第144話:この二人なにかと便利だなぁ
「こほんっ。そろそろ本題に入ってもいいかい?」
ルーカス王子はわざとらしく咳払いをして俺たちに尋ねた。俺たちが居住まいを正すと、ルーカス王子は小さく頷いて話し出す。
「どうして僕が君たちの校外演習に同行すると言い出したのか、気になっているだろうと思ってね。先に言っておくと、たいした理由じゃないんだ」
そう前置きして、ルーカス王子は一度ティーカップを口に運ぶ。
「ヒューは、僕らの母がスペン地方の生まれだということを知っているかい?」
「……ええ、まあ」
俺の返事に隣のルーグが大きな紺碧色の目を見開く。知らないと言うことはできたし、リリィから明確にそうだと言われたわけでもない。ただ、察してしまった以上は否定すれば嘘になる。誤魔化す気にはなれなかった。
「うん、そうか。徹底的に秘匿されているわけでもないし、どこかで耳にしたとしても不思議じゃない。その様子だとドレフォンの呪いについてもある程度は知っているのかな?」
「はい。一通りは」
「それなら話は早いね」
ルーカス王子は手間が省けたと言いたげに微笑むが、俺の隣ではルーグが俯いて膝の上で両手をキュッと握りしめていた。俺が事情を知りながら黙っていたことを、怒っているだろうか……。
「王都でドレフォンの呪いと呼ばれる流行病が蔓延する最中、僕らの母は流行病とは全く関係のない病で亡くなった。それは当時の王城の医師の証言や記録からも明らかだ。けど、人の感情というのは厄介なものでね。母は王家の墓所に入ることが許されなかったんだ」
ルーカス王子とルクレティアの母の遺体は王都から運び出され、スペン地方に運ばれたのだという。今はかつてドレフォン家の領地だった場所に作られたお墓で眠っているそうだ。
「じゃあ、校外演習に同行した目的って……」
「ありていに言えば、母上のお墓参りかな。王位継承権争いをしているこんな時にって思うかもしれないけど、逆に言えば王になってしまったらそうそう王都から離れられなくなっちゃうからね。今の内に母上に挨拶をしておきたかったんだ」
なるほど……。
途中の馬車でイディオットが危惧していたように、今回の行動はルーカス王子の立場を悪くしてブルート殿下に利用されるかもしれない。それを承知の上でも、ルーカス王子はどうしても王になる前に母親のお墓参りをしたかったんだろうな……。
墓前で何を想うのか、俺には計り知れないけれど。ただ、故人を偲んで会いに行きたいと想う気持ちは理解できる。
「もちろんそう長く王都を留守にするつもりはないよ。母上の墓参りを済ませたら君たちよりも先に引き返すつもりをしているんだ」
……って事は、帰りは輸送船か。さっき以上の地獄絵図が繰り広げられそうだ。
ルーカス王子が王都を留守にする期間は予定では半月ほどらしい。それくらいなら王都に残ったロアンさんとピュリディ侯爵で、ブルート殿下の動きを牽制できるだろうとのことだ。
「この話はリリィ嬢やイディオット君に伝えてくれて構わない。彼らも気になっているだろうからね」
「わかりました」
「他に何か気になることはあるかい?」
「…………ありません」
少し逡巡し、首を横に振る。けど、本当は一つだけ引っかかっていることがあった。
母親のお墓参りが目的だったなら、なぜそれをルクレティアに伝えてあげなかったのか。
隣に座る彼女は神妙な面持ちで俯いている。その様子はルーカス王子にも視えているはずだ。あらかじめお墓参りが目的で俺たちの演習先もドレフォン大迷宮にしたのだと伝えてくれていたら、ルクレティアが思い悩むこともなかっただろう。
……伝えられない事情があったか、そもそもお墓参り以外にも何か別の目的があるのか。
どちらにせよ、俺がすることは変わらない。ルクレティアの傍に居て彼女を守る。
それだけだ。
「話はこれだけだ。わざわざ呼びつけて悪かったね」
「いえ、それじゃ俺たちはこれで。行こうか、ルーグ」
「う、うん……」
ルーグはどこか遠慮がちに頷いて、俺の後に続いてソファから腰を上げる。
その後は昼食や演習の一環として船内作業の手伝いなどをさせられて、あっと言う間に時間が過ぎて行った。やがて夕刻となり、船は経由地の港に停泊する。
夕食にはルーカス王子が手配した豪華な立食パーティが前方デッキで開かれた。その頃には船酔いでダウンしていたリリィやロザリィ、他のクラスメイトたちも幾分か調子を取り戻し、各々が食事を楽しんでいる。
そんな喧騒の最中、パーティが開かれている船の前方デッキとは反対の後方デッキで一人、ルーグは手すりの近くで夜空に浮かぶ満月に両手を伸ばしていた。
亡くなった人の魂は月に行くんだったか……。
いつしか居なくなっていたルーグを探しに来たわけだけど、どう声をかけようか。
ルーカス王子と話してからというもの、ルーグからはちょっとばかり距離を置かれている。昼食の時も、船内作業を手伝った時も、ルーグは俺から離れて行動していた。
やっぱり、ドレフォンの呪いについて俺が知っていながら黙っていたことを怒っているのかもしれない。だとしたら謝りたいんだが……。
とりあえず、日和っていても仕方がない。俺はあえて足音を立てながら、ルーグの横に並び立つ。ルーグは月に伸ばしていた手を引っ込めて、驚いたように瞳を開いて俺を見た。
それからすぐに、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「そんなに近づいたら、呪われちゃうかもしれないよ?」
ルーグは冗談っぽく言ったつもりだろう。だけどその声音は震えていて、笑みは悲痛に引き攣っていた。もしかしたらそれは、実際に誰かから言われたことのある言葉なのかもしれない。そう思ったら、俺は自分の衝動を抑えきれなかった。
ルーグの肩を掴んで、そのままギュッと抱きしめる。
「きゃっ!? ひゅ、ヒュー……?」
ルーグは困惑した様子で俺を見上げた。
「呪い、怖くないの……?」
「毎晩くっついて寝てるのに、今さら怖がってどうするんだよ」
「あっ、そっか」
ルーグはぽかんとした表情で呟いて、強張っていた体を弛緩させた。まるで目から鱗だったらしい。思い悩んで視野狭窄に陥っていたのかもしれない。
「俺は呪いなんかより、ルーグに避けられる方がよっぽど怖いよ。ごめんな、呪いのこと。知ってたのにずっと黙ってて」
「ううん。わたしの方こそごめんなさい。ドレフォン家のこと、呪いのこと、ヒューに知られたら嫌われるんじゃないかってずっと怖かった」
「嫌ったりするもんか」
「うん……っ」
ルーグの手が俺の背中に回る。俺たちは互いの体を固定するように強く強く抱きしめあった。ルーグの体温と心臓の音を感じる。火照った頬に冷ややかな夜風が当たって心地良い。
一分くらい密着し続けて、どちらともなく離れて恥ずかしさに照れ笑いする。
「ねえ、ヒュー。お母さまのお墓参り、一緒に来てくれる……?」
「もちろん」
お線香……の文化はこっちの世界にはないから、花を手向けさせてもらおう。ルーカス王子が王になる前に挨拶したいと言っていたように、俺も彼女のお母さんには挨拶をしておきたい。
「ありがとっ、ヒュー。えっと、あのね。お月様に居るお母さまにもだけど、お墓に眠ってるお母さまにもヒューを紹介したくってね。ヒューのこと大切な人だって!」
「あ、ああ」
「だから、わたしヒューのことが――」
「ストップ!」
「ふぎゅっ!?」
意を決した様子で何かを言いかけたルーグの口を慌てて塞ぐ。あ、あぶねぇ。ルーグを探すために〈忍者〉スキルに切り替えておいてよかった。おかげで、物陰から俺たちの様子を探っている連中に気づくことができた。
「(ここからじゃ何を話しているのか聞こえませんわ……!)」
「(お、押すんじゃない、ロザリィ嬢! これ以上進めばヒューにバレて)」
「――きゃあっ!?」
「ぐはぁっ!?」
物陰に潜んでいたロザリィとイディオットがバランスを崩して甲板に倒れ込む。何やってるんだこいつら……。たぶん俺たちのことを探しに来てくれたんだろう。リリィたちも心配しているかもしれない。
「そろそろ戻ろうか、ルーグ?」
「うん……。 (……むぅ、あとちょっとだったのに)」
頷いたルーグはぷくっと頬を膨らませて小声で呟く。〈忍者〉スキルのおかげでその声は丸聞こえだった。
……何があとちょっとだったのか、察せられないわけじゃない。だからこそ、ホッと息を吐いてしまう。
その言葉の続きは、俺から先に彼女へ伝えたいものだから。