第176話:グッバイスローライフ宣言
重鎮たちやブルート殿下も去り、中庭に残っているのは俺たちだけになった。
王国騎士団が黒竜を模した造形物の片付けを始めるのをぼんやり見ていると、隣から小さく「くぅ」と音が鳴る。何の音かと視線を向ければ、ルーグが頬を赤く染めながらお腹を押さえていた。
「お、お腹空いちゃった……」
「そう言えば夕食まだだったなぁ」
思い返してみると、学食前でアリッサさんに声をかけられてそのまま王城まで連れて来られたんだった。国王陛下との謁見やら何やらですっかり忘れていた。
城に呼ばれた用件も済んだことだし、今から戻ればギリギリ学食が空いている時間に帰れるだろうか……? 一日くらい夕食を抜いても死にはしないけど、空腹で眠れなくなるのは避けたいところだ。
「ルーカス殿下、俺たちもそろそろ学園に戻りたいのですが」
「悪いけどもう少しだけ付き合ってくれるかい? 実は君たちの夕食も用意してあるんだ」
「俺たちの夕食を?」
「ああ。父上……国王陛下が君たちと食事がしたいと仰っていてね」
ルーカス王子の言葉に思わず国王陛下のほうを見ると、プライム侯爵と話し込んでいた陛下は俺の視線に気づいたのかこちらを見て気さくな笑みを浮かべる。
ま、まじか……。国王陛下と食卓を囲む日が来るとは思いもしなかった。
その後、ルーカス王子の案内で俺とルーグは王城のとある一室へ招き入れられた。そこは城に招かれた客人が陛下と食事をするための部屋らしい。
落ち着いて食事ができるようにという配慮からか、部屋の大きさはそれほど広くない。調度品や絵画などの装飾品も最小限。部屋の中央には白いクロスがかけられたテーブルがあり、上座にひときわ豪奢な椅子が用意されていた。
俺とルーグは並んで座り、対面にルーカス王子とルクレティア王女に扮したメリィが腰掛ける。するとすぐさま室内に控えていた執事服の若い男性に「お飲み物は何になさいますか?」と尋ねられた。
当たり前だけどメニュー表なんてものは無い。もしかしたら言えば何でも用意してくれるのかもしれないが、場の緊張感もあって言葉がすぐには出て来なかった。
「えっと……」
「この城で一番高価なワインを持って来るです!」
俺がまごついているとすかさずメリィがとんでもない注文をする。執事さんは表情をピクリとも変えず「よろしいですか?」と端的にルーカス王子へ尋ねた。
「三番目くらいにしておこうか」
苦笑しながら答えるルーカス王子に執事さんは一礼し部屋から退出していった。たぶん三番目に高価なワインでもとんでもない値段なんだろうな……。緊張で香りや風味を楽しむ余裕がないのが残念過ぎる。
「そう緊張しなくても、ここは公の場じゃない。多少の無礼は許してもらえるよ」
「いやまあ、そうかもしれませんが……」
どちらかと言えば、国王陛下との食事に緊張しているって言うよりも……。
ちらりと隣に座るルーグに視線を向ける。ルーグは緊張した様子もなく「ワイン楽しみだなぁ~」と目を細めていた。
……ドレフォン大迷宮での出来事をきっかけに俺とルクレティアは付き合い始めたわけで。何なら結婚の約束をしたわけで。つまり国王陛下は、彼女のお父様なのだ。
結婚のご挨拶……と言うわけではないけれど、俺が特別緊張してしまっているのはそれが理由に他ならない。
俺の視線で察したのか、ルーカス王子は「ああ、なるほど」と呟いた。
「それならなおさら緊張する必要はないかな。さっきの執事を憶えているかい? 彼は例の件については何も知らないんだ」
「例の件って言うと……」
幾つか頭の中に候補が浮かぶものの、今の状況から何となく正解がわかった。
テーブルを囲むのは俺とルーカス王子、そしてルーグとルクレティアに扮したメリィ。国王陛下は本物のルクレティアがルーグとしてこの場に居ることを知っている。だから本来なら、使用人であるメリィが同じテーブルに座っているのは不自然だ。
「彼の名はフィフ・ブライド。ブライド家は代々国王の身の回りの世話を務めているんだ。フィフの仕事ぶりは真面目だし、信用できないわけではないけど、秘密を知る者は少ないほうが良いからね」
ルクレティアが男装して王立学園に通っていることを知るのは、本当に限られた人物だけなのだろう。ルクレティア本人の言動には色々と危なっかしさを感じるけど、そう言ったところがちゃんと徹底されているからバレずに済んでいるんだな……。
「心配しなくても、父上が話したいのは別件だ。……まあ、そっちのほうが君にとっては難しいかもしれないけどね」
「……あー、なるほど」
ルーカス王子の言葉で色々と察しがついてしまった。
それからしばらくして、部屋の扉が開いて国王陛下が現れた。その後ろにはいかにも高級そうなワインを手に持ったフィフさんも付き従っている。
「待たせてしまったな。プライムの奴め、歳を取るごとに話が長くなって敵わん。すぐに食事を用意させよう」
国王陛下は上座の椅子に座り、起立していた俺たちに着席するよう手で促す。
腰を落ち着かせ、フィフさんが料理の配膳をしてくれるのを待つ。その間に国王陛下は俺に紺碧色の瞳を向けて来た。
「さて、君には幾つの感謝をしなければならぬかわからないな、ヒューよ。まずは先ほどの件からだ。おかげで方針を取りまとめることが出来た。感謝するぞ」
「いえ……、お役に立てたなら何よりです」
人をモンスターに変えるようなヤバイ薬品をばら撒いたり、過去に大災厄をもたらした黒竜ドレフォンを復活させたりするような奴が暗躍しているのが今のリース王国の現状だからな……。
ルーカス王子と王国騎士団だけでなくリース王国が一枚岩になって対策を考えるのは必須だったと思う。その一助になれたなら、化け物扱いされた甲斐もあったというものだ。
「リース王国は今後、ビクティムが残した手記を真実として先々の方針を決定して行くことになる。その上で、君が黒竜ドレフォンを討伐した事実は公表せざるをえぬだろう。今日、この場に君を招待したのは、君の意思を確認するためだ」
「俺の意思、ですか……?」
「うむ。ヒュー・プノシスよ。黒竜ドレフォンを討伐した者として、君の存在を国内外に示したい。どうかこの国の、英雄となってくれないか?」