第160話:君の瞳に洗脳スキル
「ティア、体を支えてくれないか? スキルを〈浮遊〉に切り替えてるからそんなに重くないはずだ」
「わかった!」
俺はスキルとティアの力を借りながらどうにかこうにか体を起こした。相変わらず右腕と左足は使い物にならないし激痛を発している。ただ、〈浮遊〉のおかげで体はほぼ無重力状態に居るように簡単に浮かぶ。
ともすれば俺だけならこのままぷかぷかと浮かんで穴から外へ出られるかもしれない。……着地できるかどうかは微妙だし、ティアを置いて行くことになるから論外だけどな。
起き上がって周囲を見渡せば、暗闇の中に薄っすらと周囲の様子が浮かんでくる。星空のように淡く光る苔のおかげで、何となく地形を把握することはできた。
そして、俺とティアの視線の先。
奥の方から紫色の明かりがこぼれる巨大な横穴が開いていた。どことなく禍々しさを感じるその光が何を意味するものなのかはわからない。ただ、他へ進めそうな道は無さそうだ。
この場に留まるか、進むかの二択。
おそらくこの横穴の先に、さっきの咆哮の主が居るんだろう。
「行くか」
「うん」
この場に留まっても埒が明かない。ティアに支えて貰いながら、光が見える横穴へ進む。
この先に水たまりか、何かしらの光を反射する鉱石さえあれば鏡の代りにスキルを切り替えられるかもしれない。今はもう、その可能性に賭けるしかなさそうだ。
横穴を進んでしばらく。段々と紫色の明かりの光量は増え、ようやくティアの顔がちゃんと見えるようになった。俺を支えて歩いてくれていたティアは、俺の視線に気づいたんだろう。こちらを見上げてふわりと微笑む。
純真無垢な優しい笑みを浮かべる彼女に、俺はおそるおそる尋ねてみた。
「その……。〈洗脳〉スキルのことは、嘘じゃないんだ。怖くないのか……?」
「うん。知ってたもん」
「…………へっ?」
予想しなかった返事に脳がフリーズする。
え、知ってたの!?
「ヒューがルー兄様に王城へ呼ばれて、わたしがルクレティアとして初めてヒューに出会った日にね。ルーグの姿に戻ってヒューを待ってたらルー兄様に出会ったの。そこでルー兄様からヒューのスキルの本質が他者を支配するスキルだって聞かされて……」
「ま、待て、待ってくれ! それ入学式の次の日の話だよな!?」
もう何か月も前だし、何なら出会って三日目くらいだ。リリィに打ち明けるよりもずっと前に、ルクレティアは俺のスキルを知ってたってことになる。
ルーカス王子が俺のスキルをティアに伝えたのは、わかる。よくよく考えれば大切な妹をこんな危険なスキルを持った奴の隣に、何の対策もなく置いておくはずがないんだから。
でもやってくれやがったなあのくそ義兄! と思わなくもない。
「ティアは、それを聞いてどう思ったんだ……?」
「うーん……。ヒューが真面目で誠実な人だってことは知ってたし、気にしなくても大丈夫かなぁって」
「いや、頼むからもっと警戒心を持ってくれ……」
ティアが俺の洗脳スキルに一切気づいている素振りを見せなかったのは、たぶん秘密にしていたとかじゃなくて本当に気にしてなかったんだろうな……。俺が〈洗脳〉スキルを私利私欲のために使いまくるような奴だったらどうするつもりだったんだろう、マジで。
「ふふっ、そういうところだよ?」
俺の心配をよそにティアは笑顔で俺の頬をつんつんとつつく。……まあ、ティアに受け入れて貰えたならそれでいいか。
それからさらに洞窟を進んだ。幸い道中でモンスターに遭遇することはなかったが、鏡の代りになりそうな水たまりや鉱石も見当たらない。
どれだけ歩いただろう。ふと振り返ると、これまで進んできた道にはずっと血の跡が続いている。それは間違いなく俺の右肩と左足から流れ落ちたもので、道理でさっきから意識が朦朧とするわけだ。
「……すまん、ティア。少しだけ休ませてくれ」
「うん」
ティアは小さく頷いて、俺を洞窟の岩壁の方へ誘導してくれる。ごつごつとした岩に背中を預け、そのまま崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「ヒューっ!」
心配そうなティアに大丈夫だと伝えてやりたいところだけど、どれだけ表情を取り繕ってもやせ我慢にしかならなさそうだ。
座り込んでしまってから気づく。たぶんもう、俺は立ちあがることすらできないだろう。
――ズシンッ。
遠くから重たい何かが地面を踏みしめるような振動が聞こえてくる。
「な、なに……きゃっ」
様子を見ようとするティアの手を掴み引き寄せる。
「ひゅ、ヒューっ?」
「静かに……」
間を置かずに振動は再びやって来た。その振動はまるで歩いているかのように、一定の間隔でこちらへ近づいて来る。
やがて巨大な影が、洞窟の奥から現れた。そのシルエットは一対の巨大な翼を持つ竜だ。
大昔に討伐されたはずの黒竜ドレフォンが復活したのか……?
何にせよ、巨大な影はどんどんこちらへ近づいて来る。このまま息を潜めていれば大人しく通り過ぎてくれるだろうか。
竜の視覚や嗅覚が人間より劣っていればワンチャン……ないな。何というか、俺の血の匂いに引き寄せられてこっちに来ているような気がする。きっと腹を空かせてるんだろう。
「……ティア」
「やだ」
まだ何も言ってないんだが、ティアは俺の首に手を回してギュッと抱き着いて来る。せめて〈洗脳〉スキルが使えれば一人で逃げろって言えたんだけどな……。もはやティアに抵抗する力すら残ってないからどうすることもできない。
このまま二人揃って死ぬんだろうか。それはそれで悪くない終わり方かもしれない。
でも、その前に一つ済ませておきたいことがある。
左手をズボンの後ろポケットに伸ばして、そこに入れておいたリングケースを取り出す。
俺がケースを開くと、ティアは紺碧色の瞳を丸くした。
「ヒュー、これ」
「誕生日おめでとう、ティア。それから――」
俺と付き合ってください。そう言おうと思っていた。
だけど、これが最後になるのなら。
「――俺と、結婚してください」
「はいっ!」
力いっぱい頷いたティアと口づけを交わす。
とろけるような甘くて幸せな時間は永遠には続かなくて。
閉じていた瞳を開けると、漆黒の鱗に覆われた巨大な竜がこちらに顔を向けていた。
唇を離したティアは、大きな紺碧色の目に涙を浮かべる。
潤んだ彼女の瞳は、俺の姿を鏡のように映していた。
「〈洗脳解除〉」
言葉は自然と口に出て、感じたのは確かな手応えだ。
左手でティアを抱き寄せ、黒竜と目があった。
「スキル〈洗脳〉!」
最後の力を振り絞って叫ぶ。黒竜の頭上に浮かぶのは〈洗脳中〉の表示。俺たちに食らいつこうと迫っていた竜の顎は直前でその動きを止めた。
……この黒竜がドレフォンなのか、別個体なのかはどうでもいい。
確かなのは、俺がティアとイチャイチャするのにこいつが邪魔だってことだけだ。
「消え失せろ、黒竜」
黒竜は俺にかしずくように頭をぺたりと地面に下げ、それから静かに光の粒子になって溶け消え始めた。
巣穴に引っ込めくらいのつもりで言ったんだが…………まあ、いいか。
目の奥にわずかな痛みをおぼえながら、ティアの体をギュッと抱きしめる。
今はただ、この温もりだけを感じていたい。