第126話:ボソッとデレるルクレティアさん
ルクレティアはぴょんと飛び跳ねるようにベッドから立ち上がり、俺の前でくるりと一回転。スカートが捲れ上がりほっそりとした白磁色の太ももが露わになる。
「レクティに貸してもらったの。似合う……かな?」
ややサイズが大きめの制服は、普段レクティやリリィで見慣れている。だけどそれをルクレティアが身に着けると、なんとも言えない新鮮味があるというか……とにかくめちゃくちゃ似合っていた。
思わず「ふひっ」とリリィのような気持ちの悪い笑いが出そうになるのを咳払いで誤魔化し、俺はルクレティアに対して片膝をついて頭を下げる。
「とてもお似合いです、ルクレティア王女殿下」
ルクレティアがリース王国第七王女ルクレティア・フォン・リースとして目の前に居る以上、俺は臣下の礼をとらなければいけない。例え二人きりの場で、ルクレティアがそれを望んでいないとわかっているとしてもだ。
「むぅ……、ヒューは変な所で真面目なんだから!」
「そう言われましても」
王族であるルクレティアに対して、これまで通りルーグと同じ距離感で接するのは難しい。例えルーグの正体がルクレティアだととっくの昔から気づいていたとしても、これまで気づいていない振りをしてずっと過ごしてきたのだ。
それで何とか体裁を保って来たわけで、目の前にルクレティアが居る以上、その気づいていない振りは通用しなくなる。
「じゃあ王女命令。わたしと二人きりの時はいつも通りに接すること!」
「ぐっ……承知しました、王女殿下。……はあ、これでいいか?」
溜息を吐きながら立ち上がって尋ねると、ルクレティアは「うん!」と満足げに頷く。王女様に命令されたら仕方がない。完璧にいつも通りの接し方が出来るかと言えば心情的に難しいんだが、最大限の努力をしよう。
ルクレティアは再び俺のベッドに腰掛けて、マットレスをぺしぺしと叩く。どうやら隣に座れと言うらしい。仕方がなく少し距離を置いてベッドに座ると、ルクレティアは即座に腰を浮かせて距離を詰めて来た。
「どうして少し離れて座るの?」
「いや、何となく……」
「むぅー」
ルクレティアは不満そうに頬を膨らませる。し、仕方がないじゃないか。狭い寮の一室で、自分のベッドに好きな女の子と並んで座るんだ。緊張するだろ普通!
これをそのまま伝えればルクレティアも納得してくれそうだが、それはもう告白みたいなもんだ。あなたが好きだから緊張してますなんて告白はあまりに情けなさすぎる。
とりあえず、このまま無言で天井を眺め続けているわけにもいかない。
「えーっと……、ルクレティア様?」
「ぷぃっ」
名前を呼んだらそっぽを向かれた。様付けがお気に召さなかったんだろうか……?
「る、ルクレティアさーん……?」
「ぷぅー」
どうやらさん付けでもダメらしい。なんかこれはこれで反応が可愛いからもう良いんじゃないかと思わなくもないが、嫌われたくないからこれ以上は止めておこう。
「……呼び捨てで構わないか、ルクレティア?」
男爵家の倅が王女様を呼び捨てにするなんて、国王陛下に知られたら即刻打ち首でも不思議じゃない大不敬だな……。
俺の問いかけにルクレティアは振り向いて、
「呼び捨てでもいいけど……」
「けど?」
頬をほのかに赤く染め、ぼそっと呟くように言う。
「……ヒューには、ティアって呼んでほしいな」
ティア? それって、ルクレティアの愛称だよな……? なるほど、これならルクレティアと呼び捨てにするより抵抗は少ない。
「わかったよ、ティア」
「はぅっ」
ティアは口元を両手で隠して変な声を出す。
「ぇ、えへへ。ヒューにティアって呼ばれちゃったぁ……!」
なんか物凄く嬉しそうに体をくねくねと揺らし始めた。ただ愛称で呼んだだけでこんなに喜んでくれる姿に、たまらなく愛しさが溢れそうになる。
ギュッと抱きしめたくなる衝動を必死に理性で抑えつつ、俺はかねてからの疑問をティアに投げかけた。
「それで、どうして急に元の姿に戻ったんだ?」
二人きりの場で男の振りをし続けるのが今更なのは、まあそれはそうなのだが。何のきっかけもなく思い付きで元の姿に戻ったわけじゃないはずだ。
俺が尋ねると「はっ」とティアは正気に戻り、ぷくーっと再び頬を膨らませる。
「ヒュー・プノシスさん。わたしはとーっても怒ってます! ぷっぷくぷーです」
「あ、はい」
ぷっぷくぷーってなんだ……?
「心当たりはありますか?」
「えっと……」
正直に言えばないわけじゃない。何なら軽く二つか三つは思い浮かんでしまった。……ただ、当てずっぽうで言って違ったら更なる非難を受けそうだから、安易に口にすることが出来ないんだよな……。
「すみません、わかりません」
「むぅー。ヒューのばか」
ぷいっとティアはまたそっぽを向く。それからポツリと、
「……リリィとレクティだけずるいもん」
「あ、あー……」
そうか。ようやくルクレティアの一連の行動……それから校門まで出迎えに来てくれたリリィとレクティの態度が繋がった。ティアはあの二人から、俺とキスした事を聞いたんだ。
それならそうと言ってくれよとも思うが、あの場にはイディオットも居たからな。リリィたちとしてもそれとなく忠告することしか出来なかったんだろう。
制服を貸したのがレクティなら、ルクレティアの姿に戻るアイデアを出したのはリリィだろうか。俺に男子ではなく女子だと認識させて、キスへの抵抗を減らすように……。
いやいや、抵抗を減らしてどうするんだよ! キスなんてしちゃったらさすがに俺の理性がぶっ壊れるぞ!? そうなったらもう、行きつくところまで行っちゃうかもしれない。取り返しのつかない事態になる可能性だって十分にある。
何とか誤魔化すか。いいや、それはティアに対してあまりに不誠実すぎる。謝って許してもらうのも、ちょっと違うな。ティアはキスをしたことに怒っているんじゃなくて、自分だけキスをまだされていないことに怒っているんだ。
謝られたいわけじゃないから、謝罪は意味がない。
とは言え、キスするのは……。受け入れて貰えそうな感覚はある。だけど、そこから先へ進んでしまうのは問題だ。お互いの立場もあるし、何より俺自身の感情としてティアとは大切に一歩ずつ関係を進めていきたい。
だから、
「ティア」
俺は彼女の右手にそっと左手を置いて名前を呼ぶ。振り向いたティアの紺碧の瞳はわずかに潤んで、俺の姿を鏡のように映していた。
「少しだけ、目を瞑ってくれるか?」
「――っ! う、うん……っ」
ティアは一度大きく目を見開いて、それから眉間にしわが寄るくらいキュッと瞳を閉じる。そんな力まなくてもと思うが、そんな所も愛おしい。
彼女のシルクのようになめらかな金色の髪を右手で優しく撫でる。それからわずかに突き出された唇を左手の人差し指でそっと押さえて、
「ごめん、今はこれで勘弁してくれ」
俺はティアの額に優しく口づけをした。
日和ったと言われれば否定はできないけど、一つだけ言い訳させてもらうとしたら、
「俺からキスをしたのは、ティアが初めてだから」
だからどうか、今はまだこれで許してほしい。ドッキンドッキンと激しく打ち鳴っている心臓の鼓動に合わせて、呼吸が荒くなりそうなのを必死に落ち着かせる。
理性を全力でベタ踏みして、このままティアを抱きしめてベッドに倒れ込みたい衝動を抑え込む。
ゆっくりとティアから離れると、彼女はぷしゅぅと湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にして、口をふにゃふにゃと震わせていた。
「ひゅ、ヒューっ! わ、わたっ、わたしねっ!」
見開かれた紺碧の瞳に涙を浮かべ、ティアは、
――ぐぅ。
「……お、お腹へっちゃった」
そう言えば夕飯、まだだったなぁ……。