第164話:君を好きでよかった
「ヒュー・プノシス。お前のスキルは〈聖女〉だ」
洞窟の奥からティアが見つけて来てくれた薄紫色の水晶石。そこに映り込んだ自分の顔を覗き込み、〈洗脳〉スキルを発動する。
スキルが切り替わった感覚に、俺は安堵の息を吐いた。
あ、あぶねぇー……。何とか出血多量で意識が飛ぶ前に間に合った。
「〈治癒〉」
スキルを発動して傷を癒しながら、黒竜が消えた後のことを思い出す。
ティアの瞳に反射した自分の姿を見て〈洗脳〉を解除することは出来たのだが、その後同じようにティアの瞳を覗き込んで自分に〈洗脳〉スキルをかけようとしたら今度は上手く行かなかった。
どうやら〈洗脳〉スキルの判定ではティアと目が合ったということになるらしく、何度繰り返しても俺ではなくティアに〈洗脳〉がかかってしまったのだ。
俺以外のスキルも自由に変えられたら良かったんだが、それができないのはリリィとロザリィで実証済みだ。変な所で融通が利かないんだよなぁ、俺の〈洗脳〉スキルは。
こうなってはもう自分でどうすることもできず、動けない俺の代りに一か八かティアに鏡の代替になりそうな物を探してきてもらった。水晶石が見つかったのは本当に幸運だったな……。もし何も見つからなかったら、俺はこのまま野たれ死んでいただろう。
「ヒューっ!」
傷が癒えるのを見ていたティアが、居ても立っても居られない様子で抱き着いて来た。
「よかった! よかったよぅ!」
「ぐふっ……。し、心配かけてごめんな、ティア」
まだ治癒が終わっていないから右肩がめちゃくちゃ痛いけど、我慢してティアの小さな体を抱きしめる。金木犀に似た甘い香りと優しい温もりが、心と体を優しく包み込んでくれた。
ティアは俺の怪我を見て泣きそうになりながら鏡の代りを探しに行ってくれた。俺の怪我が治っていくのを見て安堵し感情を抑えきれなくなったんだろう。
「ありがとう、ティア」
「わたしのほうこそ、守ってくれてありがとう」
傷が癒えるまでの間、俺たちは互いの温もりを確認しあうように抱きしめあい続けた。この幸せがずっと続けばいいのにと願わずには居られない。
……だけどまあ、ダンジョンの奥底で呑気に幸せに浸っているわけにもいかないだろう。黒竜は消えたけど、いつ他のモンスターが襲って来るとも限らないのだ。
傷が癒えて右肩と左足が動くようになったのを確認し、俺はティアに支えて貰いながらゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫そう?」
「ああ、問題ないよ」
血を流し過ぎたからか少しふらつくけど、これくらいなら問題ない。目の痛みもほとんど感じない程度にはなっているし、右肩と左足の痛みはすっかり消えている。
「すごいね、ヒューのスキルって。レクティみたいに傷を癒しちゃうんだもん」
「そりゃレクティと同じスキルに切り替えたからな。けど、〈洗脳〉スキル自体はやっぱり危険なスキルだよ」
スキルを切り替え放題な上に、他人を支配して意のままに操る最強のチートスキル。使い勝手の悪さはあるけど、悪用しようと思えばいくらでも出来てしまう。こんなスキルはこの世に存在しないほうがいいに決まっている。
なんて俺が言うと、ティアは不満そうにぷくっと頬を膨らませた。
えっと……、気に障るようなことを言っちゃっただろうか?
「許さないって言ったもんっ」
「えっ、それは俺が嘘をついたからだろ?」
「それもあるけど、ヒューはもっと自分を信用してあげるべきだと思う! 〈洗脳〉スキルは危険なスキルかもだけど、それは他のスキルでも一緒でしょ?」
「そんなことは……」
「使い方次第だよ。〈発火〉は人を燃やしたり家に火を付けたりできるし、〈戦略家〉はストーカーし放題だし」
「本当に使い方次第だな……」
リリィが聞いたら「そんな使い方するわけないでしょう!?」って怒りそうだ。俺だってティアの例え話じゃなかったらムッとしていただろう。
…………あぁ、そっか。だからティアは怒っているのか。
「わたしが大好きなヒューは、〈洗脳〉スキルを悪用したりしないもんっ!」
ティアから伝わってくるのは純度百パーセントの信頼。俺なら絶対に〈洗脳〉スキルで悪さをしない。だから〈洗脳〉スキルを悪し様に言うのは、ティアにとって俺を貶しているに等しいんだろう。
…………そっか。今までのみんなも。
リリィも、レクティも、イディオットも。〈洗脳〉スキルを受け入れてくれたわけじゃなくて、俺という人間を受け入れてくれたんだ。
神様から〈洗脳〉スキルを授かってただひたすら困惑した。正直に言えば、悪用しようと考えたことがなかったわけじゃない。
だけどそのたびに理性で衝動を押し殺して、こんな邪悪なスキルを持ってしまったからには、健全誠実に生きなきゃいけないって自分に言い聞かせ続けた。
ティアの言葉で、その努力が報われた。〈洗脳〉スキルを持つ俺という存在を、俺自身が今ようやく受け入れられた気がする。
「ありがとう、ティア」
気づけば、目からぽたぽたと涙が溢れ出してしまっていた。いやいや、好きな女の子の前で泣いちゃうなんて情けなさすぎるだろ、俺……っ!
「えへへ。どういたしまして!」
袖で涙を拭う俺に、ティアは優しく微笑む。俺の頭を撫でようとしたのか、爪先立ちになって手を上に伸ばそうとしたから、俺は膝を折って素直にそれを受け入れることにした。
優しい手つきで頭を撫でてくれるティアの右手の薬指には、小さなアイオライトが埋め込まれた指輪がつけられている。
本当に情けなくてかっこ悪いなぁ、俺。
でも、そんな俺を受け入れてくれるティアが本当にたまらなく愛おしい。
抱きしめてキスをしたい衝動は必死に抑え込んだ。泣きながらキスをせがむ男はさすがにキモ過ぎる。
しばらくティアに慰められてようやく落ち着きを取り戻した俺は、とりあえずさっき落ちて来た大穴に戻ることにした。
大穴は暗いから、先にスキルを〈浮遊〉に切り替えておく。片足じゃ無理だったけど、両足で全力ジャンプすれば落ちた高さくらいならティアを抱えていても届くはずだ。
ティアをお姫様抱っこし、思い切り地面を蹴って飛び上がる。体はふわりと宙に浮かんで、そのまま上へ上へと昇って行った。真っ暗闇だった穴底から上昇していくにつれ次第に周囲は明るくなっていく。
これなら余裕で野営していたところまで戻れそうだな……と思っていたのだが、ふわりふわりとヘリウム風船のように昇っていく体は、このままだと野営をしていた崖の高さをゆうに飛び越えてしまいそうだ。
「ねえ、ヒュー。このまま外に出ちゃうのはどうかな?」
「外に?」
「お月様が綺麗に見えるかなぁって。……だめ?」
可愛らしく小首をかしげるティアにダメなんて言えるわけがない。
「しっかり掴まっててくれよ?」
「うんっ」
ティアは俺の胸元をギュッと握りしめ、首筋に頭を押し付けてくる。銀色のサラサラな髪が頬にあたってこそばゆい。甘い金木犀に似た香りに包まれて頭がくらくらしそうだ。
彼女の小さな体を落とさないようしっかりと抱きしめて上を目指す。上昇の勢いは落ちているから、大穴から外へ出たらすぐに落下が始まるだろう。
ダンジョン内の息が詰まるような冷たい空気から、夏の温かくも心地いい夜の空気へと変化する。
月明かりに照らされながら、俺たちは満点の星空へと身を躍らせた。
「わぁ……!」
夜空に浮かぶ大きな月が、手を伸ばせば届きそうなほど近くにある。感嘆の声を漏らして手を伸ばすティアの紺碧色の瞳は月光を反射してキラキラと輝いていた。
彼女の横顔に思わず見惚れていると、俺の視線に気づいたのかティアがこちらを振り返って微笑む。
「綺麗だね、ヒュー!」
「ああ、そうだな」
君のほうが綺麗だよ、なんて言いそうになって自重した。さすがにそのセリフはちょっと気恥ずかしいうえに臭すぎるだろう。
だけど、溢れ出してくるこの感情を言葉にしたくてたまらない。
「ティア、好きだよ。君に出会えて、本当によかった」
「ふふっ。わたしも! ヒューに出会えて、今すっごく幸せだよっ!」
どちらともなく顔を近づけて、唇を重ねあう。
俺たちはそのまま、ゆっくりと大穴に落ちていったのだった。