第178話:ルグリヒュラララ妊娠大事件(未遂)
王城からの帰り道。窓から差し込む街灯の明かりに照らされながら、俺とルーグは並んで馬車に揺られていた。帰りの御者はアリッサさんが務め、車内は俺とルーグの二人きり。周囲の視線を気にする必要がないため、身を寄せ合いながら指を絡めて手を握っている。
「…………ごめんね、ヒュー」
ぽつりと呟くようにルーグが謝る。
「急にどうしたんだ?」
「ヒューは、英雄なんかなりたくなかったよね……? ドレフォン大迷宮で黒竜に会っちゃったのはわたしが崖から落ちたせいだし、ヒューを英雄にしようとしてるのはお父様とルー兄さまだから……」
そっか、ルーグ……ルクレティアの視点から見ればそうなるのか。
俺が英雄扱いされることに、彼女は負い目を感じてくれているんだろう。ドレフォン大迷宮でルーグが転落しなければ、国王陛下とルーカス王子が俺を英雄に祭り上げる方針を取らなければ。言い出したらキリがないけど、そう思ってしまう気持ちはよくわかる。
だから、俺はここで一つルクレティアの誤解を解かなくちゃならない。
「俺は、ティアのことが大好きなんだ」
「ふぇっ!?」
ティアは紺碧色の瞳を見開いてかぁっと顔を赤くする。
「きゅ、急にどうしたのっ!?」
「いや、もし俺が英雄扱いされることにティアが負い目を感じてくれているなら、気にしないで欲しいなと思ってさ。……嬉しいんだ。どんな形であれ、ようやくティアに見合う男になれるんだから」
「……あ」
ティアも思い至ったんだろう。俺とティアの間には覆すことのできない身分の差がある。貴族とはいえ、俺は辺境の男爵家の生まれだ。とてもじゃないが王女と釣り合いが取れるような身分じゃない。
ルーカス王子の下で出世を重ねればいずれは……と考えていたけれど、途方もない年月が必要だった。王立学園卒業後も王都に留まり続けたとして、いったいどれだけの時間がかかったか。ティアを何年も、ともすれば何十年も待たせたかもしれない。
そうなればティアが俺を待ち続けてくれる保証もないし、王族の女性が政治的に貴重な存在であることを考えれば、いつまでも未婚というわけにもいかない。ルーカス王子が次期国王になれば、なおのことだ。
「俺たちが互いをどれだけ愛していても、政情次第で俺たちの関係は簡単に吹っ飛ぶだろ……? 英雄扱いは勘弁して欲しいって気持ちはもちろんあるけど、今はそれ以上にホッとした気持ちのほうが大きいんだ。国王陛下にも結婚のお許しを貰えたし、これでちゃんとティアをお嫁さんにできるんだから」
ティアの居ないプノシス領でのド田舎スローライフと、ティアと過ごす英雄扱いされる日々。理想はティアと過ごすド田舎スローライフだけど、片方しか得られないなら俺は迷いなく後者を選ぶ。
それくらい、俺はティアのことを愛している。
「国王陛下に意思を確かめられた時に今しかないって思ったんだ。勝手に話を進めてごめんな、ティア」
「……ううん。わたしは、すっごく嬉しかった! あ、でもヒューったら急にお父様に条件があるなんて言って交渉しだすんだもん。フィフさん凄い顔でヒューのこと睨むし、心配したんだからね?」
「それはマジですまん……」
正直、勇み足だった自覚はある。今が国王陛下の中で俺の価値が一番高くなるタイミングだと思って賭けに出た。勝算はあったわけだけど、国王陛下の逆鱗に触れて処刑なんてルートも可能性が全くなかったわけじゃない。
「それにっ!」
「それに……?」
ティアはぷくっと頬を膨らませ、俺の右腕にコアラのようにギュッと抱き着く。
「お父様へのお返事、わたしがしたかったのっ!」
「あー……」
俺との結婚について、国王陛下が「構わぬか?」と尋ねたのはティアじゃなくてメリィだった。入れ替わりの秘密を知らないフィフさんが居た手前、仕方がないとはいえメリィの返事が「構わぬです!」だったからなぁ……。
それで正式に俺とルクレティア王女の結婚が国王陛下に認められたわけだけど、ティアからすれば消化不良というか、納得がいかない部分があるのは間違いないだろう。
今から王城に戻って国王陛下に「やり直しさせてください!」とはさすがに言えない。だからせめて、ちゃんとティアに伝えよう。
「ルクレティア王女殿下」
ティアの左手を両手で包むように握りしめる。ティアは俺の言葉に膨れっ面を萎めて抱き着いていた腕から離れ、初めて王女として会った時のようなすまし顔になる。
「何でしょう、ヒュー・プノシス?」
「折り入ってお願いがあります。どうか、私と結婚していただけないでしょうか?」
改めて言葉にするのはめちゃくちゃ気恥ずかしい。黒竜に襲われているときは死を覚悟していたから恥も何もなかったけど、今はそうじゃないから顔がめちゃくちゃ赤くなる。
ルクレティア王女殿下は破顔して「はいっ!」と答えてくれる……かと思いきや、ムムムと考え込んでいた。あ、あれっ……?
「ヒュー、結婚したらわたしをどうしてくれますか?」
「ど、どうって……。も、もちろん幸せにしますっ!」
「どのように?」
どのように!?
まさかの質問に頭が真っ白になる。ティアの紺碧色の瞳はジィっと俺を見つめていた。
ティアを幸せにする。言葉にするのは簡単だ。ただ、実際にどのようにしてティアを幸せにするつもりなのか。すぐに答えられない自分に絶望する。
そうだ、結婚がゴールじゃない。むしろようやくスタートラインに立つんだ。結婚が幸せの絶頂なら、あとは転がり落ちるだけ。それは絶対に嫌だ。
でも、前世含め結婚どころか交際経験すらない俺には、具体的なイメージが全く思い浮かばない。だから、せめて……っ!
「君を、絶対に悲しませない! ティアの笑顔が好きだから、君の笑顔が曇ってしまわないように精いっぱい、誠実に頑張る! だから、その……どう、でしょうか?」
「……ぷふっ」
ティアは堪えきれなかった様子で噴き出す。
「おい」
「うふふっ。ごめんね、ヒューっ。ちょっとイジワルしたくなっちゃった。……でも、ヒューがわたしのこと本当に大好きなんだって伝わってきたよ?」
「……今からもっと伝えようか?」
「うん……っ」
こくっと頷いたティアの背中に手を回し、抱き寄せて顔を近づける。ティアは目をつむって首を伸ばした。
……アルコールも入っているからだろうか。今日はもう我慢できる気がしない。ブレーキの効きは過去最高に悪く、理性はいびきをかいて眠っている。このまま寮の部屋に戻ったら行き着く所に行ってしまうだろう。
結婚のお許しは出たんだ。ちょっとくらいなら……。
ティアと唇を重ねようとした、その瞬間。
――ドンドンドンドンドンドンッッッ!!!!!!!!
馬車の車体が連続で外から叩かれる。ハッとして音のほうへ視線を向けると、窓にべったりとアリッサさんが顔を張り付けていた!
「「ひぃっ!?」」
俺とティアは思わず互いを抱きしめあって悲鳴を上げていた。いくら知っている人とは言え、女が窓に張り付いていたらめちゃくちゃ怖いっ!
「学園に着いたッスよー、バカップルーっ! 乳繰り合ってないでさっさと降りるッスー!」
半眼でこちらを睨むアリッサさんは雑な言葉づかいで俺たちに下車を促す。ハッとして窓の外を見れば、馬車はとっくに王立学園に着いていた。
ヤバイ、まったく気づかなかった。
そそくさと馬車から降りると、アリッサさんは俺とティアの背後から近づいて肩に手を置いてくる。
そしてドスの利いた声で、
「いくら国王陛下が結婚の許可を出したからって、学生の内は羽目を外したら大問題ッスからねー? 男子生徒が妊娠して休学なんて王立学園創設以来の大珍事な上に、その正体があのお方だとバレたら国王陛下やルーカス殿下の顔に泥を塗りたくることになるッス。もしそうなったら、自分の首がどうなるかわかってるッスよねぇ?」
「は、はぃっ……!」
思わず首に手で触れてぶんぶんと頷く。〈洗脳〉スキルがバレても首が飛び、ルクレティアとの関係が進んでも首が飛ぶ。少なくとも王立学園卒業までは、健全で誠実な関係を維持しなくてはダメだ。……生殺しにも程があるっ!
「ルーグ少年も、目に余るようならヒュー少年との同室を解消して貰わなくちゃいけなくなるッス。ちょうど没落して一人部屋から退去しなきゃいけない元侯爵家の少年が居るッスからねぇ。彼をヒュー少年の同室にしたって良いんスよー?」
「そ、それはダメーっ!」
「じゃあ、節度ある関係を維持することッスね」
アリッサさんは俺たちの肩をポンと叩いて御者台に飛び乗る。「おやすみなさいッス~」と言いながら、馬車を片付けに行った。
残された俺たちは顔を見合わせ、
「えっと……。帰ろうか、ルーグ」
「う、うん」
ぎこちなく、並んで寮まで歩き出す。
寮の部屋に戻ってもさっきの続きをしようという雰囲気にはならず、普段通りの夜が過ぎて行ったのだった。