第165話:私のお墓の前でいちゃつかないでください
ドレフォン大迷宮の一件から二日後の昼下がり。俺とルクレティアは馬車に揺られてある場所を目指していた。そこは小高い山の中腹にあるらしく、馬車は細い山道をゆっくりと進んでいる。
少し前に崩れたという箇所に差し掛かり、馬車が大きく振動した。
「きゃっ」
その衝撃でルクレティアが俺のほうに倒れ掛かってくる。
「大丈夫か?」
ドレスに身を包んだ細い体を抱きとめると、ルクレティアは「ありがとう」と呟いて微笑む。その笑みには愛らしさだけじゃない、高貴な雰囲気も含まれていた。
そう、今の彼女はルーグではない。リース王国第七王女ルクレティア・フォン・リースとして俺の隣に座っている。
あぁ……、このドレス姿も可愛いなぁ。白を基調としたドレスは入学式の翌日、ルーカス王子に王城へ呼び出された時に見たきりだ。普段は見られない可憐さが新鮮で思わず見惚れてしまう。
気づけば俺とティアは見つめあっていた。ともすればそのまま唇を重ねそうな雰囲気。
「お姫様と竜殺しの英雄。お似合いのカップルなのです……!」
それを打ち消してくれたのは対面に座るメリィだった。ティアに顔立ちがそっくりなメイド姿の少女は、灰色がかった髪の二つの結び目を両手でギュッと握りしめ、どこか興奮した様子で俺とティアを見ている。
その隣ではルーカス王子が目隠しをしていてもわかるほどうんざりした表情を俺たちに向けていた。
「いちゃいちゃするなとは言わないけど、節度は守ってくれるかな?」
「「ご、ごめんなさい……」」
頭を下げる俺たちに「まったく……」とルーカス王子はため息を吐く。
「まあ、今さら君たちの関係をとやかく言うつもりはないよ。ヒューもそれに見合うだけの手柄を挙げてくれたしね」
「俺が倒した黒竜は、やっぱりドレフォンだったんですか?」
「伯父上の手記を信じるならそうだろう」
ルーカス王子の手には一冊の手帳があった。そこには黒竜ドレフォンを復活させて討伐することで、ドレフォン家を再興するというとんでもない計画が記されていたらしい。
バルリードの町から感じた印象や、昼食会で見たドレフォン子爵の様子からは想像できないほど大それた計画だ。ルーカス王子は言及しなかったけど、何者かが裏で糸を引いていたんじゃないかと疑ってしまうが……俺の考えすぎだろうか。
「黒竜の討伐は僕らの母方の先祖、ドレフォン家の初代当主以来の偉業だ。平民出身の一冒険者が家名と伯爵位を賜った前例を踏まえると、順当に考えれば貴族の君には辺境伯の地位と王家の血が下賜されるに相応しいだろう」
それはつまりルクレティアと大手を振って結婚できるということ。……だけど、話はそう簡単ではないだろう。
「順当に考えればの話ですよね……?」
俺が確認するように問い返すと、ルーカス王子は満足した様子で頷く。
「その通り。最大の問題は君の手柄を証明する物がこの手記しかないというところだね。黒竜の姿を見たのも君たちだけだ。厄災を未然に防いだと言えば聞こえはいいけど、それを証明できなきゃ手柄にはならない」
例えば黒竜ドレフォンが復活し町の二つや三つ滅ぼした後ならば話は違っただろうね、とルーカス王子は肩をすくめる。
もし俺たちが黒竜と出会わず、あのまま黒竜が外に出ていればどれだけの悲劇が生まれていただろうか……。
何となく、町の二つや三つじゃ済まなかったんじゃないかと思う。それを考えると、たとえ手柄にならなかったとしてもあのタイミングで黒竜を倒せたのは幸運だったと言う他にないだろう。……ちょっぴり残念だけど、こればっかりは仕方がない。
「むぅ。ヒューと結婚できると思ったのに……」
ルクレティアは不満そうにぷくっと頬を膨らませる。
「まあ、そこは父上がこの手記を見てどう判断するか次第だろう。場合によっては、ヒューを竜殺しの英雄に祭り上げることだって無いとは言い切れない」
「それはそれで勘弁してもらいたいんですが……」
ルクレティアと結婚できるならそりゃ嬉しいけど、英雄として政治の道具にされるのはなるべく避けたい。理想はあくまでティアたちとのんびり過ごすド田舎スローライフだ。
「君ならそう言うと思ったよ、ヒュー。詳しい話は王都に戻ってからにしようか。どうやら着いたようだ」
馬車が停車して扉が開く。
そこは山中にある開けた高台だった。ドレフォン領とバルリードの町を見下ろせるその場所には四つの石が並んでいる。石の前にはそれぞれ、白色の花が供えられていた。
ティアとルーカス王子の祖父母と伯母、そしてお母さんのお墓が並んでいるようだ。供えられている花は新しく見えるし、お墓の周りは入念に手入れされている。
きっと、バルリードの住民が足しげく通ってくれているのだろう。ドレフォン家の人たちが領民から慕われていた証拠だ。
ルーカス王子とルクレティアは護衛の王国騎士たちが見守る中、墓石へ順番に花を供えて祈りを捧げる。そうして最後の墓石の前で、二人は衣服が汚れるのもいとわず膝をついた。両手をそっと胸の前で組み合わせ、瞼を閉じて頭を下げる。
墓石に刻まれた名は『ルティアナ』。ティアとルーカス王子のお母さんの墓石だ。
祈りを捧げる二人の後ろで、俺も二人に倣って祈りを捧げることにした。隣ではなぜかメリィも同じように祈りを捧げている。まあ、別にツッコミを入れるほどじゃないか。
手を組んで目を閉じる。
ティアのお母さんはいったいどんな人だったんだろう。
不思議と白くて長い髪が頭に思い浮かんだ。ティアに似て小柄で、愛嬌のある可愛らしい人だったに違いない。それでいてルーカス王子のような聡明さも併せ持っていたんじゃないだろうか。
――ルティアナさん、初めまして。プノシス領領主マイク・プノシスの息子ヒューと申します。ティアとは王立学園で出会い、驚かれるかもしれませんが諸事情でルームメイトとして寮生活を共にする仲です。彼女の明るい笑顔と、愛らしい仕草。そしてなりより、俺のことを受け入れてくれた彼女の優しさを俺は愛しています。ティアは俺が必ず幸せにします。だからどうか、ティアのことをこの先もずっと見守ってあげてください。
瞳を開くとちょうどルクレティアとルーカス王子が立ち上がって振り返ったところだった。
馬車へと戻る道すがら、ルクレティアは俺の左隣に並んで微笑みながらこちらを見上げてくる。
「お母さまに挨拶してくれてありがと、ヒュー」
「いいや、こっちこそありがとな。挨拶ができてよかったよ」
本来なら部外者である俺を、ティアがルーカス王子を説得して連れて来てくれたのだ。こういう機会でもなければ、ルティアナさんの墓前に手を合わせることはなかっただろう。一方的にはなってしまったけど、ルクレティアを幸せにすると誓えてよかった。
「わたしもお母さまにヒューを紹介できたよ。どんなふうに紹介したか聞きたい?」
ティアはいたずらっ子のような笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んで来る。首を縦に振ったらきっと赤面が避けられないような恥ずかしい内容を聞かされる羽目になるんだろう。
「せ、せめて二人きりの時に頼む……」
「ふふっ。じゃあ学園に戻ったら教えてあげるね?」
ティアは満足そうに微笑んで俺の左手に右手をこっそりと重ねて来る。互いの指を絡ませあって、俺たちは周囲に気づかれないように恋人つなぎをした。
その直後、一陣の風が吹き抜ける。
――こらっ!
「きゃっ」
「うわっ」
突風に思わず身をかがめ互いの手を放してしまう。風が通り過ぎた方角、背後を振り返るとそこには白くて長い髪の女性が腰に両手を当てて立っていた…………ような気がした。
い、今のは……?
どうやらティアにも見えたようで、彼女は紺碧色の瞳を大きく見開いている。
「お母さま……?」
ポツリと呟く。やっぱり今見えたのはルクレティアのお母さんだったのか……。
本当にルクレティアそっくりの小柄で可憐な女性だった。ぷくっと頬を膨らませた顔は、ティアがするそれとまるっきり一緒だ。これだけハッキリ見えたのだから、幻覚の類ではないんだろう。
……怒ってたよなぁ、ルティアナさん。
だとしたらさっきの突風は、俺たちの軽率な行動を咎めるためだったのかもしれない。
「おーい。二人とも何をしているんですかー? 馬車が出ちゃいますですよー?」
馬車の傍でメリィが俺たちを呼んでいる。俺とルクレティアは顔を見合わせ、一度お墓のほうに頭を下げてから馬車へと向かった。
ばつの悪さから手を繋がなかったのは、言うまでもない。