第125話:お ま え が 言 う な
その後も池の周囲を探索したが、これと言った手がかりは見つけられなかった。日が傾いて来た事もあり、俺たちは森を後にして王都への帰路に就く。待機してくれていた馬車に乗り込むと、誰からともなく溜息が出た。
「今回の依頼、なかなか闇の深い案件だったようです。いちおう大丈夫かとは思いますが、巻き込んでしまってすみません」
「いや、気にしないでくれ」
……むしろ巻き込まれたのは冒険者ギルドの方かもしれない。
何者かが池に薬品を撒いて森の動物をモンスターに仕立て上げたのだとしたら、その目的はいったい何だったのか。モンスターは森に居た俺たちを襲い、森の外の観覧席にも殺到した。大きな騒ぎが起こり、その混乱の中で誘拐されたのがレクティだ。
レクティを誘拐する機会を作るためにモンスターによる騒動が起こされた。そう考えるのが妥当だろう。だとしたらモンスターを発生させた犯人は、レクティを誘拐した保健医もしくはその仲間と見た方がよさそうだ。
レチェリー公爵邸の事件から続く一連の騒動がこの件に深くかかわっているのだとしたら、そこに今回巻き込まれてしまったのが冒険者ギルドであり、リューグたちだろう。リューグたちは池の水を怪しんでいるから、いずれあの薬品に辿り着く可能性もゼロじゃない。
学園に帰ったらアリッサさんに相談だな……。
俺たちを乗せた馬車は王都の城壁を抜け、そのまま冒険者ギルドではなく王立学園に到着する。リューグが気を利かせて俺たちを送り届けてくれたのだ。
「悪いな、色々と気遣って貰って」
校門前で馬車を降りた俺は、見送りに出て来てくれたリューグとティーナに改めて礼を言った。
「いいえ、ヒューさんとイディオットさんのおかげで依頼も無事に達成できそうです。後は僕らの方で報告書を作成するだけですので、先に報酬をお渡ししますね」
そう言ってリューグはいつの間に用意したのか、報酬が入った巾着袋を二つ取り出して俺とイディオットに手渡してくる。
「良いのか……? 俺たちほとんど何も出来てないんだが……」
森ではモンスターとの戦闘もなく、ただリューグたちと一緒に歩いていただけだ。巾着の膨らみ具合から察するに、本当にDランクの依頼の達成報酬と同じくらいの額が入っているように見える。働きに応じて減らされていている様子はない。
「もちろんです。お二人からはこちらが望む以上の情報を得られましたし、十分に報酬をお支払いするだけの仕事をしてくださいました。それに、契約金を後から減額するなんてせこい真似は出来ませんよ。僕らは父から健全誠実に生きなさいと常々教わってきましたから」
「健全誠実?」
まさか俺の座右の銘と同じ言葉が出て来るとは思わなかった。くしゃみの件と言い、リューグたちの父親には妙な親近感を覚えてしまう。
「ほう、立派な御父上に育てられたのだな」
「ええ、自慢の父ですよ」
「お嫁さん三人も貰っておいて健全も誠実もないと思うけどね~」
ティーナがニヤニヤと笑いながら口を挟んで来る。何でもリューグとティーナには母が三人居て、二人は腹違いの兄妹らしい。そんな所まで親近感を覚えたくなかったな……。
そんな感じでしばらく談笑していると不意にリューグとティーナの声が途切れた。思わずと言った様子で声を詰まらせた二人の視線の先、振り返ると校舎の方からリリィとレクティがこちらに近づいて来ている。
「……それじゃ、僕らはそろそろ行きますね」
「また校外演習で会おうね、ヒューさんっ、イディオットさんっ」
「うむ。また会おうではないか」
「ありがとな、二人とも」
リューグとティーナはどこか急いだ様子で車内に戻り馬車が動き出す。どうしたんだろうか、急に慌てて。まるでリリィとレクティから逃げようとしたような……気のせいか?
「お帰りなさい、ヒュー、イディオット」
「お二人とも怪我はありませんか?」
去って行く馬車を見送っていると、リリィとレクティが声をかけて来てくれた。もしかしたら俺たちが帰って来るのを待ってくれていたのかもしれない。
「心配無用だ、レクティ嬢。この通りピンピンしている。モンスターなんぞこのイディオット・ホートネスにかかれば敵ではない!」
「いや、今回一度もモンスターに遭遇してないだろ……」
「ふふっ。二人とも怪我がなくて何よりだわ。首尾は上々だったみたいね」
「まあな。……あれ? そう言えばルーグは一緒じゃないのか?」
俺が尋ねると、リリィは「ぅっ……」と声を詰まらせる。
「る、ルーグなら先に部屋に戻ったわ……。さっきまで一緒に居たのだけど、ヒューを出迎える準備をするから……と」
「準備……?」
ルーグはいったい何を準備して俺を出迎えるつもりなんだ? まるで予想がつかなくてちょっと怖いんだが……。
「それから、その……」
リリィは言い出しづらそうに視線を彷徨わせて、やがてポンと俺の肩に手を置いた。
「これから大変だろうけど、気持ちを強く持って。あなたならきっと乗り越えられるわ」
「ちょっと待て。ルーグはいったい何を準備して俺を待ち構えてるんだ……!?」
部屋に帰るのが物凄く怖くなってしまった。もうこのままイディオットに一晩泊めて貰おうかと真剣に考えてみるが、帰らなかった方がろくでもない結果になりそうだよな……。
リリィは「私からはこれ以上何も言えないわ」と悟ったような眼で首を横に振る。一縷の望みをかけてレクティにも視線を向けたが「頑張ってくださいね、ヒューさん……」とだけ言ってスッと目を逸らされてしまった。
ええぇ……。
とりあえず、部屋に帰る前に借りていた剣をアリッサさんに返しに行かなきゃいけない。
リリィたちとは女子寮前で別れて教員宿舎の方へイディオットと向かう。宿舎裏のいつもの空き地で剣を振っていたアリッサさんに剣を返し、今日の出来事を報告した。
「了解ッス。こっちでルーカス殿下に報告しておくッスね」
リューグたちと発見した池の件を聞いたアリッサさんの反応は予想よりも薄い。あの池の存在はもうとっくに騎士団が把握していたのかもしれないな……。
夕食までアリッサさんと鍛錬をするというイディオットとも別れて、俺は一人で男子寮へ戻った。何かを準備して待ち構えているらしいルーグには不安しかないが、早く帰って一緒に過ごしたい気持ちもある。
「ただいま」
鍵を開けて自室に入ると、廊下の向こうから「おかえりなさいっ」とルーグの声がした。心なしかいつもよりも高く聞こえたような……? 気のせいか……?
廊下を進んでおそるおそる部屋の扉を開く。その向こうに居たのは、
――金色の髪の少女だった。
そのあまりの美しさに思わず呼吸を忘れていた。魔道具の照明の光を浴びたキラキラと輝く艶やかな金色の髪。紺碧色の大きな瞳が俺を見て嬉しそうに弧を描く。
俺のベッドに腰掛けていた彼女は王立学園の制服姿で、ただ一点普段と違うのは、その制服が男子のものではなく女子の制服という点だ。
「どうしてその姿に……?」
色々と言うべきことはあるはずだが、真っ先に浮かんだ疑問が口から漏れ出た。これまでずっと俺の前ではルーグとして過ごしてきた彼女が、なぜ今になってルクレティアの姿をしているのか。
ルクレティアは困ったような笑みを浮かべて言う。
「二人きりの時はなんかもう今さらかなって」
ああ、うん。
それはそう。