第133話:【自粛】
周囲を気にしつつ、端的に尋ねる。校外演習でドレフォン大迷宮に向かうと聞いた時のルーグは明らかに動揺していた。幼い頃から付き合いがあるリリィなら、その理由に何か心当たりがあるはずだ。
リリィは少しだけ顔を伏せ、踊り場の窓から外へと視線を向ける。
「ダンジョン自体に何かがあるわけではないの。ただ……」
「問題は『ドレフォン』の方か?」
「ええ。ヒューは黒竜ドレフォンを知っているかしら?」
「……いや、名前を聞いたことがあるくらいだ」
正しくは黒竜ドレフォンに関する書籍を流し読みしたくらいだけど、ほとんど知らないのと同じだ。リリィに教えて貰った方が正確だろう。
リリィは一度頷き、滔々と語りだす。
「今から二百年前、どこからともなく飛来した黒竜が王国各地に災厄を振りまいたの。黒竜による被害は甚大で、当時まだ今ほどの強さを持たなかったリース王国は滅亡の危機に瀕したわ。そんな折に、一人の冒険者が立ち上がった。彼はたった一人で黒竜が巣穴としていたスペン地方のダンジョンに挑み、黒竜ドレフォンを討ち果たしたの。黒竜を討伐した冒険者は救国の英雄と称えられ、時の国王陛下から伯爵の位と黒竜を討伐した称号としてドレフォンの家名を賜った」
ここまでだけ聞くとハッピーエンドだ。でも、たぶん本題はここからなのだろう。
「ドレフォン家はリース王国有数の名門貴族として影響力を持ったわ。それこそ、ドレフォン家の出身者が国王陛下の側室として選ばれるくらいにね。冒険者上がりと揶揄する者はほとんど居なかったそうよ。それだけ黒竜討伐は名誉ある事だったの」
「……けど、教科書にそんな記述はなかったよな?」
本来なら歴史の授業で真っ先に取り上げるレベルの偉業のように思えるが、歴史の教科書には黒竜ドレフォンに関する記述が一切ない。誰もが知っている常識だから省かれている……というわけではないんだろう。
「ドレフォン家が歴史からその名を消されたのは七年前。王都を流行り病が襲った頃よ」
「さっきアリッサさんが言っていたやつか」
「あなたのその様子だと、プノシス領には影響がなかったみたいね」
「……ド田舎だからだな」
プノシス領で生活していると、外の情報は自分から得ようとしなければほとんど入って来ない。八歳の頃の俺はまだ肉体年齢に精神が引っ張られていたから、野山を駆け回って遊び惚けていた。
もしかしたら父上は流行り病を把握していたかもしれないし、物流の面で何かしらの影響があったかもしれない。けど、俺が知る限りではプノシス領で病が流行したという記憶はなかった。
「私も子供の頃だから記憶は曖昧なの。当時私はお父様と王都の屋敷に住んでいたのだけど、病を避けるためにピュリディ領の屋敷に戻ったのを覚えているわ。ピュリディ領でも病による死者は居たらしいけど、王都よりは随分マシだったようね」
「王都の被害はそんなに酷かったのか……?」
「……ええ。貴族や平民問わず、大勢の人が亡くなったそうよ。たぶん、レクティの両親もこの流行り病で亡くなっているわ」
「……そうなのか」
アリッサさんの話を聞いて、レクティにも何か思うところがあったかもしれないな……。
「流行り病をアンは『呪い』だって言っていたよな。それはどういう意味なんだ……?」
「真相は定かではないけれど、初めに病による死者が出たのがスペン地方……ドレフォン伯爵家の領地からだと言われているの。そこから王都へ病が広がるにつれ、この病は『黒竜ドレフォンの呪い』だという噂が広まりだしたそうよ」
「何か噂になる根拠があったのか?」
「いいえ。しいて言えば、黒竜ドレフォンがもたらした厄災に疫病が含まれるという話もあるけれど、大きな戦があった地域で病が流行るのは珍しい話ではないわ」
黒竜との戦いで多数の死者が出た場合、放置された遺体が腐って衛生環境が悪化。周辺地域で疫病が発生した可能性は十分に考えられる。疫病の原因が、黒竜ドレフォンが振りまいた病原菌とは限らない。
「どちらにせよ、黒竜ドレフォンは二百年前に討伐されているんだろ。普通に考えるなら、七年前の流行り病との関連は無さそうだよな……。ただただ、流行り病の発生源がドレフォン伯爵領だったというだけで」
「そうね……。だけど、そう思わない人たちが大勢居たのよ。流行り病によって突然家族や大切な人たちを失った人々は、行き場のない感情に矛先を求めたわ」
「まさか、それがドレフォン伯爵家に?」
「お父様から聞いた話では、酷い有様だったそうよ。黒竜ドレフォンとドレフォン家に関連する像やモニュメントは次々に破壊され、書物はことごとく焼かれたらしいわ」
「……もしかして、教科書に載らなくなったのもそのせいか?」
俺の問いにリリィは首肯する。
「一部の貴族が強固に主張したそうね。黒竜ドレフォンを討伐した記録を後世に残すことは、黒竜ドレフォンの怒りを招くって」
「もはや信仰の類だな……」
前世の日本では邪神や悪霊を神として祀る風習があった。七年前の流行り病で大切な人を失った人々は、流行り病を討伐された黒竜ドレフォンの怒りだと位置づけたんだろう。
だから怒りを鎮めるために、黒竜ドレフォンを討ったドレフォン家の栄誉を無い物にしようとした。
「ドレフォン家はどうなったんだ……?」
「国王陛下はドレフォン家の領地の大部分を没収し、爵位を子爵家にまで降位させたわ。ただ、これは呪いがどうこうという話ではなく、必要な防疫措置を怠り国中に病を蔓延させたというのが理由ね」
「なるほど、落ち度はあったわけか」
この世界は前世の世界ほどグローバル化が進んでいないから、仮に流行病の正体が感染症だったなら、人の往来を規制するなどすればある程度の封じ込めは出来たはずだ。そう言った最低限の防疫措置を怠っていたんなら処罰されても仕方がない。
クラスメイトたちが騒いでいた『呪い』についてと、教科書に黒竜ドレフォンやドレフォン家の記載がない理由はわかった。……そしてあの時、どうしてルーグが動揺していたのか。その理由もここまで説明されれば何となく察する事が出来る。
「……ドレフォン家から国王陛下の側室が選ばれたって言ってたよな。そういうことなのか?」
「…………」
リリィは何も言わずそっと目を伏せる。その時ちょうど階段の下から、誰かの足音が聞こえて来た。振り返るとイディオットが階段を上ってこちらに歩み寄って来る。
「なんだ、君たち。まだこんな所に居たのか。早く戻らなければ授業が始まってしまうぞ」
「っと、そうだな。行こう、リリィ」
「……ええ」
俺たちは授業に遅れないため早足で教室に戻る事にした。
……リリィの沈黙は、たぶん肯定を示している。だとしたらドレフォン家から国王陛下の側室に選ばれた女性とはつまり、ルクレティアとルーカス王子の母親だ。
ルーカス王子が当初、王位継承権争いで貴族の支持を得られなかったのは、視力だけが原因じゃなくて、もしかしたらこれも理由だったのかもしれないな……。
本来なら強力な後ろ盾になるはずだった母方の実家は没落し、『呪い』の血筋と敵国の血筋を比較した貴族たちはスレイ殿下を支持したというわけか。俺が知らないだけで、もしかしたら今もルーカス王子への風当たりは強いのかもしれない。
そして今回の校外演習で向かう地域は、ルクレティアにとって母親の故郷だ。
困惑するのも無理はない。偶然の一致なわけがないからだ。意図的にドレフォン大迷宮が選ばれたんだとしたら、それはルーカス王子の差し金で間違いないだろう。
いったい何を企んでいるんだ、あの義兄上は……?