第153話:(俺のことを)好きな子が眼鏡をかけた
ダンジョンからベースキャンプに戻って夕食を済ませる。日が暮れた後は野営の時と同じく、班ごとに交代で火の番だ。
クジ引きの結果、俺たちは二番目の交代になった。時間は夜の十時から十二時まで。終われば朝まで眠れるから、クジ運的にはなかなか悪くない。番が来るまでテントの中で横になっていたものの、眠るには少し早い時間帯だったこともあり、同じテントの仲間たちと雑談をしながら過ごした。
時間になって火の番を交代する。
「ふぁ……」
一緒にテントを出たルーグが眠そうにあくびを漏らした。ちょうど今くらいが一番眠くなる時間帯だからなぁ。朝から山道を登り続けて、休む間もなくベースキャンプの設営とダンジョン探索だ。疲れはちょうどピークに達しているだろう。
かくいう俺もけっこう眠い。気を抜けば居眠りしてしまいそうだ。
焚火に集まった面々で平気に見えるのはイディオットとリリィくらいだろうか。レクティとロザリィはもう今にも寝落ちしてしまいそうなほどにふらふらしていた。
そしていざ焚き火を囲んで座ると、数分としない内にロザリィが睡魔に負け、引きずられるようにレクティもギブアップした。
炎の揺らめきと、時折聞こえてくるパチパチと木が爆ぜる音。どちらも眠気を誘うには十分な威力だ。前世の動画サイトでも人気だったもんなぁ……。
俺もついうとうとしかかって、不意に感じた横からの衝撃にハッとする。見れば隣に座ったルーグがこちらにもたれかかっていた。
意図したことじゃなかったらしく、ルーグは「ご、ごめんね」と謝ってくる。
「眠いか?」
「う、うん。けど、だいじょうぶ。がまんする……」
なんて言いながらルーグの瞼は重そうで、今にも倒れそうなくらいうつらうつらとしている。これは限界が近そうだな……。
案の定、しばらくするとルーグは俺の太ももを枕にして安らかな寝息を立て始めた。おかげで俺は安易に眠ることができなくなったわけだが、まあちょうどいいか……。
起きているのは俺とリリィとイディオットの三人。イディオットは立ち上がって軽く剣を振っている。その表情は真剣そのものだ。よくこんな時間まで集中力を持続できるものだと感心しながらその様を見ていると、
「ヒュー、リリィ・ピュリディ。すまないがここを任せても構わないだろうか」
「別にいいけれど、どこへ行くつもりなの?」
「ダンジョンの様子を見て来る。少々気になることがあったのでな」
すぐに戻る、とイディオットは剣を持ってダンジョンの入り口の方へ歩いて行った。ダンジョンは同行している冒険者が交代で見張ってくれているから、何か異常があれば知らせてくれるはずだが……。
まあ、止めるほどでもないか。さすがのイディオットでも、一人でダンジョンに突入するような無茶はしないだろう。
「もしかして気を遣ってくれたのかしら?」
「そんなことはないと思うが……」
なんて言いながらリリィに視線を向けると、彼女は膝の上に分厚いノートを広げて右手にペンを握っていた。まさかこんな所でまで勉強を……? いや、さすがに違うな。
もしかして日記だろうか……?
俺の視線に気づいたのか、リリィは顔をあげてこちらを見る。彼女の目には細いフレームの眼鏡がかけられていた。
「似合ってるな、眼鏡」
思わず感想が口から漏れ出てしまう。特別眼鏡が好きってわけじゃないんだが、普段眼鏡をかけていない女の子が眼鏡をかけると、ギャップにときめくと言うか何と言うか。
眼鏡はリリィの知的な印象をより際立たせ、どことない儚さを感じさせた。レンズ越しに見える翡翠色の瞳がいつになく美しく見える。
「ふふっ、ありがとう。貴方が素直に褒めてくれるってことは、よほど魅力に溢れているということね。今回も私の勝ちかしら?」
「俺ずっと負けてるよなぁ」
ドレス姿を初めて見た時から始まった謎勝負に勝った記憶がない。まあ、それだけリリィが綺麗で可愛くて魅力的ってことだ。おそらくこれから一生、俺が勝つことはないだろう。
「ところで、目が見えづらいのか?」
見た感じ度が入っていないおしゃれ眼鏡ってわけじゃなさそうだ。普段のリリィからはあまり目の悪さを感じないし、授業中も眼鏡をかけていなかったはずだが……。
「ええ。と言っても、夜に少しだけ文字が見えづらいってくらいかしら。日中や普段の生活に支障はないわ。こうして文字を書く時だけ眼鏡をかけるようにしているの」
「なるほど」
日常生活に支障がないなら今のところは心配するほどではなさそうだな……。
ホッと息を吐いた俺に、リリィは嬉しそうに微笑む。眼鏡マジックもあってその笑みはいつになく俺の心をギュッと掴んで離さなかった。
このままじゃマズいと、話題を変えるべく俺は視線を巡らせて、
「そのノート、もしかして日記か?」
リリィが膝の上に広げているノートについて尋ねる。リリィは「ええ」と頷いてノートを閉じ、俺に見せてくれた。
薄紫の表紙に金糸で花柄の刺繍がされている。装丁も綺麗で丁寧に作られた日記だった。
「素敵な表紙でしょう?」
「ああ、さすがリリィのセンスだな」
「褒めても愛情しか出ないわよ?」
「十分すぎる」
リリィの私物は服から小物に至るまで全部がオシャレだ。リリィに相談すればファッションに関しては間違いがないと言い切れる。校外演習に出る前にリリィのために買った翡翠の耳飾り、今になって気に入ってくれるか不安になってきた……。
「にしても日記か。俺なら三日と続かなさそうだなぁ」
「私も始めてまだひと月と経っていないわ。けどこれは、おばあちゃんになるまで続けるつもり」
「随分と気の長い話だな」
「ええ。いつかおばあちゃんになって、貴方との孫に囲まれながらこの日記を読み返すのよ」
「俺との孫なのは確定なのか……?」
「あら、別の男との間に孫を作っていいのかしら?」
「……すまん、考えただけで脳みそが腐り落ちそうだ」
「ふふっ、冗談よ。貴方以外と子孫を繁栄させるつもりはないし、貴方とティアやレクティの孫も等しく愛するわ。例え十人でも二十人でもね」
「子孫繁栄しすぎだろ……」
いったい何人の子供を…………いや、これ以上考えるのは止めておこう。色々と生々しすぎる。
「私、今がとっても楽しいの。貴方が居て、レクティとティアが居て。こんなにも学園生活が楽しいって思えるなんて入学前は考えもしなかった」
「……だな。俺も入学試験を受けるまでは考えすらしなかった」
何なら〈洗脳〉スキルの発覚を恐れて入学試験に落ちようとすら考えていたくらいだ。
「今この瞬間をずっと忘れたくない。おばあちゃんになっても憶えていたい。そう思って日記を始めたの。孫に囲まれて読み返すのが今から楽しみで仕方がないわ」
リリィは日記を抱きしめてふわりと俺に向かって微笑みかける。
「だから頑張ってね、おじいさん?」
「お、おぅ……」
リリィの期待に満ちた眼差しに、俺は苦笑いを返すことしかできない。
現状、そんな未来へ繋がる一歩すらまだ踏み出せていないのだ。
俺の太ももを枕にして眠るルーグの髪を撫でる。銀色の髪は焚き火の明かりを反射して、キラキラと金色に輝いていた。