ルーカス王子の陣営は膠着状態に陥っている。
この状況はしばらく続くだろうとルーカス王子は言っていたし、俺たちがプノシス領から帰って来たら王都が内戦状態だった! なんてことにはならないだろう…………たぶん。
「皆様、昼食がまだでしたでしょう? 軽食を用意して参りましたので召し上がってくださいな」
「ありがとう、プラム。いただくわね」
俺とルーグが座る席の後方に設置された荷物棚には、サンドウィッチが入ったバケットケースが置いてあった。なるほど、これなら揺れる車内でも食べやすい。プラムさんは軽食と言っていたけど、俺を気遣ってくれたのかバケットにはかなりの量が詰め込まれている。
サンドウィッチを食べながらテストはここが難しかったとか、引っ掛け問題に俺だけ引っかかったとか、俺の点数が赤点ギリギリかもしれないとか、そういう話題で盛り上がっている内に馬車は王都の外へ出た。
王都の城壁の外へ出ると視界が一気に開け、一面の小麦畑が広がっていた。豊かに実った麦の穂が風に揺れ、黄金色の波が立つ。王都周辺は、リース湖の豊かな水に恵まれた麦畑が広がっている。
馬車は黄金色の波に乗るかのように順調に進んだ。段々と王都の城壁や王城、大聖堂の尖塔が遠くなっていく。二時間ほど進んで丘陵を越えた頃には、王都の姿は見えなくなった。
周囲の景色は麦畑から針葉樹林へと変化している。この森を越えた先にある街で、今日は一泊する予定になっていた。
「街まであとどれくらいでしょう……?」
ボーっと窓の外を眺めていたレクティがポツリと呟く。瞼が少し重そうだ。数時間も馬車に乗っていたらさすがに暇だもんなぁ。
「だいだい三時間くらいかしら。レクティ、眠かったら横になっても大丈夫よ? 私の膝を枕にしてちょうだい?」
「えっ!? だ、大丈夫ですっ」
「そう? ルーグみたいに寝ても構わないのだけど」
リリィとレクティの視線が、俺の膝を枕にしてすやすやと眠っているルーグに吸い寄せられる。
「せっかくヒューの隣に座ってるんだから甘えちゃおー」
なんて言いながらもたれかかって来たルーグだけど、すぐにうつらうつらとし始めて五分後くらいには夢の世界に旅立って行った。それがだいたい三十分前の出来事だ。
時折大きく揺れる馬車でもルーグが起きる様子はない。すっかり安心しきった表情で、「ひゅぅ~、すきぃ……」なんて寝言まで口にしている。普段なら可愛さに悶絶している所だが、リリィとレクティの前では恥ずかしさが勝るんだよなぁ……。
気持ちよさそうに眠るルーグをしばらく見つめ、レクティは「じゃあ」とリリィのほうへ体を倒す。リリィの太ももを枕にしたレクティは程なくして安らかな眠りに誘われて行った。
……リリィの太もも、柔らくて気持ちいいだろうなぁ。
「ふふっ。明日は貴方も私の膝で寝かせてあげるわね?」
……やっぱり俺って考えていることが顔に出やすいのかもしれない。