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第140話:嫉妬は淑女の嗜みでして

「おかあ、さま……っ」


 早朝。カーテンの隙間から差し込む淡い光が部屋の中をほんの少しだけ明るくする時間帯。胸元の辺りから聞こえて来た少女の声に、ゆっくりと意識が覚醒する。


 視線を胸元に向ければ、絹糸のようになめらかな金色の髪が見えた。ルクレティアは俺のパジャマをギュッと握りしめ、俺の胸板に顔を埋めるようにして眠っている。けれどその体は震えていて、どうにも夢でうなされている様子だ。


 今までは俺と一緒に眠っていれば悪夢は見なかったはずなんだけどな……。精神的に不安定になっているのが原因かもしれない。


 今日から始まる校外演習で向かう先は、彼女の母親の故郷があるスペン地方だ。母親の死にトラウマを抱えているらしいルクレティアが、心中穏やかで居られないのは仕方がないだろう。


 ……こればっかりは、俺にどうする事もできない。


「ティア……」


 せめて彼女が安心して眠れるように、小さな体を優しく抱きしめる。しばらくするとルクレティアの体の震えは収まって、次第に穏やかな寝息が聞こえて来た。


 このままもう少し寝かせておいてあげたいが……。


 あいにく、集合時刻が近づいている。俺たち一年A組は演習先が他のクラスよりも遠方にあるため早朝からの出発だ。普段俺がアリッサさんやイディオットと鍛錬をしている時間にはもう学園を出なくてはいけない。


 支度に必要な時間を考えると、そろそろ限界だな……。時計と睨めっこしながらギリギリまで粘り、ルクレティアの肩を揺らして起こす。


「ティア、起きてくれ。もう朝だよ」


「んぅ……。ひゅー、あとごふん」


「ベタだなぁ。すまん、俺もちょっと寝過ごした。もう起きないと時間がヤバいんだ。ほら、起きてくれ」


「ぅう~……」


 ルクレティアは嫌そうに呻きながらも、もぞもぞと体を起き上がらせる。彼女が着ているオフショルダーのネグリジェは、右の肩紐が落ちて危ういバランスで留まっていた。朝から刺激が強すぎる……っ!


「おはよぉ、ひゅぅー。ふぁぁ」


 そんな状態であくびをしつつ、ルクレティアは右腕を上げて伸びをするものだから今度は左の肩紐もずれ落ちそうになってあああああっ!


 咄嗟に布団をルクレティアに投げつける。油断も隙もあったもんじゃない!


「きゃあっ!? な、なにっ、どうしてお布団投げつけるの!?」


「良いから早く着替えて来なさい! 今日は遅刻したらシャレにならないぞ!」


「はぁーい」


 ルクレティアはじゃっかん膨れっ面をしながらベッドから降りる。するとそこでようやく、ネグリジェが落ちかかっている事に気づいたんだろう。彼女は頬を赤く染め、胸元でネグリジェを抑えながら着替えを持ってそそくさと脱衣場へ駆け込んでいく。


 まったく、先が思いやられるな……。


 校外演習中は寮みたいに個室に泊まる機会はあまり多くない。他の男子との相部屋や、野営中はテントで雑魚寝なんかもあり得る。ルーグの正体、そして本当の性別がバレないよう気をつけないと……。


 いざって時は〈洗脳〉スキルで何とかしよう。そんな覚悟を決めつつ、俺も制服に着替えて荷物の最終チェックを行う。


 事前に学園から支給された行軍用のリュックサックには数日分の着替えや携帯食料、野営用の寝袋などが詰め込まれている。今回の校外演習は、どちらかと言えばダンジョン攻略はおまけで、この荷物を背負って行軍する方が本来の目的らしい。


 試しにリュックサックを背負ってみると、重さはそれほど感じなかった。これならルーグやレクティでも大丈夫そうだ。


 前世の軍隊は数十キロの装備を背負って戦うと聞いた記憶がおぼろげにあるけど、それに比べたらずっと楽だな。たぶん武器やら弾薬やらが入っていないからだろう。


 しばらくして、制服に着替えたルーグが部屋に戻って来る。改めて二人で荷物を確認し、俺たちは寮の部屋を後にした。ここに戻って来るのはおよそ一か月後。そう思うと一抹の寂しさがあるな……。


「行ってきます」


 誰も居ない部屋の中へ思わず声をかけてしまう。するとルーグはふわりと微笑んで「いってきます」と俺と同じように声をかけた。


 鍵を閉めて、寮の外へ。初夏の照りつける日差しと、まだ少し冷たさが残る朝の澄んだ空気が肌を包み込む。


「重くないか、ルーグ?」


 集合地点へ向かって歩きながら、俺は隣のルーグに問いかけた。重さ自体はそれほどでもないけど、リュックサックはルーグの背中よりずっと大きい。


「うん、何とかだいじょうぶ!」


「きつくなったらいつでも言ってくれ。これくらいなら二つ三つ持っても平気だから」


「わかった! 疲れたらわたしごとヒューに背負ってもらうね」


「それはちょっと話が違うなぁ」


 いやまあ、スキルを切り替えれば〈身体強化〉で余裕だとは思うんだが、ルーグを甘やかしすぎるのも良くない。リリィやアリッサさんにお小言を貰いそうだ。


「冗談だよ~」


 と、ルーグは楽しそうに笑う。空元気ってわけでもなさそうだけど、どうだろう……。


 スペン地方に向かう以上、ルーグはどうしても母親の死やドレフォンの呪いと向き合わざるを得ない。その心中は決して穏やかなものじゃないはずだ。


 ただ、俺があまり気にしすぎるのも、それはそれでよくないよな……。ルーグが普段通りで居る以上、俺も普段通りを心がけよう。


 集合場所に指定されていた校門近くの空き地には既にほとんどのクラスメイト達が集まっていた。まだアリッサさんの姿もなく、各々が教室と同じように親しいクラスメイトと集まって談笑している。


 そんな中、




「このっ、いい加減にレクティから離れなさいっ!」


「やぁーだぁーっ!」




 レクティに後ろから抱き着いたティーナをリリィが引き剥がそうと悪戦苦闘していた。


 何やってるんだ、あれ……。


 レクティは困った表情を浮かべつつ、ティーナに抱き着かれたまま特に抵抗はしていない。過剰に反応しているのはリリィで、肩で息をしながらレクティにしがみつくティーナを必死に引き剥がそうとし続けている。


「ねえ、ヒュー。あのレクティに似た子って誰かなぁ?」


「冒険者のティーナって子だよ。前にイディオットと冒険者協会に行った時に知り合った冒険者が居るって話しただろ? その内の一人なんだ」


「ふぅーん。可愛い子だね?」


「先に言っとくけど特に何もなかったからな?」


 変な勘繰りをされる前にあらかじめ否定しておく。即座の対応が功を奏したようで、ルーグは「そうなんだ」と素直に受け取ってくれた。


「でも、冒険者さんがどうしてレクティに抱き着いてるの?」


「あー……、昨日ちょっと色々あってな」


 俺がレクティと共にロザリィの付き添いでマリシャスに会いに行った事はルーグも知っている。プレゼント探しをしたことは伏せつつ、帰りにばったりティーナたちと会った事をルーグにかいつまんで説明した。


「そっか、お母さんに……。確かに似てるもんね、あの二人。そういう事なら、ちょっとだけ気持ちもわかるかも」


 母親を亡くしているルーグも、レクティと同じくティーナには感じるところがあるんだろうな……。


 しばらくして、根負けしたリリィがぜぇーはぁーと息を切らしながらこちらにゾンビのような足取りで歩いて来る。相変わらず体力がないなぁ……。


「な、何なのあの子……っ! いきなり現れたかと思えばレクティに抱き着いて!」


「まあまあ、落ち着けってリリィ。彼女は……」


 つい今しがたルーグにしたのと同じ説明をリリィにもする。聞き終えたリリィは胸元で腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ふんっ、どんな事情があろうと礼を失している事に変わりはないわ」


「それはまあそうなんだが……」


 とは言え、レクティは別に嫌がっていないし、むしろティーナの事を受け入れている様子だ。今も後ろから抱き着かれたままだけど二人で楽しそうに話している。


 その様子をリリィは少しばかり頬を膨らませて見つめていた。


 これ、もしかして……。


「リリィったら、レクティを取られて寂しいんでしょー?」


 俺が思ったことと同じことを、ルーグがにやけ口を左の手のひらで隠しながら指摘する。


「はぁっ!? べ、別に寂しいわけじゃ……っ! わ、私は一般的な淑女の嗜みを説いているだけよ……?」


「ふぅーん。じゃあ、あの子がリリィも認める淑女だったら良いの?」


「そ、そういうわけじゃ……もぅっ!」


 返事に窮したリリィは頬を赤く染めてそっぽを向く。この二人って確か幼馴染なんだよな。普段は人をからかう側のリリィがからかわれているのは初めて見た。こういうリリィの反応は新鮮で、素直に可愛らしく感じてしまう。


「……なによ」


「いや、何でもない」


 二人きりなら可愛いと伝えても良かったが、近くにはルーグや他のクラスメイトも居るからやめておく。色々とややこしい事になりそうだし、何より俺も恥ずかしいからな。


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