第158話:正直もっとちゃんとした名前つけてあげるべきだった(三人称視点)
大地を揺るがす咆哮が響いた直後、大穴の崩壊が始まった。
「ヒューっ、ティア!」
ヒューとルーグの様子を離れて見守っていたリリィの目の前で、足場の崩落に巻き込まれた二人は抱き合ったまま宙に投げ出され、暗い穴底へと引きずり込まれて行く。必死に手を伸ばすも、その手が届くことはない。ヒューとルーグの姿は闇の中に見えなくなる。
「うそ、こんなの……。ヒュー、ティア……? 嫌、いやぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「リリィちゃんっ!」
走り出そうとするリリィにレクティは抱き着いて、暴れる彼女を押さえ込む。
「放してレクティっ、ヒューが、ティアがっ!」
「ダメですっ! 早く逃げないとここも崩れますっ!」
何かの咆哮によって生まれた地面や岩壁の亀裂は、リリィやレクティが居るすぐ近くまで迫っていた。そして今も亀裂は大きく広がり続けている。二人が居る場所も崩れるのは時間の問題だ。
レクティは〈聖女〉スキルに内包された〈身体強化〉の力で泣き叫ぶリリィを抱きかかえて亀裂から離れる。一度振り返り、ヒューとルーグの姿が見えないことを再確認して唇を噛んだ。叫びたくなる感情を必死に抑え込み、溢れ出る涙を拭って走る。
(ヒューさんもルーグさんも絶対に大丈夫ですっ! だからわたしが、リリィちゃんを守らなきゃ!)
自分自身にそう言い聞かせることで、折れそうになる心を繋ぎとめる。セーフゾーンの出入り口付近ではイディオットが大きく手を振っていた。
彼はすかさずこちらへ駆け寄って来る。
「無事か、レクティ嬢!」
「は、はい。でも……」
「イディオット! ヒューが、ティアがぁ……っ!」
「……っ。巻き込まれたと言うのか……!」
半狂乱で泣き叫ぶリリィを見て、イディオットは察した様子で顔をしかめる。歯を食いしばって両手の拳を握りしめ、必死に何かに耐えるような素振りを見せる。
「……ここも危険だ。いつ崩れるとも限らない。レクティ嬢、リリィ・ピュリディを頼めるだろうか」
「はいっ……!」
「よろしく頼む。移動しよう」
感情を押し殺して冷静さを保とうとするかのような声音で、イディオットは踵を返しセーフゾーンの出入り口へ進む。その後をレクティはリリィを抱えたまま追った。リリィは止めどなく溢れる涙を手で拭いながら嗚咽を漏らし続けている。
セーフゾーンの出入り口には呆然と立ち尽くすリューグとティーナの姿があった。
「リューにぃ、どうしよう……? ねぇ、どうするの……っ!?」
「どうするって言ったって……」
動揺した様子の二人の元へイディオットが向かっていく。
「おい」
怒気を孕んだ声にビクッと肩を震わせたリューグの胸倉を掴み、イディオットは背後の壁に叩きつける。苦し気に息を吐くリューグをイディオットは睨みつけた。
「これも貴様の策略か?」
「ち、ちがいます……っ。こんなはず、だって日記には、黒竜の復活はもっと後のことだってっ! だから僕らは、黒竜が復活する前に何とかしようと!」
「ヒューがここへ来るように仕組んだか? その結果がこの様だ!」
イディオットの言葉にリューグは打ちひしがれたように項垂れる。
「イディオットさん、何をしてるんですか! リューグさんを離してあげてくださいっ!」
そこへリリィを抱えたままのレクティが追いつき、イディオットを止めに入った。イディオットが自制するかのように息を吐き胸倉を掴んでいた手を放すと、リューグは脱力してその場に座り込む。
「僕らは、ただ、未来を……」
「御託なら後で聞かせてもらおう。今は地上へ戻るのが先決だ」
「ま、待ってイディオット!」
レクティに抱えられていたリリィは身をよじって拘束から逃れると、髪を振り乱しながらイディオットに縋り付いた。
「ヒューとティアが落ちたのよっ! すぐに、すぐに助けに行かないとっ!」
「リリィ・ピュリディ……」
「お願いよっ、イディオット!」
大粒の涙を流すリリィの姿は、普段の完璧な淑女を標榜する彼女とはあまりにかけ離れたものだった。
今すぐにヒューとルーグを助けに行きたい。そう思う気持ちはイディオットも同じだった。だが、現実問題としてそれはあまりにも無謀だ。穴の奥底には、咆哮一つでダンジョン内の地形を変えるほどの何かが居る。
この場に居る五人だけでヒューとルーグを救助し無事に帰れる保証はない。
(動揺で冷静な判断が出来ていないが、それは僕も同じか……)
イディオットは一度深呼吸をして、リリィに視線を合わせるように膝をつく。
「ヒューとルーグの無事は君のスキルならわかるだろう。なぜそれを確かめない?」
「そんな怖いこと出来るわけないでしょう!?」
リリィのスキル〈戦略家〉の有効範囲は半径千五百メートル。穴の深さは定かではないが、有効範囲内の可能性のほうが高いだろう。スキルを使えば二人の無事は確認できる。
だが、スキルを使って反応がなかったら。それは最悪の結末を迎えたという意味だ。
知りたくない。リリィの気持ちはイディオットにも理解できる。
だからこそ、
「ならば心を強く持て! 君はリリィ・ピュリディだろう!?」
「……っ!」
「僕らがすべきことはなんだ!? 生き残り、事態を知らせることのはずだ! 先ほどの咆哮が何にせよ、ダンジョンで異変が起こった。もしダンジョンの奥深くに強力なモンスターが出現したのだとしたら何が起こる?」
「……モンスターパレード」
ダンジョンにおける生態系の崩壊。強力な個体の登場によりそれまで生息していたモンスターが住処を追いやられてダンジョンの外へ出て来る現象を俗にそう言う。
地形を変えるほどの咆哮を放つモンスターの登場に、ドレフォン大迷宮に巣食っていたモンスターたちはパニックに陥っているだろう。いずれ住処を失った彼らがダンジョンから溢れ出るのは時間の問題だ。
咆哮は大穴から外へも聞こえているはずだが、事態の深刻さまで伝わっているとは限らない。一刻も早く外へ状況を伝え、モンスターパレードへの対処を進める必要がある。ダンジョンから溢れ出したモンスターが外に居る王立学園の生徒や、バルリードの町に殺到してからでは遅いのだ。
「今ここで僕らが何をするべきか君ならばわかるはずだ、リリィ・ピュリディ。――そして何より」
イディオットは立ち上がり、この場に居る全員に向かって自信満々に言い放つ。
「この僕の好敵手が、この程度で死ぬわけがないだろう!」
それはこの場に居る全員を励ます言葉であり、イディオットが自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。
(信じているぞ、ヒュー……!)