第155話:未来少年リューグ
「そもそも裏切りの定義から話すべきッスかねぇ。自分は別にイディオット少年の仲間になったつもりはないッスよ。ルーカス殿下に忠誠を誓った騎士ッスからね」
「ルーカス殿下だと……!?」
「全てはルーカス殿下のためッス。だからとりあえず剣を置いて話そうじゃないッスか」
窘めるように言うアリッサに、イディオットは警戒を緩めず剣を構えなおす。ちらりと背後と確認すると、テントから出て来たティーナが「やっほー」と笑みを浮かべて手を振っていた。攻撃の意図はないということか、それともこれすらもリューグの〈幻影〉か。
警戒を強めるイディオットに、アリッサはやれやれと肩をすくめ剣を鞘に納める。
「とりあえず、こちらに攻撃の意思はないッスよ。その気になればいつでもイディオット少年を殺せたんスから」
「…………」
アリッサの言葉は否定できない。リューグに斬りかかる瞬間までアリッサの存在を全く知覚できていなかったのは事実だ。そのまま斬られていたら、イディオットは自分に何が起こったかさえ理解できないままに命を落としていただろう。
イディオットは視線をアリッサからリューグへ移し、再度問う。
「なぜ、レクティ嬢を誘拐した?」
「そうする必要がありました」
「必要だと!? レクティ嬢を傷つけることがか!?」
「……マリシャスがレクティさんを傷つけた件に関しては想定外でした。それについては謝罪します。信じて貰えるかわかりませんが、命を奪おうとしていたら僕が止めていました」
「ふん、どうだかな。貴様はマリシャスの協力者だったのだろう?」
「いいえ、協力者の振りをしただけです。レクティさんを大聖堂の地下へ連れて行く必要があったので、マリシャスの私兵に〈幻影〉を使って紛れ込みました。シセリーさんを地下道から脱出させ、マリシャスが〈聖女〉スキルを狙っていると嘘の情報を伝えたのも目的のためです」
淡々と語るリューグの言葉の真偽はわからない。ただ、仮にそれが真実だとすればリューグはシセリーを大聖堂の地下からクラス対抗戦が行われた森林まで送り届けてくれたことになる。
イディオットの記憶にあるシセリーの怪我は重傷だった。よくよく考えれば不自然だ。馬車で三十分近くかかる距離を、あの怪我で歩き続けられたとは考えづらい。
マリシャスの私兵に紛れ込み、シセリーを助けて嘘の情報を伝え、その上でレクティを誘拐した。そんな手の込んだ回りくどい方法を取っていったい何になると言うのか。
「……その目的とは、何なのだ」
困惑と共に尋ねるイディオットに、リューグはあっさりと答える。
「聖女ロザリィをヒューさんとレクティさんに救ってもらうためです」
「ロザリィ嬢だと……?」
「考えてみてください。もしもあの時、シセリーさんがクラス対抗戦の会場に辿り着けなかったら。レクティさんが大聖堂の地下へ連れ去られなかったら。聖女ロザリィは、どうなっていましたか?」
「――っ!」
シセリーがクラス対抗戦の会場に辿り着けなければ、ロザリィの危機を知ることはなかった。レクティが連れ去られていなければ、大聖堂地下へ乗り込むことはなかった。
大聖堂の地下へ囚われたロザリィはマリシャスからモンスター化の薬を飲まされた。モンスター化した彼女はヒューとレクティによって救われたが、もしも二人があの場に居合わせなければ…………。
「僕らの知らないところでロザリィ嬢は死んでいた……か」
今あるロザリィとの縁は、全てあの時にロザリィが生還したからこそ生まれたものだ。もしもあのままロザリィが死んでいたとしたら、少なくともイディオットは彼女の存在を『行方不明の元聖女』くらいにしか認識することはなかっただろう。
背筋に薄ら寒い何かを感じつつ、イディオットはふと浮かんだ疑問を口にする。
「君のスキルならばもっと簡単にロザリィ嬢を救えたはずだ。なぜそれをしなかった?」
「……確かに、僕のスキルならロザリィさんを救出できました。実際、ヒューさんが間に合わなければそうしようとは思っていましたよ。だけど、マリシャスの狂気を断ち切り、ロザリィさんをルーカス殿下の庇護下に入れるには、ヒューさんがロザリィさんを救う必要がありました」
「……今の形こそが理想というわけか」
ロザリィは人質という名目で第二王子ルーカスの庇護下にある。それはひとえにヒューの働きによるものが大きい。彼の行動によって神授教内部の問題にルーカス王子が介入するきっかけが生まれた。
もしもヒューではなくリューグがロザリィを救っていれば、少なくとも今のようにロザリィと学友として接していることはなかっただろう。
「だからあの時、アリッサ女史は不自然にヒューを止めたのだな……?」
「いやぁ、ヒュー少年ってばすぐにすっ飛んでいこうとするんスもん。そんなことすればリューグ少年と鉢合わせてややこしいことになっちゃうじゃないッスか。あの時はさすがに肝が冷えたッスねぇ」
アリッサはやれやれと肩をすくめておどけて見せて、
「そろそろ剣を収めていいんじゃないッスか。少なくとも彼らは敵じゃないッスよ。嘘を言っていないと、私の目が保証するッス」
アリッサの瞳が闇夜に淡く光を放つ。それは彼女が持つスキルの現れだろう。
「……リューグ、まだ君に尋ねたいことがある」
「なんでしょうか」
「君はいったい何者で、なぜヒューの秘密を知っている?」
リューグが語ったこれまでの行動は、ヒューの〈洗脳〉スキルを知っている前提でなければ説明がつかないものだ。しかもその上で、事態を先読みして動いている節がある。それはまるで未来で起こる出来事を知っているかのように。
リューグはイディオットへ歩み寄りながら言う。
「その質問への答えは一つです。それは僕が、リューグ・プノシスだからに他なりません」
「リューグ……プノシスだと?」
イディオットが構える剣の先。恐れる様子すらなく近づいたリューグは、剣先が首の皮膚に触れるか触れないかというギリギリで立ち止まる。
「イディオットさん。どうか僕らの仲間になってください」
真剣な眼差しで、懇願するかのように彼は言う。
「くそったれな未来を変えるために、師匠の力が必要なんです……っ!」