第104話:リリィ(ダイエットしとけばよかったわ……)
焦げた肉の臭いが立ち込める中、見える範囲に居たモンスターを全て焼き払ったのを確認し俺は安堵の息を吐く。範囲と威力の調整が上手くいったようで、幸いにも炎が森に延焼することはなさそうだ。クラスメイトたちを巻き込んだ様子もない。
試験や授業で使い慣れているとはいえ、〈発火〉を実戦で使うのは初めてだ。万が一もあるかもと内心ひやひやものだった。
「流石だな、ヒュー!」
「やるじゃない、ヒューくん!」
ブラウンやアン、周囲に居たクラスメイト達が口々に賞賛の声を浴びせてくる。あんまりクラスで目立ったことがないから、なんかこそばゆいな……。
「ありがとう、ヒュー。おかげで助かったわ」
リリィが胸を撫で下ろした様子で歩み寄って来た。
「無事でよかった。怪我はないか?」
「ええ。私は後ろで指示を飛ばしていただけだもの。みんなが体を張って踏ん張ってくれたおかげよ」
「リリィの指示が的確だったっていうのもあるんじゃないか?」
俺がそう言うと、クラスメイトたちも同意するようにリリィへ賞賛の言葉を贈る。
リリィの指示で守りに徹した事で前線の崩壊を防ぐことが出来たし、俺の救援も間に合った。もしリリィが逃げ出していたり、無理な攻撃を指示していたりしたらどうなっていた事か。
「そ、そう言われると照れてしまうのだけど……」
リリィは恥ずかしそうに毛先を弄りながら頬を赤く染める。それからすぐに気を取り直すようにぶんぶんと首を横に振って、
「ヒュー、そっちは大丈夫だったの……?」
「まあ、いちおうな……」
尋ねてきたリリィに、俺は小さく頷いた。事前の想定通りだと、周囲のクラスメイトに気取られないように答える。
レクティの誘拐計画やそれへのトレイターの関与はいずれ表沙汰になる事かもしれないが、今ここでクラスメイトたちに伝えても余計な混乱を生むだけだ。
「それよりも、さっきのモンスターはいったい何だったんだ?」
リリィたちを襲っていたのは、熊やイノシシやウサギなどの動物の特徴を有したバラバラな種類のモンスターたちだった。どこかのダンジョンから溢れてきたと考えたいところだが……、
「近くにダンジョンがあるなんて話は聞いたことがないわ。この森はクラス対抗戦だけじゃなくて騎士団や軍の訓練で使われることもあるし、未発見のダンジョンが森の中にある可能性も低いはずよ」
「じゃあ、さっきのモンスターは……」
続く言葉を今この場で口にすることは出来ない。とりあえず今は、考えるよりも自分たちの安全確保を優先したほうがよさそうだ。
リリィにスキルを使ってもらい周囲の状況を確認すると、森の中にはまだ複数のモンスターが居るようだった。ルーグを途中で置いて来なくて正解だったな……。
「対戦相手のクラスはもう森から撤退しているようね。怪我人の治療が終わり次第、私たちも撤退するわ! イディオットとブラウンを中心に動ける人員で周囲を警戒して!」
リリィの指示に各々が頷いて行動に移る。
幸いにも重傷者が居なかったため、怪我人の治療には3分とかからなかった。その間にもモンスターの襲撃はあったものの、数体が散発的に襲ってきただけで、俺の出番すらなくイディオットたちが対処する。
トレイターを除く二十九人が揃っているのを確認し、俺たちは森の外を目指して行軍を開始した。
先頭をブラウンとアンが勤め、その後ろをスレイ殿下派とブルート殿下派がそれぞれ左右に分かれて警戒する。殿はイディオットが勤め、俺はリリィやレクティやルーグと共に陣形の中央に配置された。
二十九人という大所帯では、どうしても近くのモンスターに気づかれてしまう。だが、それよりも先にリリィがスキルでモンスターの接近を感知できるため対応は容易だ。
唯一の懸念点は俺が常にリリィを負ぶって移動しなくちゃいけない事くらいだな……。
スキルを〈発火〉から〈忍者〉に戻す暇がなくて〈身体強化〉の恩恵を受けられないのがかなりキツイ。リリィからは「無理せず他の人に代わってもらっていいのよ」と言われてはいるが、これだけは譲れなかった。
今も「代ろうか?」と声をかけてくるクラスメイトの男子をシッシと追い払いつつ、気合と根性でリリィを背負いながら歩き続ける。なんでそんなに頑張るのかって、他の男にリリィを背負わせるのはモヤモヤして嫌だからだ。
「貴方って、意外と独占欲が強いのね」
「嫌か?」
「(いいえ、もっと好きになっちゃう)」
耳元でそう囁かれ危うく前のめりにぶっ倒れそうになった。ただでさえ背中に当たる柔らかな弾力に意識が飛びそうになっているんだ。この非常時にこれ以上ドキドキさせないでくれ……っ!
隣を歩くルーグとレクティにジト目で見られつつ、なんとかリリィを背負ったまま30分ほどかけて森を抜ける事が出来た。視界が開けたことで〈戦術家〉を常時発動させる必要がなくなったため、ようやくリリィを背中から降ろす。
そこから俺たちは、とりあえず観覧席のほうへ向かった。
どうやらモンスターの襲撃は森の中だけでなく、観覧席の方にも押し寄せたらしい。俺たちが到着した頃にはモンスターは全て討伐されていたが、無残に破壊された観覧席や焼け落ちた出店が被害の大きさを物語っていた。
おそらく、少なくない数の怪我人も出ているだろう。
「おー、全員無事だったッスね」
俺たちを出迎えたのは、全身に返り血を浴びたアリッサさんだった。
「いやぁ、クラス対抗戦を妨害する不届き者どもを返り討ちにしてたら急にモンスターが飛び出してきてビックリしたッスよ。そっちも大変だったみたいッスけど、君たちなら何とか出来ると思って来賓の貴族方の護衛に回らせて貰ったッス」
「いや、実際に何とか出来ましたけども……」
ルーグに何かあったらどうするつもりだったんだろうか。アリッサさんって俺たちとルーカス王子の連絡役として派遣されて来ているから、ルーグの護衛ってわけじゃないとはいえ……。
アリッサさんは俺の不満に気付いたのか、こっちにウィンクを投げてくる。……とりあえず俺への信頼の証として受け取っておこう。
「アリッサ先生、私たちはこれからどうすればいいでしょうか?」
クラスを代表し、リリィがアリッサさんへ問いかける。アリッサさんは「う~ん」と腕を組んでしばらく悩み、
「とりあえず手分けして怪我人の救護を――」
と言いかけた直後だった。
ドサッ…………、と背後から何かが倒れる音がした。
振り返ると、少し離れたところに紺色の髪の女性が倒れている。
その髪色、そして身に着けている白地に赤いラインの胸当てには見覚えがあった。
「シセリーさん!?」
ロザリィの護衛を務める聖騎士がどうしてこんなところに……!? まさか、ロザリィがクラス対抗戦を見に来てくれていたのか!?
俺とルーグが慌てて駆け寄ると、倒れたシセリーさんの全身には幾つもの傷が刻まれていた。血は今もとめどなく流れ続けている。
「レクティっ、シセリーさんを治してあげてっ!」
「は、はいっ……!」
ルーグに呼ばれ、レクティがすぐさま治療を開始する。出血が酷いが、レクティの〈聖女〉スキルなら助かるはずだ。
「せい……じょ…………」
「安心して、シセリーさん! いまレクティが治してくれるから!」
「ルーグ、ここを任せて構わないか……? もしかしたらロザリィが来ていたのかもしれない。俺はロザリィを探してくる」
「うんっ。気を付けてね、ヒュー!」
俺はシセリーさんの治療をルーグとレクティに任せ、リリィとアリッサさんに簡潔に事情を説明してからロザリィを探しに出ることにした。