第161話:ルーカス「僕じゃない~♪ 僕じゃない、僕じゃな~い~♪」(三人称視点)
ドレフォン大迷宮の方角からけたたましい咆哮が聞こえた直後から、ドレフォン家の屋敷の庭では慌ただしく出陣の準備が進められていた。
その様子を屋敷の二階にある執務室から見下ろしていたビクティムは、背後でソファに座る人物へ振り返る。
「本当に、ドレフォンは復活したのだな……!?」
「もちろん。君もさっきの馬鹿でかい咆哮を聞いたやろ? あれがドレフォンの復活の合図や。今頃、卵から孵って腹空かせとると思うで?」
「くくくっ。王立学園の生徒達には申し訳ないが、ドレフォンの腹を満たしてもらおう」
ビクティムは目を大きく見開いて引き攣った笑みを浮かべる。その様をローブの男は内心で嘲笑った。
(アホやなぁ、ホンマに。そんな気合入れて鎧なんか着こんでも、君にドレフォンが倒せるわけないやん)
ビクティムにしても、庭で準備をしているドレフォン家の兵士たちにしても、とてもドレフォンを討伐しようという装備には思えない。どうやら彼らは剣と弓だけでドレフォンを討伐するつもりらしい。
(無理無理。だって空飛んでるんやで?)
かつて飛来したドレフォンを相手に、過去のリース王国は有効な攻撃手段を見つけられず一方的に蹂躙された。
空を飛ぶドレフォンに剣は届かず、弓矢は強固な鱗によって弾かれる。大勢の兵士や冒険者が勇敢にドレフォンへ立ち向かったが、誰もがなすすべなく死んでいった。
ドレフォン家の始祖となった冒険者は、その点で言えば臆病者だったのだろう。彼はドレフォンに真正面から立ち向かわず、ひたすらドレフォンの生態を研究しつくした。そうしてドレフォンの巣穴を発見し、ドレフォンが不在の間に幾つもの罠を張ったのだ。
それはドレフォンを完全に消滅させるには至らなかったが、数百年の休息を必要とするほどの致命傷を与えた。
(けど、ドレフォンを殺すには至らんかった)
男の視線の先。ローテーブルには水晶玉のような鈍い輝きを放つ球体が置かれている。その内部で鼓動を刻むように脈打つぶよぶよの肉塊が、ドレフォンの心臓。これを破壊されない限りドレフォンは何度も蘇る。そのように《《作られている》》のだ。
(ホンマはあと五年くらいじっくり熟成したかったんやけど、まあええわ。これからの成長に期待やな)
ドレフォンがリース王国や大陸全体にもたらす災厄を妄想し、男は楽しそうにほくそ笑む。彼には初めから、ビクティムに協力する気など毛頭なかったのだ。
そうとは知らないビクティムは、ドレフォンを討伐し自身がドレフォン家の新たな英雄となる瞬間を今か今かと待ちわびている。
そんな哀れな男の滑稽な姿を、ローブの男はニヤニヤと見つめていた。
……そんな時だった。
――ピシッ。
二人の男の耳に、聞きなれない音が届いた。その音源を辿った二人の視線は、ローテーブルに置かれたドレフォンの心臓に集中する。
見れば、ドレフォンの心臓の外殻にヒビが入っている。
「……は?」
見たことのない光景に、ローブの男は呆けた声を出した。手に入れてから数百年、乱雑に扱っても一切傷つくことがなかったドレフォンの心臓が割れている。
いったいなぜ?
そんな疑問を感じた直後に更なる変化が起こった。
ドレフォンの心臓に入ったヒビが瞬く間に広がり、真っ二つに割れて内部の肉塊が露出する。そして肉塊は一定の間隔で刻んでいた鼓動をピタリと止めて、光の粒子になって溶け消え始めたのだ。
「はぁ……?」
外殻もろとも光になって消えていくドレフォンの心臓を、ローブの男もビクティムもただ唖然と見送ることしか出来なかった。
やがて完全にドレフォンの心臓が消滅する。
「どう、なっている……?」
ビクティムの問いにローブの男は答えられない。
(それはこっちの台詞や! え? なんなん? 心臓どこ行ったん? 嘘やろ……? まさか死んだんか? 黒竜ドレフォンが!?)
黒竜ドレフォンは心臓を破壊されない限り死ぬことはない。その肝心の心臓が消滅したということは、つまりそういうことだろう。だが、それはあまりに不可解だった。
(今のリース王国にドレフォンを殺せる奴なんて居らんやろ……。可能性があるとしたら〈剣聖〉くらいやけど、ルーカスの傍に居らんかったやんか。王都に残して来たんちゃうんかい)
まさか本当にルーカスはドレフォンの復活を予期して乗り込んで来たのか。自身をおとりにしてこちらの目を欺き、極秘裏に〈剣聖〉ロアン・アッシュブレードをドレフォン大迷宮へ向かわせ、復活直後のドレフォンを討伐させた……?
(いや、そんなことあってたまるか。第一、ドレフォン消滅しよったで? 〈剣聖〉がどんだけ強くてドレフォンを倒せたとしても、心臓もろともとはならんやろ)
「おい! どうなっているのかと聞いているのだ! 答えろ、黒竜ドレフォンはどうなった!?」
「うるさいなぁ。これでも飲んで落ち着いたほうがええんちゃう?」
ローブの男は懐から小瓶を取り出し、ビクティムに向かって投げ渡す。受け取ったビクティムは一切の躊躇なく、小瓶に入ったピンク色の液体を飲み干した。
直後から苦しみのたうち回るビクティムを見下ろし、ローブの男はため息を吐く。
「……おもんな」
理由は不明だが、黒竜ドレフォンは完全にこの世から消滅してしまった。お気に入りのおもちゃを奪われた子供のようにローブの男は不貞腐れ、ソファから立ち上がって苛立たし気に足元で蠢く肉塊を蹴り飛ばす。
「なんやねん、マジで。最近上手く行かんことばっかりやん」
元を辿ればドレフォン復活の贄を集めるために利用していた人身売買組織が潰されたところからだったか。利用していたグリード・レチェリーも、ルーカスに尻尾を掴まれて処分する羽目になった。
暇つぶしで楽しんでいたマリシャス枢機卿と聖女ロザリィは良い所で邪魔が入って、孫のように大切に育てていた少女を自身の妄信で化け物にしてしまい絶望する老人の顔を見届けることができなかった。
こうして順を追って振り返ると、ここ最近は全てルーカスによって妨害されている。
「……リース王国第三王子、なぁ」
切れ者という評価は知っていたが、まさかここまで娯楽を邪魔されるのはローブの男としても想定外だった。
「その内遊んだろと思とってん。ちょうどええわ」
人を操って甚振り、絶望に突き落として悦に浸る。
それを何よりの楽しみにする男は、ルーカスの表情が絶望に染まる様を妄想しフードの奥でニヤリと口角を釣り上げるのだった。