第124話:当たらなければどうというこ――ぐはぁっ
「着きましたね」
森林の外縁部、ちょうどクラス対抗戦の際に出店や観客席が並んでいた平原に馬車は到着した。あれから二週間余り経ったが、モンスターの襲撃を受けた出店や観客席は壊れたまま解体されずに残されていた。
とりあえず秋以降に延期になったクラス対抗戦が再び行われる際に再利用するのか、それともこのまま風化するまで放置され続けるのか。この世界の価値観や判断基準で考えると後者だろうな。まだまだ環境問題や自然保護の意識とは無縁の世界だし。
馬車から降りた俺たちはそれぞれ装備を身に着ける。と言っても、俺とイディオットはアリッサさんから借りて来た剣を腰に携えるだけだ。
鎧や装備の類は王国騎士団の物を借りるわけにはいかないし、アリッサさんからも「慣れない装備を着て動きが鈍くなるくらいなら着ない方がマシッスよ」とアドバイスを受けた。
特にイディオットの場合は剣さえあればだいたいの攻撃は防げるし、むしろ鎧で動きを阻害されるくらいなら全裸で戦えとまでアリッサさんに言われている。さすがに全裸は無いとしても、身軽であればあるほどイディオットの実力が発揮できるのは間違いない。
リューグとティーナもそれぞれ軽装を身に着けている。金属製の胸当てとガントレット。それ以外だと膝や脛をカバーするレッグアーマーくらいだ。
「冒険者ってもっとガチガチに全身を装備で固めるものだと思ってたよ」
「それは人によりけりですね。ヒューさんがイメージする冒険者ももちろん居ますよ。ただ、僕らは防御力よりも身軽さを重視しているんです。師匠がそうだったので」
「師匠よく言ってたもんね~。『当たらなければどうというこー―ぐはぁっ』って!」
当たってんじゃねぇか……。
ティーナの冗談は置いておくとして。リューグは俺たちと同じく腰に剣を、ティーナは矢筒を背負って弓を手にする。
「モンスターとの会敵に備えて慎重に進みましょう」
俺たちはリューグを先頭に森の中へ分け入った。リューグと並び立つ形でイディオットが前に出て、二人の後ろを俺とティーナが並んで続く。前衛と後衛に分かれる隊列だ。
草木が鬱蒼と茂った森の中は薄暗く、そして不気味な静寂に包まれていた。鳥や虫の鳴き声が聞こえない。スキルが〈発火〉だからだろうか……?
「不気味だね~。ダンジョンの中だってここまで静かじゃないよ」
「そうなのか?」
「うん。場所にもよるけどモンスターが生息しているからけっこう賑やかだったりするの。けど、ここはそうじゃない。まるでモンスターの気配も感じないし~」
……確かに、静かすぎるかもしれない。
三十分ほど歩き続けたが、俺たちは一度もモンスターと出くわさなかった。クラス対抗戦の時はリリィの〈戦術家〉を駆使しても、森を抜けるまで何度もモンスターに襲われたんだけどな……。
「この森は僕らの前に王国騎士団と常備軍も探索したと聞いています。もしかしたら、もう森の中に居たモンスターは一掃されているのかもしれませんね」
「……いいや、それにしては不自然ではないか? 戦闘の痕跡が余りに少なすぎる」
リューグの推測にイディオットが疑問を呈する。
言われてみれば確かに、騎士団や常備軍がモンスターを討伐したにしては森が綺麗なままだった気がする。いやまあ、〈忍者〉スキルじゃないから単に俺が見落としたって可能性の方が高いんだが、イディオットがそう言うならそうなんだろう。
「……なるほど。だからリース王国は冒険者ギルドに依頼を出したのかもしれませんね。モンスターが異常発生した森に調査に入った騎士団と常備軍が、異常発生の原因を特定できなかったどころかモンスターと遭遇すらしなかったのだとしたら、困惑して対応を冒険者ギルドに投げても不思議じゃありません」
「何事もなければ冒険者ギルドに依頼なんてしなさそうだもんなぁ……」
王国騎士団にも軍部にもプライドはあるだろうから、自分たちで原因を特定したかったはずだ。それが叶わなかったから冒険者ギルドにお鉢が回ってきたんだろう。
だとしたら、この依頼を出したのは軍部……ブルート殿下の陣営か? ルーカス王子なら、なぜモンスターが忽然と姿を消してしまったのか心当たりがあるはずだ。あの人がわざわざ情報を広めかねないリスクを冒して、冒険者ギルドに依頼を出すはずがない。
それから一時間ほど森を探索しても、モンスターと遭遇する事はなかった。それらしい手がかりも見つからないし、そろそろ引き返そうかと話し始めたタイミングで、
「くちゃい」
ティーナが鼻を押さえて呻くように言う。一瞬俺に言ったのかと思ってヒヤッとしたが、どうやらそう言うわけじゃないらしい。
俺の鼻にもどこからともかくかすかに嫌な臭いが漂って来た。チーズのような、生ごみが腐ったような……。腐敗臭という奴だろうか……?
「行ってみましょう。何か手がかりがあるかもしれません」
「そうだな……」
リューグの提案に頷く。臭いの元を辿って進んでいく内に、臭いはより強くなっていく。
やがて俺たちが辿り着いたのは木々がぽっかりと開けた空間だった。中央にはどす黒く濁った池があり、周囲の草木は歪に曲がりくねって枯れている。池の周囲には動物と思われる骨が幾つも転がっていた。
とんでもなく不気味な空間だな……。昼間だからそこまで怖くないけど、もし夕暮れ時や夜に見つけていたらすぐさま逃げ帰っていたところだ。
「リューにぃ、これがモンスター発生の原因かな?」
「どうだろう……。お二人は何か気づいた事はありますか?」
リューグに問われ、俺とイディオットは顔を見合わせる。
モンスターの発生原因は、恐らくレチェリーやロザリィをモンスターに変異させたあの薬品だろう。ただ、薬品の件は俺もイディオットもルーカス王子から口外しないよう厳命されている。薬品の存在をリューグとティーナに伝えるわけにはいかない。
報酬を約束してもらった手前、気が引けるが……。
「この池が怪しいとは思うけど、すまん。それ以上はわからない」
「そうですか……」
リューグは腕を組んで拳を口の前に持って行く。どうやら考え込む時の癖のようだ。
「お二人が見たモンスターは全て、森に住む動物に酷似していたんですよね? だとしたら、この池の水を飲んだ動物がモンスターに変異した……?」
「え~っ? こんな汚い水を動物さんたちが飲むかなぁ?」
「モンスターの発生から二週間以上経ってる。水質が悪化したのかもしれないよ」
「でもでもやっぱ不自然だって~! ヒューさんたちが遭遇したモンスターって一体や二体じゃないんでしょ? 数匹の動物さんが水を飲みに来たならともかく、一斉にたくさんの動物さんが水を飲みに来てモンスターになったってことー?」
「それは……」
この池に薬品が撒かれた事で、水を飲みに来た森に住む動物たちがモンスターに変異した。そう考えれば、ダンジョンがないはずの森にモンスターが発生した理由にも説明がつく……とは言え、ティーナの疑問はもっともだ。
森の動物が、そんな一斉に水を飲みに来るものか? しかもクラス対抗戦は午前中にもこの森で行われていたわけで、午後からの俺たちのクラスが森に入ったタイミングに合わせて動物が一斉に水を飲みに来たという事にならないか……?
「……ふむ、何者かが作為的に動物をこの池まで誘導したというわけか」
「ええ。そう考えるしかありませんね……」
「これ、普通にダンジョン見つかった方がよかった案件かもー?」
苦笑を浮かべながら首を傾けるティーナに、俺たちは無言で頷いたのだった。