第177話:ヒュー「お義父さん、息子さんを俺にください!」ルーカス「僕!?」
英雄……。
とんでもなく面倒くさそうな響きに、嫌ですとぶっちゃけたくなってしまう。
でも、公表は避けられないよなぁ……。最大限の配慮はしてくれるかもしれないが、ドレフォン子爵の手記の信憑性を担保するためには黒竜を倒した英雄の存在が不可欠だ。
あんなデモンストレーションをしてしまった以上、いまさらロアンさんやアリッサさんに押し付けることもできない。まあ、わかっていたことだけど……。
「ヒュー……」
ルーグが俺の制服の袖をつかみ、心配そうな表情で俺の名前を口にする。俺の性格が目立ちたがり屋とは真逆なことを彼女は理解してくれているし、〈洗脳〉スキルという爆弾を抱えていることも知っている。
きっとルーグだけは、俺がどんな返事をしても味方で居てくれるだろう。
……そんな彼女だからこそ、俺は腹を括ろうと決意できる。
「……条件があります」
「ほう、交渉か。良いだろう、申してみよ」
ともすれば口にするだけで不敬に当たりかねない俺の言葉を、国王陛下は笑みを浮かべて受け入れる。配膳をしていたフィフさんがムッとした表情を見せたけど、国王陛下が手で制した。
「国の英雄に祭り上げられるのは、こうなった以上受け入れます。ですが、相応の褒美を頂きたいのです」
「無論、褒美は出すつもりだ。英雄に褒美を与えねば国王としての示しがつかぬからな。領地でも爵位でも、欲しい物を言うがいい」
「領地は要りません。自分にはプノシス領で十分です」
「ならば爵位を望むか?」
「本当に望む物を得るために必要であれば、謹んで賜りたく存じます」
「なるほど、本当の望みは爵位とも別にあるか。具体的に申してみよ、ヒュー・プノシス?」
国王陛下はもうとっくに、俺の本当の望みがなんであるか察しがついているだろう。だけど俺が言葉にしなければ、ここから先へは進めない。
「はっ!」
俺は椅子を引いて左膝をつき、国王陛下に頭を下げる。
そして――
「どうか私に、ルクレティア王女殿下を頂けないでしょうか!」
俺が心の底から望む願いを口にする。
英雄なんて絶対に面倒くさいし、嫌な思いだってたくさんすることになるだろう。今度こそと夢見ていたド田舎スローライフも諦めなくちゃいけないかもしれない。
それでも、ルクレティアと堂々と胸を張って結婚できるなら。それでも良いって、今はそう思う。そう思えるくらい、俺はルクレティアを愛している。
「面を上げよ、ヒュー・プノシス」
顔を上げると、国王陛下は俺の背後を見ながら穏やかな笑みを浮かべていた。
「汝の願いは理解した。黒竜ドレフォンの討伐は初代ドレフォン伯爵以来の大偉業だ。王家の血を与えるに相応しいだろう。そして、ルクレティアはドレフォン家の血を引いている。王族の血を褒美として求めるのであれば、これ以上の適任はおらぬ」
「……では」
「良いだろう。ルクレティアとの婚姻を、黒竜ドレフォン討伐の褒美とする」
「あ、ありがとうございます……っ!」
やった……! 国王陛下《お義父様》に結婚を認めてもらったぞ……っ! この場で小躍りしたくなるような高揚感と、口元がにやけてしまうほどの喜びを必死に抑え込む。
ルーグは……ルクレティアは今どんな顔をしているだろう。相談もなく話を進めたことを怒っているだろうか。それとも喜んでくれているだろうか。
「ルクレティアよ、構わぬな?」
国王陛下はその問いをルーグに扮したルクレティア……ではなく、ルクレティアに扮したメリィへ向ける。俺の背後では「は――っ」と言葉を発しようとしたルーグが慌てて口をつぐんでいた。
問われたメリィはと言うと、配膳された夕食を勝手に先に食べ始めており、口いっぱい頬張ってもぐもぐしていた。それをごくりと嚥下して、
「構わぬです!」
と口元にソースをつけながらニッコリ微笑みサムズアップする。
俺が結婚したいルクレティア王女殿下はこれよりもうちょっとだけお淑やかなんだけどな……。
……うん、こんなややこしい場面で言うべきじゃなかったかもしれない。
後悔する俺に国王陛下は苦笑しながら「よかったではないか。とりあえず座りなおしなさい」と声をかけてくれる。それに従って椅子に座り直して隣を見ると、赤く染めた頬をぷくーっと膨らませたルーグがこちらに濡れた瞳を向けていた。
言いたいことは色々ありそうだけど、フィフさんが居るから飲み込んでいる様子だ。お小言は帰ってからたくさん貰うとしよう。今はとにかく、ルクレティアと結婚できる。その嬉しさで胸がいっぱいだ。
「……もう」
抑えきれず口元が緩んでしまった俺を見て、ルーグも嬉しそうに微笑んでくれる。周囲から見えないように、俺たちは机の下で互いに指を絡めながら手を繋ぎあった。
「おめでとう……と、言うべきかな。兄の立場としては複雑だけどね」
俺のちょうど対面に座るルーカス王子は、わざとらしく肩をすくめる。
「君がたまに見せる度胸には毎度驚かされるよ。まさかルクレティアとの結婚を英雄扱いされる条件にして、父上と交渉するとは思わなかった」
「恐縮です、義兄上」
「面の皮の厚さにも驚かされるね」
ルーカス王子は呆れたようにため息を吐いて微笑んだ。
俺とルクレティアの関係は薄々察していただろうし、これまでの言動から密かに応援してくれていたのは何となくわかる。いつも俺やルクレティアをサポートしてくれる、頼りになる義兄上だ。そんな彼がこの場に居てくれたから、俺は勇気を出すことができた。
見た目や言動は胡散臭い人だけど、もはやルーカス王子以上に頼りになる人は思い浮かばない。いずれ何らかの形でお礼を伝えられたら良いんだけどな。後でルーグと相談してみるか……。
国王陛下に結婚の許しを得た後、食事とワインを楽しみながら具体的な話が始まった。
「黒竜ドレフォンの復活。そしてそれを君が討伐したという正式な発表は早くとも二か月先になるだろう」
国王陛下の言葉にステーキを切り分けていた手を止める。
「二か月も先ですか?」
てっきり明日か明後日には大々的に発表がされるものと思っていた。二か月先と言えば、ちょうど夏休みが終わる頃だ。
首を傾げる俺にルーカス王子が補足をくれる。
「昔からの習慣でね、これからの時期はちょうど貴族が避暑地や領地に戻るため王都から離れるんだ。王立学園も来週から夏休みだろう? 君を黒竜討伐の英雄として華々しく紹介するには、タイミングが悪いんだよ」
国王陛下やルーカス王子の思惑としては、貴族に俺を黒竜討伐の英雄として知らしめたいというわけか。でもその肝心の貴族が王都を離れてしまうから、発表の時期としてはタイミングが悪い。それで夏が終わって貴族が王都に戻って来るのが二か月後なんだな。
「理由は他にもあるのだ。ルクレティア《王族》を嫁がせるには、爵位が男爵ではいささか不釣り合いと言わざるを得ぬだろう。せめて伯爵でなければな」
伯爵……。リース王国の貴族階級では、男爵は一番下位にあたる。そこから順に子爵、伯爵、侯爵、公爵と上がっていくわけだが………。
「そこで、だ。黒竜討伐の功績として、まずはプノシス家を伯爵に格上げせねばなるまい」
「は、伯爵ですか!?」
「む、伯爵では不満か?」
「滅相もありませんっ!」
まさかの二階級特進に驚いてしまう。いや、こう言うと死んだみたいだけど……っ! プノシス家が伯爵になる日が来るなんて、父上腰を抜かしちゃうんじゃないだろうか。
「爵位を与えるには、当主であるプノシス男爵を王都へ呼び寄せる必要があるのだ」
「父上を、ですか……?」
「うむ。プノシス領への往復と準備期間を含め二か月というわけだな」
なるほど……。プノシス領はリース王国北東の端。王都から最も遠い領地だ。今から父上を呼び寄せようと思ったらどうしてもそれくらいはかかってしまう。
でも、そうか。父上が王都へ来るのか。距離が距離だから学園卒業までは帰らないつもりで居たし、三年は会えないと思っていた。家を出てたった三か月くらいだけど、久々に会えると思うとやっぱり嬉しいな。
「そうだ、父上。プノシス男爵への書状はヒューに届けさせてはどうです?」
「……へっ?」
「彼から事情を知らせたほうが、男爵への説明も簡単でしょう。ほら、彼もちょうど夏休みですから」
「なるほど、それはいい。ヒューよ、頼んだぞ」
ワインを飲んだからだろうか。国王陛下は上機嫌で俺の肩をバシバシと叩く。
「いや、あの……」
夏休みに帰る予定はありません……なんて言える雰囲気ではなく。
こうして俺の夏休みは、プノシス領との往復で潰れることが決まったのだった。