第117話:いっけなぁーい、遅刻遅刻ですわぁー!
とっさにルーグを庇うために俺が脇へ避けると、
「「ぐはぁっ!?」」
少女は俺の横を通り過ぎてイディオットに真正面から激突した。
「あいたたた……」
少女が起き上がると同時に揺れるのはドリルのように渦を巻いた桃色の髪。王立学園の白地に青色のラインが入った制服に身を包んでいるのは、何を隠そう神授教によって選ばれた聖女ロザリィ・セイントだった。
「ろ、ロザリィ!? そんなに慌ててどうしたのっ?」
「あら、ルーグ様! それにヒュー様も。おはようございますわ!」
ロザリィはイディオットに馬乗りになったまま、俺たちに向かってニッコリと微笑む。
転入生としてロザリィが王立学園に来たのはつい昨日の事だ。諸々の事情によって王立学園に転入する事になった彼女は、今日から俺たちと同じ一年A組に所属する事になっている。
「お待ちください、ロザリィ様!」
ロザリィを呼ぶ声に視線を向けると、廊下の向こうから紺色のショートボブが印象的な女性がこちらへ駆け寄って来る所だった。ロザリィの護衛を務める聖騎士のシセリーさんだ。彼女もロザリィの護衛兼、宗教学の教師として王立学園で働くことになっている。
「おはようございます、シセリーさん」
「あ、ヒュー様とルーグ様。おはようございます」
俺たちに気づいたシセリーさんは立ち止まってぺこりと頭を下げる。丁寧で物腰の柔らかい人だ。年も俺たちと五つくらいしか離れていないし、きっと生徒から男女問わず人気が出るだろうな。
「あらシセリー、遅いですわよ。早く朝食を済ませないと遅刻してしまいますわ」
「ロザリィ様、申し上げにくいのですが、もう朝食を食べている時間はありません。転入初日の今日は、職員室で最後の手続きを済ませる必要がありますので……」
「そうなんですの!? わたくし、学食というものにずっと憧れていましたのに残念ですわ……」
ロザリィはがっくりと肩を落とす。目の下にクマが出来ているあたり、昨晩はあまりよく眠れなかったんだろうな。不眠症はある程度改善されているはずだから、単に今日からの学園生活が楽しみで仕方がなかったんだろう。
それはそれとして、
「ロザリィ嬢……! そろそろどいてくれないか!?」
「あら、イディオット様。なぜそんなところに?」
「君がぶつかって来たからだろう!?」
ずっとロザリィに馬乗りになられていたイディオットが耐えかねて声を上げると、ロザリィはようやく気付いた様子でイディオットの上から「ごめんあそばせ」と退く。
「まったく……。教会の聖女がまさかこんなじゃじゃ馬だったとは……。少しはレクティ嬢の淑やかさを見習ったらどうだ」
「あら、女性を型にはめて比較するなんてナンセンスですわよ、イディオット様。レクティにはレクティの良さがあり、わたくしにはわたくしの良さがあるのですわ」
「落ち着きがないところを良さとは言わんだろう」
「『ロザリィは元気はつらつで見ているだけで元気になれるね』とおじいさまが褒めてくださいましたわ。立派なわたくしの長所ですわよ」
ぐぎぎぎとメンチを切りあうイディオットとロザリィ。この二人、大聖堂での事件で初めて顔を合わせてからずっと馬が合わないらしく、会うたびに衝突しているらしい。
今回初めてその場面に遭遇したわけだが、噂に聞いていたほど険悪な雰囲気じゃなさそうだ。
「手続きが残っているのだろう。さっさと行ったらどうだ」
「言われなくともそうしますわよ。ルーグ様、ヒュー様、また後ほどですわ」
「ああ、また後でな」
ロザリィはイディオットからフンッと鼻を鳴らして視線を外し、踵を返して職員室の方へ歩いて行く。その背中をルーグが呼び止めた。
「あ。待って、ロザリィ。よかったらお昼ご飯、一緒にどうかな?」
「まあ! まあまあまあっ! お友達と一緒に学食でランチ! まさに学園生活って感じでとっても素敵ですわ! ぜひお願いしますわ、ルーグ様っ!」
「うんっ! それじゃ、また後でね、ロザリィ」
「ええ! また後で、ですわ~っ!」
ロザリィはぶんぶんとこちらに手を振りながら職員室の方へ去って行く。シセリーさんは俺たちに一礼して慌ててロザリィを追いかけて行った。これからよりいっそう、騒がしい日常になりそうだ。
「よかったな、ルーグ」
「うんっ。……あ、ぷぃっ」
機嫌を直してくれるまではもう少しかかりそうだな……。
◇
「実質、人質ではあるのよね」
俺の向かいに座って昼食をとっていたリリィが、少し離れたテーブルでルーグやレクティ、他にもアンやブラウンなどのクラスメイト達に囲まれて、楽しそうに食事をしているロザリィを見てポツリと呟く。
ロザリィの転入は神授教の教皇庁とルーカス王子の交渉によって決まったものだ。
マリシャスによって病人の治療を強制されていたロザリィの聖女としての名声は地に落ちた。このままロザリィを聖女として活動させる事が難しくなった教会側に、ルーカス王子はほとぼりが冷めるまで王立学園で匿うのはどうかと提案したそうだ。
その提案を教会側が受け入れてロザリィの転入が決まったらしい。匿うと言えば聞こえはいいが……、やっぱり人質だよなぁ、これ。
「まあ、本人は気にしてないっぽいけどな」
「……事情はある程度、レクティから聞いているわ。もしフォローが必要な事があれば何でも相談してちょうだい」
「助かるよ、リリィ」
「それにしても……ふふっ。ルーグもレクティも、楽しそうで何よりね」
ロザリィと笑いあっている二人を見て、リリィはふわりと微笑む。親目線で見てしまうのは何となくわかるなぁ。特にレクティは、入学当初はリリィや俺の傍から離れてクラスメイトと談笑する姿なんて想像できなかった。
ちょっぴり寂しい気もするが、それ以上にレクティの成長が友人として嬉しい。リリィもきっと同じ気持ちだろう。
なんて考えながらレクティを見ていると、不意に目があった。するとレクティは頬を赤く染めてスッと俺から視線を逸らしてしまう。
大聖堂での事件の日。レクティに唇を奪われてからと言うもの、俺はレクティと面と向かって会話できていなかった。
避けられているんだろうな……。もちろん悪い意味じゃないことは理解している。気恥ずかしさで声をかけられないのは俺も同じだった。
「ふぅーん」
「なんだよ」
「私の旦那様は罪な男ねと思って」
「お前なぁ……」
こんな人が大勢居るような場所で旦那呼びは止めてくれ。まあ、注目はロザリィたちが集めているから大丈夫だとは思うが……。
「私は構わないわよ。むしろレクティなら大歓迎。あの子もあなたを独占したいなんて思っていないでしょうし」
「レクティはそうかもしれないけどな……」
問題はルクレティアがどう思うか。『好きです結婚してください、ちなみに他にも二人妻に迎える予定です』はあまりに不誠実すぎる。そんな糞男とルクレティアが結婚するなんて言い出したら、俺は全力で阻止しようとするだろう。……俺の事なんだが。
「心配ならさっさと告白して聞いてみれば良いんじゃないかしら。もしあの子が拒むなら、私は大人しく身を引くわ」
事もなげに言うあたり、リリィにはルクレティアが拒まない確信があるのかもしれない。
告白かぁ……。
「考えてないわけじゃないんだけど、タイミングがどうもなぁ」
前世の世界なら、定番はやっぱりクリスマスやバレンタインデーのようなイベント時だろうか。でも、こっちの世界にそれらに相当するイベントはなかった気がする。
「タイミングならすぐ近くにあるじゃない」
「え?」
「あの子の誕生日、来月よ?」