第103話:ノリで「焼き払え」って意味もなく言って後で恥ずかしくなるやつ
クラス対抗戦のフィールドは2キロ四方の正方形で設置されている。その中央へ進軍したリリィ達までの距離は、角の陣地からはおよそ1.4キロ。〈身体強化〉を駆使すれば2分もかからず走破できる距離だ。
けど、〈身体強化〉を使って走ったりすればルーグとレクティに俺のスキルが切り替わっている事を知られてしまう。剣術や体術はまだ言い訳できるが、純粋な足の速さは誤魔化しようがない。
「ヒューさん、わたしが先に行って様子を見てきます……!」
「ダメだ、レクティ! どんな危険があるかわからない……!」
いくらレクティの〈聖女〉スキルに〈身体強化〉と〈棒術〉の恩恵があるからと言って、彼女を一人先行させては元の木阿弥だ。もしリリィたちがレクティを誘拐しようとしている傭兵に襲われているのだとしたら、むざむざレクティを渡すことにもなりかねない。
とにかく、ひとり〈身体強化〉を持たないルーグのペースに合わせて中央へ向かって走る。背の高い木々が多く、行く手を塞ぐような枝葉が少ないのが幸いだった。
……とは言え、地形が平坦ってわけじゃない。〈身体強化〉なしで走るルーグにはやや過酷か。
ルーグは肩で息をしながら必死にペースを落とさず走ってくれている。体力と運動神経はかなりあるほうだと思うが、それでも限界は近そうだ。
もう少しペースを緩めるべきか……?
そんな考えがよぎった瞬間――ドゴォッ!! と遠くで何かが爆発したかのような音が響いた。とっさに視線を向けると、俺たちの進行方向に黙々と土煙が立ち上っている。〈忍者〉スキルによって強化された聴覚に聞こえてくるのは、クラスメイト達の悲鳴だった。
「ヒューっ、ボクを置いて先に行って!」
土煙を見たルーグが叫ぶ。呼吸一つ乱していない俺とレクティを見て自分が足手まといになっていると判断したんだろう。
実際、そうなっている事は否定できない。だけど、俺の中にルーグを置いていく選択肢はなかった。躊躇は一瞬で済ませ、ルーグをその場で抱きかかえる。
「ちょっ、ヒュー!? 何してるのっ!?」
「しっかり掴まってろよ、ルーグ。レクティ、ついて来てくれ!」
「は、はいっ!」
俺はルーグを抱え、〈身体強化〉を全力で駆使して走り出す。
「ヒュー、これ……っ!?」
ルーグは驚きに紺碧色の瞳を見開いた。きっとレクティも後ろで同じような反応をしているんだろうな……。
「黙っていてごめん、二人とも。後でちゃんと説明する。だから今は、俺を信じてくれ……!」
「うんっ。大丈夫だよ、ヒューっ」
ルーグは俺を安心させるように、ギュッと俺に抱き着いて肩口に顔を埋める。気づけばいつの間にか並走していたレクティも、俺のブレザーの裾をキュッと握って頷いてくれた。
……ありがとう、二人とも。
気を取り直し、リリィたちの元へ急ぐ。やがてたどり着いたフィールド中央は、木々が開けた空き地になっていた。
そこでは、クラスメイト達が異形の怪物と戦っている。
「前衛は一人で戦わないように心がけて! 複数人で当たれば対処できないモンスターじゃないわ! 後衛は援護を味方に当てないよう気を付けて! 冷静に狙えば大丈夫よ!」
後方でリリィが的確な指示を飛ばす。クラスメイト達は野生動物に似た様々なモンスターを相手に、防戦を繰り広げていた。
「リリィ!」
「ヒュー!? レクティとルーグも……っ! 助かったわ、すぐに援護に入って! レクティは怪我人の治療をお願い!」
「は、はいっ!」
前衛で戦うクラスメイトたちの後ろでは、複数の怪我人が倒れている。怪我の程度はそれぞれだが、幸いにも致命傷を負った奴は居なさそうだ。
「ルーグはレクティのフォローをしてやってくれ」
「うんっ。ヒュー、これ」
抱きかかえていたルーグを下ろし、ルーグから短剣を受け取る。
クラスメイト達が防戦一方になっているのは、所持している武器が木製だからだ。攻撃系のスキルを持っている生徒も多いが、相手に致命傷を与えるような威力を持つスキルはない。
無理に倒そうとせず守りに徹するように戦っているのはリリィの指示だろう。近くには王国騎士団も待機しているし、アリッサさんも紫色の狼煙の意味は理解している。耐えていれば援軍は必ずやって来る。
だが、
「イディオット、無理をしないで!」
「その命令には従えないな、リリィ・ピュリディ! ここで僕が無理をしないで、どうやって前線を維持するというのだ!」
たった一人、イディオットが対峙しているのは巨大な熊型のモンスターだ。その全長は5メートル以上と、他の動物型モンスターよりも遥かに大きい。その巨体が振り回す腕の先端に生えた鋭利な爪が、何度もイディオットに襲いかかる。
イディオットは木剣一本でそれに相対し、その全てを防ぎきっていた。スキル〈守護者〉の恩恵があるとはいえ、とんでもない神業だ。防戦に徹すればイディオットの〈守護者〉は他の追随を許さない。
だけど、
「くそ――っ」
限界を迎えたのは木剣だった。
モンスターの攻撃を超絶技巧で防ぐたびに、木剣は少しずつ削られていたのだろう。熊型モンスターの爪を受けきったイディオットの木剣は、ついに粉々に砕け散ったのだ。
「使え、イディオット!」
俺は咄嗟にルーグから受け取った短剣をイディオットへ投擲する。〈忍者〉スキルに内包された〈投擲〉スキルの補正により、短剣は寸分の狂いもなくイディオットの手元へ直進した。短剣を掴み取ったイディオットは、すぐさま鞘から抜き放つ。
「恩に着るぞ、ヒュー・プノシス!」
熊型のモンスターが振り下ろした腕が宙を舞った。
待ち構えたイディオットが短剣で放ったカウンターの一閃が、易々と切り飛ばしたのだ。決して業物の短剣だったというわけじゃないだろう。全てはイディオットのスキルと弛まぬ努力の合わせ技だ。
……追いつける気がしないな、本当に。
「ヒュー」
リリィが俺の名を呼んで腕を引っ張る。何をされるのかと身構えていると、リリィは俺の耳元で小さく囁いた。
「(〈発火〉でモンスターを焼き払って。お願いできるかしら……?)」
「ああ……!」
イディオットに注目が集まっている今なら周囲に気取られずスキルを切り替えられる。俺は少しだけ後ろに下がって、誰からも見られていないことを確認してからスキルを〈発火〉に切り替えた。
「行けるぞ、リリィ」
「了解よ。皆下がって! ヒューがモンスターを焼き払うわ!」
リリィの号令で、前線で戦っていたクラスメイト達が一斉に後退する。モンスターは追撃しようと迫ってくるが、そうはさせない。
入学試験で使って以降も、授業や中間テストでちょくちょく使う機会はあった。〈忍者〉スキルの次に使い慣れているのがこの〈発火〉だ。範囲指定、威力調整は、とっくにマスターしている。
「――焼き払え、〈発火〉!!」
業火の壁が聳え立ち、炎に包まれたモンスターが灰燼に帰した。