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第162話:伯父の屍を越えてゆけ(ルーカス三人称視点)

 ドレフォン大迷宮の方角から咆哮が聞こえてすぐにルーカスは行動を起こした。護衛として連れて来た王国騎士団の半数を状況把握と救援のためドレフォン大迷宮に向かわせ、自身はもう半分を率いてドレフォン家の屋敷へ向かう。


 馬車の中から遠くに見えるドレフォン家の屋敷を、ルーカスは目隠し越しに静かに観察していた。


(篝火が焚かれている。集まっている兵士の数は二百人程度かな……)


 咆哮が聞こえてから集めたにしては数が揃い過ぎている。まるで何かに備えてあらかじめ待機させていたかのような周到さだ。


(伯父上に限って滅多なことはないと思いたいけど)


 ルーカスは伯父であるビクティムを高く評価していた。


 流行り病の発生源となり甚大な被害を受けたドレフォン家とドレフォン領。大きく領地を減らされ子爵にまで降爵はされたものの、あれだけの被害と言いがかりに等しい汚名を着せられてなお、婿養子という身でドレフォン家と領地を存続させ続けた。


 その政治手腕と領地経営で発揮された才覚は称賛されて然るべきだ。


 ルーカスがビクティムに黙ってドレフォン領を訪れたのは、ありのままの現在のドレフォン領を自身の目で見たいがためだった。そこに暮らす人々の表情や衣服、立ち振る舞いを見れば領主の統治がどれほどのものかがすぐわかる。


 ドレフォン領に住む人々の表情は明るかった。衣服も清潔で、町中には浮浪者がほとんど居ない。人口が激減し町の大部分は荒廃してしまっていたが、中心部はかつての活気を取り戻し、中心部から徐々に外へ向かって町を作り替えていく最中なのは見て取れた。


 これほどまでに上手く領地を切り盛りしている貴族が、いったいどれほど居るだろう。ルーカスはビクティムに対し混じりけのない率直な尊敬の念を抱いた。


 願わくは自身の右腕として国政の場でその手腕を発揮して欲しい。


 母親の実家、いわゆる外戚であり、何より流行り病によって汚名を着せられたドレフォン家の当主。そんな人物を起用すれば批判は必至だろう。敵対勢力だけでなく、今は味方をしてくれている貴族たちすら手のひらを反すかもしれない。


 それでも重用にするだけの価値があるとルーカスは真剣に考えていた。


 数日前の昼食会でそのことを伝えた時の、ビクティムの困ったような表情がルーカスの脳裏に浮かぶ。あの時点でビクティムは現在起こっている何かを想定していたのだろうか。


 ルーカスが思案に耽っていると外から馬車の扉が叩かれた。同乗していたメリィが窓を開くと、随伴の騎士が報告を行う。


「屋敷で騒ぎが起こったようです。数名を先行させ様子を探らせています」


「……わかった。僕らも急ごうか」


 妙な胸騒ぎをおぼえ、ルーカスは馬車の速度を上げるよう指示を出す。


 やがて辿り着いたドレフォン家の屋敷は騒然としていた。ドレフォン家の兵士たちは困惑した様子で中庭の一角を囲うように集まっている。彼らはルーカスの到着に気づくと、左右に分かれ膝をついて頭を下げた。


 出来上がった道の先。そこには赤黒いシミが芝生の上に広がっている。その光景はルーカスにとって見覚えのあるものだった。


「状況はわかるかい?」


 ルーカスが尋ねると傍で控えていた鑑定スキルを持ちの騎士が敬礼し答える。


「はっ。どうやら屋敷から突然、《《猿に似たモンスター》》が現れたようです。数は一体。既に討伐され、死体は溶けるように消えたと」


「…………そうか」


 ルーカスが見上げると、屋敷の三階部分の壁に大きな穴が開いていた。おそらくそこからモンスターが現れたのだろう。


(モンスター……そう呼ぶべきか微妙だけどね)


 一般的なモンスターの死体は、溶けてあのようなシミになることはない。あれは例の薬品によってモンスターに成り果てた場合に起こりえる現象だ。それが目の前にあると言うことは、屋敷の中で誰かが何者かにあのピンク色の薬を飲まされたということになる。


 いったい誰が、誰に薬を飲まされたのか。


「……伯父上はどこに居る?」


「屋敷の中で出陣の準備をしているとのことです」


「……わかった。兵士たちに屋敷の周辺を固めさせるんだ。不審な人物を見かけたら絶対に逃すなと伝えてくれ」


「はっ!」


 ルーカスの指示は手早く実行され、ビクティムに集められていた兵士たちは王国騎士団に従って行動を開始する。その従順さから察するに、彼らは少なくともルーカスを狙って集められた兵士たちではなさそうだ。


 ルーカスは数名の騎士を引き連れて屋敷の中に入る。屋敷の内部では使用人たちが血相を変えてビクティムの名を呼び走り回っていた。


 その内の一人を捉まえて事情を尋ねると、どうやらモンスターが現れたのはビクティムの執務室だったらしい。使用人たちが駆け付けるとそこにビクティムの姿はなく、屋敷のどこかで隠れているのだろうと探していたらしい。


 ルーカスは使用人たちに屋敷の外へ出るように命令し、自身は騎士たちとメリィを連れてビクティムの執務室へ向かった。


 執務室の内部はソファが引き裂かれ、棚や机がなぎ倒されるなど酷い有様になっていた。照明に魔道具が使われていたため火事にならなかったことだけが幸いか。壁に開いた大穴からは外の様子がよく見える。


 騎士たちに調べさせたが、室内にビクティムの姿はどこにもなかった。倒れた棚などの下敷きになっているわけでもない。


「使用人によると、ドレフォン子爵はモンスターが現れる直前までこの部屋で客人と面会していたようです」


「その客人の容姿はわかるかい?」


「濃緑色のローブを着た長身の男だったと。捜索しますか」


「……いや、もう遅いさ」


 ローブの男はおそらくレチェリーやマリシャスと接触していた男で間違いないだろう。これまでの手口から察するに、モンスターで騒ぎを起こした隙に屋敷から逃げ出しているはずだ。今の人員で捜索しても時間の無駄にしかならない。


 とは言え、そろそろ放置しておくわけにはいかなくなった。


(おそらく伯父上は薬でモンスターにされたんだろう。伯父上の仇を取る……なんて柄でもないけどね。ただ、僕の邪魔をした報いは受けてもらおうじゃないか)


 ルーカスは静かに拳を握りしめ、騎士たちとメリィに執務室の中を捜索するように指示を出す。ローブの男やビクティムが兵を集めていた理由に関する手がかりを探すためだ。


 そしてそれは、意外にもすぐに見つかった。


 なぎ倒された執務机に仕掛けられた隠し引き出し。倒れた衝撃で機工が壊れたらしく、内部に隠された一冊の本がむき出しになっていた。


「日記みたいです?」


 発見したメリィがルーカスに本を手渡しながら尋ねる。ページを捲ったルーカスは「そうみたいだね」と頷いた。


 序盤は何の変哲もない普通の手記だ。昨年から付け始めたらしく、一日の仕事内容や屋敷の使用人との些細なやり取り、領民との交流の様子が記されている。


 様子が変わり始めたのは、およそ半年ほど前。濃緑色のローブを着た商人が訪ねて来たという記述から、まるで筆者が代わったんじゃないかと思うほど日記の内容が変化する。


 そこから先には、王家に対する怨みがまるで呪詛のように書き連ねられていた。それはビクティムが手記にすら書かず胸の内にずっと秘めていた激情だったのかもしれない。


 流行病という抗いようのない理不尽への怒り、そして王家に助けを求めたにもかかわらず無視され責任を負わされたことへの落胆と失望。ドレフォンの呪いと揶揄され汚名を着せられ続けた日々の苦悩。


 ビクティムがずっと抑え込めていたはずの感情が、ローブの男の登場と共に歯止めを失ったかのように吐き出され続けている。やがてそれは王都で罪のない人々を誘拐し生き血を集め、黒竜ドレフォンを復活させるというおぞましい計画へと発展していった。


「……伯父上」


 ビクティムはローブの男に利用された。計画では黒竜はビクティムが討伐したと見せかけ心臓を破壊して殺すと書かれているが、ローブの男がその計画通りに動く保証はない。むしろ、男の目的は黒竜を復活させることだったと考えるべきだろう。


 ビクティムはおそらく、それに気づいていた。


 気づきながらも抗えなかったのだ。


『私はおそらく死ぬだろう。これはせめてもの抵抗だ』


 手記の最後に書かれた一文が、ビクティム・ドレフォンという人物を物語っていた。


(貴方の死を無駄にはしないよ、伯父上)


 手記を閉じたルーカスはそれを大事に懐へしまい、周囲の騎士とメリィに指示を出す。


「ドレフォン大迷宮に向かう。兵たちを集めるんだ」


 日記の記述が全て真実ならば、先ほど聞こえた咆哮は復活した黒竜ドレフォンのものだろう。


(記録に残る黒竜が復活したのだとしたら、リース王国は甚大な被害を免れない。これはもう、ヒューが何とかしてくれていることを祈るしかないかな……)


 ルーカスは諦観の感情で大穴の向こうに見える山々へ視線を向ける。雲一つない夜空には丸い月が静かに浮かび、小さな星々が粉砂糖のように煌めいていた。


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