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第182話:(リリィの)未来日記②

【7月23日】


 三日間の期末試験が終わってすぐ、私たちは人目を避けるように学園の裏側から馬車に乗り込んで王都を出立した。ほとんど着の身着のままになってしまったけれど、馬車の中にはピュリディ家のメイド長を務めるプラムが衣服を用意してくれていた。


 制服のままだと目立ってしまうものね。


 用意されていたのは私の着替えと、メイド服が二着と執事服が一着。それと、服の中に隠すようにしてお父様からの指示書があった。


 馬車はこのまま王都を離れてピュリディ領へ向かうと見せかけ、途中で馬車を乗り換えてプノシス領に向かう算段らしい。


 ティアとレクティ、それからヒューはひとまずピュリディ家のメイドと執事に変装してもらう。いずれ着せてみたいと思っていたけれど、まさかこんなタイミングで叶うなんて考えてもみなかった。もっと落ち着いたところで見たかったわ……。


 馬車は問題なく王都を出ることができた。ピュリディ領の手前の街までは街道を進んで馬車で七日。そこから方向転換しプノシス領へ着くのは更に十五日以上かかるかしら。


 これから始まる長い旅。これが逃避行でなければ、楽しい気分になれたのだけど……。


 馬車の窓から見える王都の姿が段々と小さくなっていく。


 王都に残ったお父様や、ピュリディ家のみんなはどうなるのだろう。


 どうか何事もなく王都へ戻れますように。お父様やみんなと会えますように。


 そう願わずには居られなかった。




【7月31日】


 旅は順調に進み、予定通りプノシス領手前の街で馬車を乗り換えることができた。


 けど、驚いたわ。まさか街中でお母様と出くわすなんて!


 お母様は涼しい表情で「ただ買い物に来ただけよ」なんて言っていたけど、ピュリディ家の屋敷からわざわざ一日もかけて隣領の街まで出る買い物なんてあるわけがない。


 ……もしかして私を心配してくれていたのかしら。


 でもお母様は私との会話もほどほどにヒューへ話しかけていた。


「どうか娘を、宜しくお願いします」


 誰かに頭を下げるお母様の姿を、私は人生で初めて見たかもしれない。


 私はこれから一時的にプノシス領へ身を寄せることになる。それが夏休みの間だけの短い期間になれば良いなと、そんな希望的観測を持ってしまっていた。


 だけど、お母様の口ぶりからはまるで私をヒューに託すような切実さを感じてしまって。


 別れ際、お母様は私に「ピュリディ家の名に恥じない立派な淑女になったわね」と微笑んでくれた。お母様に認められたことは、私にとって嬉しいことのはずなのに。お母様に伝えたいことがたくさんあったはずなのに。


 どうしようもなく涙が溢れてしまって、言葉が出なかった。


 私たちが乗って来た馬車でお母様がピュリディ領へ去るのを見送り、私たちも別の馬車で出発する。馬車の中でも涙が止まらなかった私に、ヒューは隣に座って何も言わず寄り添ってくれた。


 彼の優しさと気遣いが、たまらなく愛おしかった。




【8月9日】


 ここまで旅は順調なはずだった。


 プノシス領への道のりも半分が過ぎていたし、王都からも随分と遠く離れた。こんな所にまで王位継承権争いの余波が届いているなんて、想像すらしていなかった。


 ……今日のことを、日記に書き残すのは抵抗がある。


 だから詳細はあえて書かないけれど、未来の子供たち、孫たちに伝えたいのは、ヒューは何も悪くないということ。


 私たちはとある貴族の兵団と街道ですれ違った。彼らはスレイ殿下の陣営を示す旗を掲げていた。その行く先がどこなのかはわからない。王都か、それともスレイ殿下の陣営を裏切ったピュリディ家の所領なのか。


 どちらにせよ、私たちは息を潜めて静かにすれ違うしかなかった。もしも馬車に私が乗っていると気付かれれば取り囲まれる危険もあったから。


 統一された甲冑を着た兵士たちが通り過ぎていくと、その後ろにはバラバラの鎧を身に着けた男たちが続いていた。おそらく貴族が戦に備えて雇った傭兵たち。貴族のお抱えの兵団が規律だって行動していたのに対し、彼らはあまりにも粗野だった。


 彼らに目を付けられたのは私か、レクティか、それともティアか。もしあの場でヒューが抵抗してくれなければ、私たちは彼らに乱暴されていた。数日経った今でもあの時の恐怖は鮮明に思い出せて、ペンを持つ指が震えてしまう。


 ヒューは私たちを守るため、必死に戦ってくれた。やがて傭兵を倒し終えた頃、騒ぎを聞きつけた貴族の兵団が引き返してきた。私たちは馬車で速やかにその場から逃げ出した。


 幸いだったのは、貴族の兵団が私たちを追うのを早々に諦めてくれたことだった。たぶん行軍を優先したんだと思う。もしくは、傭兵たちは彼らにもあまり良い印象を抱かれていなかったか。


 何にしても、私たちは無事に危機を脱することができた。


 ……だけど、ヒューは酷くショックを受けた様子で落ち込んでしまって。彼は私たちがこれまで一度も見たことがないくらい打ちひしがれてしまっていた。ティアやレクティが震える彼の手を掴んで励ますけれど、ヒューの顔色はいっこうに良くならない。


 どれだけの感謝と励ましを伝えてもヒューには届きそうになかった。だからティアとレクティと相談して、私たちはその日の夜に実力行使に出ることにした。


 具体的に何をしたのかは、その……詳細は省くけれど。翌朝、ヒューが少しだけ元気を取り戻してくれてホッとしたのを憶えている。


 体を張った甲斐があったというものね。




【8月18日】


 道中様々なトラブルに見舞われつつも、私たちはようやくプノシス領に辿り着いた。ヒューのお父様とお母様はルーカス殿下から事前に連絡を受けていたらしい。全てを知った上で、私たちを快く迎え入れてくれた。


 プノシス領は五歳の頃に訪れた時と何一つ変わらない。何ならあの頃よりもいっそう緑豊かになったような気がしないでもないくらいのどかな田舎だった。


 私たちはここで、王都からの知らせが届くまで静かに暮らしていくことになる。


 今後の不安と、ほんのちょっとの希望を抱きながら。


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