第163話:アリシセあると思います(三人称視点)
ドレフォン大迷宮の内部から響き渡った咆哮を聞いたアリッサの行動は迅速だった。
野営していた王立学園一年A組の面々を集めてダンジョンの出入り口の崖上に避難させ、自身は副担任であり後輩のシセリーと冒険者たちと共に、ダンジョンの出入り口前に布陣する。
そして咆哮に驚いてダンジョンから飛び出して来たモンスターを万全の態勢で迎え撃った。
ダンジョンから溢れ出たモンスターたちを初めに襲ったのは真上からの投石だ。アリッサは一年A組の生徒たちに安全な崖上で拾い集めた石をモンスターへ向かって投げ落とすよう指示を出していた。
普段は剣を握らないような少女でも、ある程度の高さから石を落とすだけならばそれなりの戦力になる。さらに彼らは王立学園に優秀な成績で合格したエリートたちであり、クラス対抗戦や今回の校外演習でそれなりにモンスターとの戦闘経験を積んでいる。
投石だけでなく炎や水など様々なスキルが頭上から降り注ぎ、モンスターの数を減らしていく。……とは言え、ダンジョンから溢れ出したモンスターの数は尋常ではない。投石やスキルの弾幕をすり抜けたラプトル型のモンスターがアリッサたちの元へ殺到する。
「やれやれ。尻拭いさせられるこっちの身にもなって欲しいッスねぇ、まったく」
「尻拭い、ですか?」
「こっちの話ッスよ~、シセリーちゃん。それより、甘っちょろい聖騎士になって腕は鈍ってないッスよね?」
「ええ、もちろんです。先輩に叩き込まれた剣術はそう簡単に錆びませんよ」
「それはそれは。なかなか嬉しいこと言ってくれるッスねぇ」
アリッサは頬を綻ばせながら突っ込んできたモンスターをひらりと避けて、すれ違いざまに首を切り落とす。シセリーもアリッサに酷似した剣の構えで向かって来るモンスターを確実に屠って行った。
(やっぱり先輩は凄い……!)
シセリーは視界の端で踊るように剣を振るうアリッサに感嘆の息を漏らす。久々に見た彼女の剣技は、シセリーが知る王立学園時代からより研ぎ澄まされていた。
アリッサの強さは型にはまらない変幻自在な剣術と、それに相反するかのように洗練された所作にある。適当に剣を振っているようで、その動きは気が遠くなるほどに繰り返された反復練習によって身に付けられたものなのだ。
聖騎士の中にも強い剣士はたくさん居た。だけど、アリッサこそがシセリーが出会った剣士の中で最も強いと断言できる。
シセリーはアリッサの邪魔にならないよう少し距離を取り、彼女が倒しそびれたモンスターを確実に仕留める動きにシフトした。他の冒険者たちもシセリーと同様に戦い方を変化させる。
獅子奮迅の活躍を見せるアリッサ。それをフォローするシセリーと冒険者たち。ダンジョンから溢れ出たモンスターは彼らによって着実に数を減らしていった。
モンスターの屍の山が二つ三つと築かれ始めた頃、不意にモンスターの数が減り始める。剣に付着した血を払い捨てたアリッサは不思議そうに首を傾げた。
「おかしいッスね。もう打ち止めなんてことはないと思うんスけど」
ダンジョンから溢れ出て来たモンスターはせいぜい百体程度。ドレフォン大迷宮の規模から考えればあと五倍は出て来ても不思議ではない。
更なるモンスターの襲来を予感させるアリッサの言葉にシセリーと冒険者たちは吐きそうな顔をするが、アリッサは疲れ一つ見せずけろっとした表情で空を見上げた。雲一つなく月と星々が綺麗に輝く夜空は平和そのものだ。
「シセリーちゃん、さっきの咆哮ってあれ以降聞こえて来てないッスよね?」
「え、ええ。そのはずです」
「……じゃあ、もしかしたらもしかするかもしれないッスねぇ」
アリッサはふふっと微笑み、ダンジョンの出入り口へ視線を向ける。するとその時、ダンジョンの中に動く影が見えた。
武器を構えるシセリーと冒険者たちをアリッサは手で制する。ダンジョンから出て来たのは、イディオットやリリィたちだ。彼らは一様に憔悴しきった表情で、リリィに至っては目元を赤く腫らしている。
「レクティ! リリィ様とイディオット様もっ! ご無事だったのですわねっ!」
崖上に避難していたロザリィが、彼らの姿を見て嬉しそうに声を上げる。けれどすぐに、彼女は表情を強張らせてイディオットたちに尋ねた。
「ルーグ様とヒュー様は、ご一緒ではありませんの……?」
彼らと共にダンジョンに潜っていたはずのヒューとルーグの姿がそこには無かった。ロザリィの問いに、彼らはすぐには答えられず俯いて唇を噛みしめる。
そんな中、リリィは目尻に涙を浮かべ、アリッサに縋り付いた。
「アリッサ先生! ヒューと……ルーグが!」
リリィは気が動転した様子で何度も言葉を詰まらせながら、ダンジョンの内部で起こった出来事をアリッサに報告する。第五層で野営中、咆哮によって大穴が崩れてヒューとルーグが巻き込まれたこと。ダンジョンの奥深くに強力なモンスターが出現しモンスターパレード発生の危惧があることなど。
ちらりとリューグとティーナの表情を伺う。彼らは二人ともこの世の終わりのような絶望に満ちた表情を浮かべていた。
(あー……、どうやら想定外だったっぽいッスねー……)
二人から事前に聞いていた話では、数年後に復活しリース王国を壊滅させる黒竜ドレフォンを復活前に討伐すべく、ヒューを黒竜が眠っているだろうダンジョンの最奥まで案内するとのことだったのだが……。
(二人が知る歴史より早くドレフォンが復活しちゃったって感じッスかね)
何となく状況を把握したアリッサは、「早く二人を助けに……!」と懇願するリリィに問いかける。
「そんじゃ、まずは安否確認をしなくちゃッスよね、リリィ嬢?」
「そ、れは……」
「まさか怖いなんて甘ったれたことは言わないッスよね? 居場所がわからなきゃ、ヒュー少年とルーグ少年を助けに行けないッスよ?」
「……っ」
リリィは大きく目を見開き絶句する。
キツイ言い方をした自覚はアリッサにもあった。だが、生死不明の人物を探しに広いドレフォン大迷宮を走り回るわけにもいかない。
それに何より、アリッサはルーカスの騎士だ。例え主君の妹が命の危機に瀕していても、何よりも守るべきはルーカスの命である。後に責任を負うことになってしまうが、ルーカスを無事に王都へ返すことを優先しなくてはならないのだ。
(マジで頼むッスよ、少年……!)
とは言え責任を取って死にたくはないので、アリッサは内心全力でヒューがルクレティアを守ってくれていることを願う。
リリィはスキルの使用を恐れるように、その場にうずくまって両腕で震える自身の体を抱きしめていた。そんな彼女にレクティは駆け寄って、彼女の体をギュッと抱きしめる。
「大丈夫です、リリィちゃん」
「レクティ……?」
「わたしたちを助けてくれたように、ヒューさんがきっとルーグさんを助けてくれます! だから、ヒューさんを信じましょう?」
レクティに励まされたリリィは、強張っていた体を弛緩させてレクティに寄りかかった。
「……ええ、そうね。ありがとう、レクティ」
リリィはレクティとおでこをくっつけながら瞳を閉じ、スキルを発動させた。
「スキル〈戦略家〉」
アリッサやレクティたちが見守る中、リリィはスキルでヒューとルーグの反応を探る。
数秒後、リリィはハッと目を開いた。
「居た。二人とも無事よっ!」
固唾をのんで見守っていた全員が、リリィの言葉に安堵の息を漏らす。イディオットは静かに拳を握りしめ、レクティは「よかった……!」と声を漏らしてアメジスト色の瞳から涙が零れ落ちた。
「黒竜は!?」
歓喜する面々の中で声を発したのはリューグだ。
「黒竜の反応はありませんか!?」
「黒竜……? いいえ、それらしい反応はないけれど……」
「……っ! そっか、やってくれたんだ……! これでみんなも……っ!」
「リューにぃ……!」
リューグは両手で顔を覆って跪き、静かに肩を震わせる。ティーナはそんなリューグに寄り添うように、彼を優しく抱きしめた。
各々が歓喜する中、アリッサがパァンッと強く手を打ち鳴らす。
「はーい、注目。喜ぶにはぜんぜん早いッスからねー? ヒュー少年もルーグ少年もダンジョンの奥深くに居るんスよー? まだまだ安心できる状況じゃないッスからねー?」
「む……。それもそうだ。すぐに二人を助けに行こうではないか!」
イディオットの呼びかけにレクティやリューグたちが頷いて立ち上がる。アリッサもシセリーにこの場を任せダンジョンに入る準備をしようとしたのだが、
「いいえ……。その必要はないかもしれないわ」
リリィは溢れ出す涙を拭いながら微笑む。
彼女の視線の先では、夜空に浮かんだ真ん丸な月が淡い光を放っていた。