第七章 激変する戦局:技術者たちの苦悩
1944年、戦況の悪化とともに長崎の街にも戦争の影が色濃く落ちていた。造船所の田中一郎たち技術者は、かつてない数の商船建造と生産性向上に奔走する日々を送っていた。
「また防空訓練か」田中はため息をつきながら、作業の中断を指示した。彼の顔には深い疲労の色が浮かんでいた。
訓練の合間を縫って作業を進める日々。造船所では、大量の油槽船を建造していた。米軍の潜水艦による攻撃で商船の喪失が急増し、南方占領地からの石油輸送が急務となっていたからだ。
「田中さん」田中の右腕、秋本が声をかけた。「また軍部からの指示です。今度は起工から100日での完成を求めてきています」
田中は眉をひそめ、ため息をついた。「100日か……厳しいものだな」
しばらく考え込んだ後、彼は決意を込めて言った。「だが、やるしかないだろう。溶接範囲を広げれば、なんとか建造速度を上げられるかもしれん」
そう言いながらも、田中の胸には重い塊がのしかかっていた。今建造している船は、性能や耐久性を犠牲にし、資材節約を優先した戦時仕様だ。技術者として、信頼性の低い船を作ることへの葛藤が彼を苛んでいた。
そんな中、1944年10月、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「田中さん! 武蔵が……武蔵が沈没したそうです」秋本が震える声で伝えた。
言葉を失う田中。魂を込めて造り上げた最高峰の戦艦が、海底に沈んだのだ。しばらくの沈黙の後、彼は静かに尋ねた。
「詳しい状況は?」
「100機以上の敵機による集中攻撃だったそうです。魚雷と爆弾を雨あられのように浴びて……」
田中は目を閉じた。そんな状況は、設計時の想定をはるかに超えている。技術の限界と戦争の残酷さが、一気に心に押し寄せた。
後日、より詳細な情報が入ってきた。報告書を手に取り、震える手でページをめくる。
「右舷に8本、左舷に15本の魚雷か……。爆弾の直撃も17発……」彼は呟いた。
報告書を読み進めるうちに、ある記述に目が留まった。
「リベットによる接合部分が剥がれた可能性……」
その瞬間、痛烈な自責の念が胸に突き刺さった。顔を上げ、遠くを見つめた。「あの時、もっと強く主張すべきだった……」胸に鉛のような重みを感じた。
今や造船所で急速に進んでいる電気溶接の採用拡大を思い出す。現在建造中の船では、重量あたりのリベットが従来の半分以下にまで減少している。
「もっと早く溶接の有用性を訴えるべきだった」拳を握りしめた。「もし、武蔵にも広範囲に溶接を使っていれば……」
脳裏に、溶接によって作られた継ぎ目のない強固な戦艦の姿が浮かぶ。そして同時に、リベットの接合部分が外れ、そこから大量の海水が流れ込む様子も想像された。
突如として湧き上がる怒りと後悔に、思わず机に拳を叩きつけた。鈍い音とともに、机の上に置いてあった黒いインク瓶が倒れ、濃紺の液体が書類の上に広がっていく。真っ黒に染まっていく白い紙を見つめながら、自らの無力さを痛感した。インクに飲み込まれていく文字たちのように、もはや取り返しのつかない現実が突きつけられているようだった。
「私の判断の誤りだ……」深いため息がこぼれた。
その日の夕方、田中は一人で海を見つめていた。波間に沈む夕日が、まるで武蔵の最期を彷彿とさせていた。赤く染まる水平線に、戦艦の姿を重ね合わせる。
「申し訳ない」彼は静かに呟いた。それは、沈んでいった乗組員たちへの謝罪であり、自らの過去の決断への反省でもあった。頬を撫でる潮風は、亡くなった者たちの魂が彼に触れているかのようだった。自責の念が、波のように田中を押し流していった。
それから数か月、戦況は日に日に悪化していった。物資の不足が深刻化する中、田中は自分にできることを必死に模索し続けた。
造船所では、武蔵の数分の一の重量とはいえ、わずか100日ほどで油槽船を完成できるようになった。だが、その迅速さとは裏腹に、彼の心は重かった。すぐに撃沈されることを前提に船を作る現実。技術者としての誇りと、戦時下の必要性との間で板挟みに苦悩した。
1945年に入ると、日本本土への空襲が激化していった。長崎も例外ではなかった。造船所も度重なる爆撃を受け、修復作業に追われる日々が続いた。
「田中さん」秋本が声を潜めて近づいてきた。その表情には焦りが滲んでいる。「このままでは、とても作業が間に合いそうにありません」
田中は深いため息をつきながら、疲れた表情で秋本を見つめた。
「ああ、わかっている」彼はゆっくりと言葉を紡いだ。「我々にできることは、最後まで全力を尽くすことだ」
しかし、もはや技術の力では戦況はどうにもならなかった。空襲の合間を縫っての作業は、まるで砂上の楼閣を築いているかのようだった。
――そして、1945年8月9日。閃光と轟音が長崎を襲い、数日後に敗戦の報が届いた。焼け野原と化した造船所跡地に佇み、遠くを見つめる田中。技術の粋を集めた巨大戦艦も、急ごしらえの油槽船も、新たな兵器の前には無力だった。