第116話:まさか親友キャラに落ち着くとは……
何だかんだ熟睡して朝になった。アリッサさんとの鍛錬のために起きた俺は、拗ねたように頬を膨らませるルーグに見送られながら自室を後にする。ルーグがどういうつもりだったのかはまあ、察するところではあるんだが……。
だからと言って、それを受け入れるわけにはいかない。
俺の覚悟の問題以前の話だ。ルーグはこの国の第七王女ルクレティア・フォン・リースであり、何より十五歳思春期真っただ中の女の子。実年齢は同い年でも、精神年齢が四十歳近い俺がブレーキを踏まなくてどうする。
……いやまあ、学園を卒業するまでブレーキが無事に動作し続けるかは甚だ疑問ではあるけども。このままだといつかどこかのタイミングでフェード現象が起こりそうな気がしないでもない。
ルーグとは、折を見てちゃんと話さないとな……。よくよく考えればまだ告白すら出来ていないわけで、俺もそろそろハッキリと気持ちを伝えるべきだよなぁと思う。何かいいタイミングがあればいいんだが……。
そんな事を考えながら歩いている内に、鍛錬に使っている教員宿舎裏の空き地に辿り着く。そこにはアリッサさんと、イディオットの姿があった。
「はぁあああっ!」
「甘いッスよ!」
振り抜かれた木剣を弾き飛ばし、アリッサさんは木剣の剣先をイディオットの喉元に突きつける。武器を失ったイディオットは、両手を挙げて降参の合図を出した。
「さすが〈剣聖〉の右腕、まさかこの僕が一本も取れないとは」
「ふっふーん、それほどでもあるッス。と言うか、イディオット少年。君、自分から攻撃するの禁止ッス。明らかにスキルの恩恵が攻めに転じた瞬間に消えてるじゃないッスか」
「なに……っ!? まさか、いや……言われてみれば確かに……」
イディオットのスキル〈守護者〉は〈身体強化〉や〈剣術〉を内包し守りに特化した強力なスキルだ。守勢に回られればLv.Maxの〈剣術〉スキルでも突破する事が出来なかった。
その反面、攻勢に回った時の〈守護者〉からはそれほど脅威を感じない。俺との模擬戦でも、今の立ち合いでも、イディオットは攻勢に出た際に反撃を食らって敗北している。
なるほど……。〈守護者〉が本来の力を発揮するのは守勢に回った時のみか。かなり使いどころを絞られてしまうが、スキルの効果は絶大だ。なかなか奥深いな、スキルって。
「来たッスね、ヒュー少年」
「おはようございます、アリッサさん」
「む。遅かったではないか、ヒュー。先に始めていたぞ」
「すまん、ちょっと寝過ごした」
二人に頭を下げつつ、近くの木に立てかけてあった木剣を掴む。イディオットが俺とアリッサさんの朝の鍛錬に参加するようになったのはつい二日前。大聖堂での事件の後、ホートネス家の後処理のため二週間ほど学園を離れていたイディオットが復学した直後の事だ。
何でも、ルーカス王子から参加を勧められたらしい。
ホートネス家はレクティ誘拐未遂の罪を問われ領地の三分の二を没収の上、爵位が侯爵から男爵にまで下げられてしまった。それによって失われた名声は計り知れない。名誉が重んじられる貴族社会においては致命傷だ。
蟄居を命じられた父親に代わり没落寸前のホートネス家の家督を譲られたイディオットは、ホートネス家を建て直さなくちゃいけなくなった。とは言え、王立学園に入学したばかりのイディオットに取れる手段は限られている。
そこでルーカス王子が提案したのは、イディオットが剣で武功を立てる事だった。具体的には王国騎士団の任務に同行してモンスターや犯罪者との戦闘を行う事や、冒険者になってダンジョンに潜る事など。
とにかくイディオット自身が功績を挙げ続ける事が、ホートネス家の名誉回復への近道らしい。さらっとイディオットを王国騎士団に入れているあたり、さすがルーカス王子だ。抜け目がない。
イディオットを加えて三人になった鍛錬は、アリッサさんの方針でより実戦的なものになった。やはりと言うべきか、ひと月程度の鍛錬では俺とイディオットの実力の差は埋まらない。むしろ間近でイディオットの剣戟を見る事で、自分との差を思い知らされる。
俺には努力も覚悟も足りない。それでも……!
必死に食らいついている内に鍛錬は終了。俺は今日もまた、アリッサさんからもイディオットからも、一本も取ることが出来なかった。
「ヒュー、君は幼少から剣の鍛錬を続けていたのか?」
アリッサさんと別れ、寮へ戻る道すがら。並んで歩いていたイディオットが問いかけてくる。
「いいや。実家に居た頃に父上から少し習っただけだよ。父上も剣より弓矢って人だから、本当に基本を教わっただけなんだ」
「ふむ。ならばやはり、スウィフト女史の教え方が良いのだろうな。僕との決闘の後から本格的に剣を習い始めたにしては、君の剣の腕は悪くない」
「そうなのか? 自分ではあんまり自覚がないんだが……。現にアリッサさんからまだ一本も取れてないだろ」
「何を言う、相手はあの剣聖の右腕と称されるアリッサ・スウィフトなのだ。そう簡単に一本取れる相手ではない。王国で五指に入る実力者だぞ」
「やっぱりそんな凄い人なのか」
「なぜ騎士団から王立学園に出向しているのか不思議なほどの大物だ」
……どうやら俺の義兄上は意外と過保護だったらしい。そんな人を学園に派遣したらルーカス王子にとって重要な人物が学園に居るとアピールしているようなものだと思うがどうなんだろうか。……いまさらか?
いったんイディオットと別れて部屋に戻り、シャワーを浴びてからまだ頬を膨らませているルーグとともに学食へ向かう。学食では再びイディオットと合流し同じテーブルで朝食を共にした。
「ヒューよ、ルーグと何かあったのか? 何やら不機嫌そうに見えるが」
「あー……、いや。何かあったというか……」
何もなかったから不機嫌になっているというか。ルーグに視線を向けると、ぷぃっとそっぽを向かれる。これはしばらく口を聞いて貰えないかもしれない。
それからしばらく食事を続けていると、不意に遠くから視線を感じた。〈忍者〉スキルじゃないから気のせいかとも思ったが、視線を向けるとこちらの様子を伺っているグループがある。
クラスメイトのアンを始めとするイディオットの元取り巻きたちだ。そう言えば、イディオットはこれまで彼女らと食事を共にする事が多かった気がする。
視線にはイディオットも気づいている様子だった。
「一緒に食事をしないまでも、話くらいはしてやったらどうだ?」
「やめておいたほうがいい。彼らと共に居れば要らぬ勘繰りをされかねない」
「そうか……」
スレイ殿下とホートネス侯爵が王令を無視してレクティの誘拐を計画し、それをイディオットが阻止した話は全て明るみになっている。
失脚したスレイ殿下を支持していた貴族たちからすれば、イディオットは裏切り者だ。表立って非難する者は居ないが、良い感情を持たれていないのは、傍に居る俺も感じる。
アンたちはイディオットを慕っているから、あの視線は心配によるものだろう。だからこそ、イディオットは彼女らから距離を置いている。
ちなみにイディオットが俺たちと行動を共にしているのは、俺たちを気遣っていないからとかではなく、俺たちがとっくにルーカス王子陣営と周囲から一括りに認識されているからだ。いまさら気にしたって仕方がない。
さて。朝食を終え、学食から教室へ向かう――その道中。
「遅刻ですわぁあああああああああああっっっ!!!!」
桃色の髪の少女が、廊下の角から飛び出してきた。