第166話:眠れない定めの美男(ルーカス三人称視点)
一仕事を終えて時計を確認すると、短針と長身がちょうど重なる時刻になっていた。ルーカスは一度大きく伸びをする。それから目隠し越しに目頭を押さえ、ゆっくりと肺に溜まった息を吐いた。
場所はドレフォン家の屋敷の応接室。領主を失ったドレフォン領の混乱を最小限に抑えるべく、ルーカスは方々に手を尽くしていた。
政務の引継ぎや周辺領主への根回しはもちろん、ビクティムの蛮行によって領民や使用人たちが無実の罪を着せられないための手立ても考えなくてはならない。
(伯父上の断罪は避けられないだろう。だけどそれはきっと、伯父上が望んだことでもある)
『私はおそらく死ぬだろう。これはせめてもの抵抗だ』
ビクティムの手記に残されていた最後の一文。そこに込められた想いを汲み取るべく、ルーカスはここ数日寝る間を惜しんで準備を進めていた。
その甲斐もあってなんとかドレフォン領を出立しなければならない期日に間に合った。明日の早朝には王都に戻らなければならなかったため、ルーカスはホッと胸を撫で下ろす。
出立の時刻までまとまった睡眠時間を確保できそうだ、なんて考えながら立ち上がってふと視線を窓の外へ向ける。応接室の窓からは屋敷の庭園を見下ろすことができた。
月明りに照らされた庭園の中央。そこに設置された小さな噴水の傍に一人の少女がたたずんでいた。月光を浴びてキラキラと輝くのはシルバーがかった灰色の髪。メイド服に身を包んだ小柄な少女は、右手をそっと月に向け伸ばしている。
ルーカスは目隠しを外して、その少女の姿を観察する。それから重苦しいため息を吐いて応接室を後にした。向かうのは屋敷の庭園、少女の元だ。
虫の音と噴水の水音の中にコツコツと足音が響く。それに気づいたのだろう、少女は月へ伸ばしていた手を引っ込めてルーカスへと振り返った。
「こんばんはです、殿下」
「やあ、メリィ。こんな夜更けに何をしているんだい?」
「月を見てたです」
メリィの背後。夜空に浮かんだ月は、満月から少しだけ欠けている。楕円に近い形状の月だ。メリィはそれに向かって再び手を伸ばす。その姿はルーカスに妹の姿を思い起こさせた。ルクレティアもよく、今のメリィと同じように月に向かって手を伸ばしていたのだ。
「死んだ人の魂は月に行って、私たちを見守ってくれているんです」
「……それは、誰から聞いた話かな?」
「ママです」
メリィは懐かしそうに微笑んで、再びルーカスの方へ振り返った。紺碧色の大きな瞳に見つめられ、ルーカスは小さく息を吐く。
(自分の瞳が、見たくないものほどよく見えるとわかってはいたけどね。《《まさかこんなものまで見えてしまうとは思わなかった》》)
目隠しを外したルーカスの瞳に映るのは、メリィの頭上に浮かんだ文字列。そこには、彼女の本当の名前が記されていた。
――《《ルー・プノシス》》、と。
見えたのはここが初めてではない。初めにその名を目にしたのは、マリシャスの件で神授教との話し合いを終え国王に報告した後、第二王子ブルートとの疲れる会話を終えて自室に戻りクッキーをつまみ食いするメリィを目撃した時だ。
その時は疲れていたこともあり、彼女に直接追及はしなかった。その後に何度かメリィをヒューと接触させ、彼女がヒューの関係者である可能性を探ったが、ヒューの反応を見る限りではその可能性は低そうに思えた。
プノシス家の親類縁者が王都に居ないことも調査済みだ。そしてプノシス家にルーという名の少女も居ない。隠し子や養子という線も調べさせたが、叩いても埃は出なかった。
さらに言えば、メリィという名の少女の記録もまたどこにも残されていなかった。平民の出だと語った彼女だが、それを証明する記録は存在せず証言する者はどこにも居ない。
出自不明の少女はレチェリーの屋敷に忽然と現れ、ルーカスの懐に潜り込むように専属メイドという地位に納まっている。冷静に考えると、あまりに不自然な話だ。
(ルクレティアに似ているから替え玉として利用価値はある。だけど、今にして思えば迂闊すぎた)
替え玉とするだけならまだいい。だが、実態は専属メイドとして常に行動を共にさせ、自室への出入りも自由にさせていた。彼女がその気なら、ルーカスを暗殺する機会はいくらでもあっただろう。
そうなっていないということは、少なくとも彼女の目的は別にある。
その目的はおそらく、彼女の正体と密接に関連しているはずだ。
「何が見えたです?」
見透かしたかのような問いにルーカスは肩をすくめる。
「君の本当の名前だよ、ルー」
そう答えると、それまでメリィと名乗っていた少女はメイド服の裾をつまんで優雅に一礼した。貴族令嬢としてしっかりと教育を受けた者の所作だ。
「プノシス領領主《《ヒュー・プノシスの娘》》ルーと申しますです」
「……ヒューの娘、か」
「はいです、ルーカス伯父様っ」
ニッコリと微笑むルーに、ルーカスは額に手を当てて重苦しいため息を吐いた。
(いや、わかっちゃ居たけどね?)
愛する妹の娘なんて、ルーカスが見たくないものの筆頭である。スキルがルーの名前を見せて来て、彼女の家名がプノシスだった時点でルーカスもある程度は察していた。
とは言え、ヒューとルクレティアの娘がなぜ今この瞬間に目の前に存在しているのかは甚だ疑問である。スキルが見せて来た以上は彼女の言葉に嘘はないだろう。だが、彼女の存在は荒唐無稽と言う他ない。
「念のため確認するけど、君はルクレティアとヒューの娘で間違いないんだね?」
「はいですっ! ルクレティアとヒューの娘です!」
「……だけど、僕が知るルクレティアはまだヒューと結婚もしていなければ子供も産んでいないはずだ。君の年齢を考えても、二人の娘であるはずがない…………けど」
常識的に考えれば、ルーは嘘を言っていることになる。だが、ルーカスはその常識の埒外にあるスキルを知っていた。
「〈洗脳〉スキルは、時間すらも超越するか」
ルーカスの呟きにルーは儚げに苦笑する。
「リンゴ一つを数分前に飛ばすだけで、死にかけるような酷いスキルですよ」
スキルの使用にはその力に応じた反動が現れる。例えばルーカスのスキルであれば目から頭にかけての痛みが、〈聖女〉スキルの治癒の力には疲労と倦怠感が伴うように。
「…………なら、君を未来から過去へ飛ばしたヒューは」
「わからないです」
ルーはキュッと唇を結んで静かに首を横に振る。
時間を超越するスキルの反動がどれほどのものか、ルーカスには計り知れない。だが少なくとも、リンゴよりも遥かに大きくて重い存在を十数年以上過去へと飛ばした後の反動がリンゴのそれと同じであるとは思えなかった。
「ヒューが命を賭して娘を過去へ送るだけの何かが、この先の未来に待ち受けているということかな」
ルーはこくりと頷いて、視線を自身の背後へと向ける。その先の庭園の植木の陰から、二人の人影が現れた。王立学園の校外演習に同行していた二人組の冒険者リューグとティーナだ。
並んで立つ三人の顔を見比べて、ルーカスは「なるほど」と頷く。彼女らの顔立ちにはそれぞれ、ルーカスが知る少女たちの面影がある。どうやらヒューが未来から過去へ送った子供は一人ではなかったようだ。
ヒューの子供たちは決意と悲壮に満ちた表情を見せる。それだけで、彼女らが過ごしてきた未来がろくでもないものだということはありありと伝わってきた。
「ルーカス伯父様、私たちは未来を変えるために来たです。私たちに協力して欲しいです」
「…………首を縦に振るには君たちが言う未来を知る必要がある。けど、一から十まで聞いていたら夜が明けてしまいそうだ」
さすがにこれ以上の徹夜は命にかかわる。明日の早朝に出立しなければならないことを考えても、今はとにかく布団に入って眠ってしまいたい。
「だから一つだけ聞かせてくれるかい? 君たちが知る未来で、僕がどうなったのか」
夜空に浮かんでいた月を、流れてきた雲が覆い隠す。月明りが消えた庭園は影に覆われ、暗闇の中でゆっくりとルーは言葉を紡いだ。
「ルーカス伯父様は今から二か月後、国王陛下暗殺の罪を着せられて処刑されるです」
「……なるほど、そう来たか」
ルーカスはそう呟くと、小さくため息を吐いた。
(眠れるのは、もう少し先になりそうだ)
【第三部:完】