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第179話:行け、リリィ!ドレインキッスだ!

 期末試験が二日後に迫ったその日の放課後。授業が終わったと同時に俺はすぐ寮の自室へと引き返した。


 いつもならルーグやリリィとレクティ、たまにイディオットやロザリィも交えて勉強なりお喋りなりをしながらのんびり過ごす放課後だけど、今日はこの後に予定がある。


 そう、ピュリディ侯爵との食事会だ。


 リリィの支度もあるから学園を出発するのはもう少し後なんだが、時間ギリギリまでのんびりできるほど俺の肝は据わってない。早めに着替えを済ませ、ピュリディ家の馬車が迎えに来るまで外で待機していよう。


 事前にリリィが用意してくれたいつもの燕尾服に着替える。今日の食事会のために王都でも有数の高級レストランを予約したらしく、ドレスコードがあるため制服のままじゃダメらしい。リリィのドレス姿が見られるのは嬉しいけど、正直めちゃくちゃ緊張する。


 鏡に映った自分の顔の青白さに思わず苦笑いしてしまった。貧乏貴族の倅に王都の高級レストランはハードルが高すぎる。いやまあ、王城に何度も出入りして国王陛下と食事までした奴が何を言ってるんだって話なんだが……。


「ヒュー、こっち向いて。蝶ネクタイが曲がってるよ?」


「っと、すまん」


 俺の着替えを自分のベッドに座ってノコノコさんを抱きかかえながら見ていた(恥ずかしいから見ないで欲しいと言ってもヤダって断られた)ティアが、こちらに駆け寄って蝶ネクタイを直してくれる。な、なんか夫婦って感じで良いなこれ……。


「これでよし。髪をセットしてあげるから座って?」


「あ、ああ」


 促されるままティアの勉強机に向かう。机に置かれていた大きめの鏡をセッティングし、ルーグは引き出しから香油を取り出した。蓋が開くと金木犀に似た甘い香りがする。


 そっか、ティアの香りってこの香油の香りだったんだな。


「お母さまから貰ったお気に入りの香油なんだぁ」


 ティアは鼻歌を口ずさみながら香油を手のひらに伸ばし、俺の跳ねっ毛を整えていく。その様子をソワソワと見つめていると、鏡の向こうのティアがふふっと微笑んだ。


「高級レストランがそんなに緊張するの?」


「なんか変に畏まっちゃうと言うか身構えちゃうんだよなぁ。ピュリディ家の屋敷でならこんなに緊張しないとは思うんだけど……。高級レストランでただ飯食えてラッキーくらいに思える度胸が欲しい」


「えー? 国王陛下《お父様》に面と向かって娘さん(わたし)をくださいって言える人がなに言ってるのかなぁ?」


「うん、それはそう」


 自分でも緊張する基準が意味わからなさすぎて怖い。


「でも、ちょっと安心した。ピュリディ侯爵と会うことに緊張してるわけじゃないんだよね?」


「まあ、高級レストランよりは」


 もちろんまったく緊張していないわけじゃないが、ピュリディ侯爵と顔を合わせるのも子供の頃を含めればこれで四度目か五度目になる。リリィから俺に対して好意的な印象を持ってくれているとも聞いているし、変に身構える理由はない。


 ……いや、もしかしたら身構える必要があるかもしれないのだが、だとしたらより一層ドンと構えてなくちゃおかしな話だ。一番大きなハードルは、数日前に飛び越えてしまったのだから。今の俺に恐れるものは高級レストランくらいしかない。


 察するところがあったんだろう。ティアは俺の髪を撫でながら言う。


「リリィのこと、よろしくね?」


「ああ、任せてくれ」


 本当に良いのか、と葛藤する気持ちはまだ俺の中に残っている。だけどティアが認めてくれている以上、俺は自分の感情に素直になるべきなんだろう。リリィとレクティを他の男に渡したくない。この独占欲は紛れもない恋愛感情だ。


 ティアに髪を整えて貰っていると、約束の時間が近づいて来た。部屋を出る前に、自分の机の引き出しから小さな箱を取り出す。中身は以前、ティアにプレゼントする指輪を買った際に露店で一緒に買った翡翠の耳飾りだ。


 リリィのお眼鏡にかなうと良いんだが……。


 一抹の不安を抱えつつ、箱を胸ポケットに忍ばせる。ティアに見送られながら部屋を出て、俺は待ち合わせの校門前のベンチへ向かった。


 燕尾服を着て寮や学園内を歩くわけだが、すれ違う生徒の反応は特にない。と言うのも、王立学園に通う生徒の半数近くが貴族の子女だ。今日のような翌日が休みの日には、授業終わりに学園からパーティや社交界に出かける生徒も少なくない。


 俺が正装していたところでさほど目立ちはしないだろう。目立つのは深紅のドレスに身を包んだ絶世の美女――そう、待ち合わせ場所でリリィはめちゃくちゃ目立っていた。


 男女問わず社交界に出かけて行くだろう生徒全員の視線を集める彼女は、待ち合わせ場所に後からやって来た俺に向かって妖艶に微笑む。


「レディを待たせるなんて罪な男ね?」


「……すまん、遅くなった」


 待ち合わせの時間にはまだ少し余裕があるはずだが、素直に謝罪を口にする。これほどまでに美しい女性を待たせてしまっただけで、男としては罪悪感が湧いて来る。……なんて思ってしまうくらい、リリィのドレス姿には魅力が溢れていた。


「今日はその色のドレスなんだな」


「ええ。私にとっての勝負服だもの」


 リリィが身にまとっているドレスは、彼女がかつてレチェリーとの婚約発表の夜会に着て行ったドレスと同じ色をしている。細部のデザインが異なるからドレス自体は別物だとは思うけど、懐かしさと安堵の感情が込みあがる。


 待ち合わせ場所にしたベンチは、レチェリーとの婚約を控えた彼女から苦悩を打ち明けられた思い出の場所だ。あの時、リリィの婚約を阻止できて本当に良かった。


「似合ってるよ、リリィ。本当に綺麗だ」


「そ、そうっ。貴方に素直に褒められると、調子が狂ってしまうわ」


 普段は余裕たっぷりなリリィが時折見せる照れた表情が何とも愛おしい。もっと色んな表情のリリィが見たいなぁなんて思っていたら、


「……ん?」


 と、リリィが顔を顰める。彼女は俺のほうへググッと近づくと、俺の両肩に手を置いて端整な顔を近づけて来る。


「お、おいリリィ!? こんな所で何を!?」


 まさか大勢の生徒が行きかう王立学園の校門前でキス!? あまりに大胆過ぎる行動に動揺してしまう。そ、そりゃいずれ婚約発表的なことをしなくちゃいけないんだとは思うけど、余りに気が早すぎ――






別の女(ティア)の匂いがするわ」






「……へっ?」


 思わぬ発言に素っ頓狂な声を出してしまう。ティアの匂いって…………あ。


「ふふふっ、まさかお父様との大事なお話の日に別の女の匂いを付けて来るなんて。罪な男ねぇ、旦那様?」


「い、いや、違うんだ。これにはちゃんとしたわけがあってだな!? わけと言ってもただ単にティアに髪を整えて貰っただけで……っ」


 俺の言い訳を聞いているのかいないのか、リリィは翡翠色の瞳を少し細めて俺を見上げながら口元には妖艶な微笑を浮かべる。


「なるほど、ティアからの挑発というわけね? だとしたら、第二夫人として買わざるをえないわ、全力で」


「ちょっ――」


 待てと言う暇もなく、俺の唇はリリィによって奪われた。


 俺たちの様子を見守っていた周囲の生徒たちから湧き上がる歓声や黄色い悲鳴を遠くに聞きながら、明日からの学園生活に思いを馳せる。


 ……まあ、期末試験が終わったらすぐに夏休みだ。


 もうどうにでもなれー。


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