19.こぶババア
「今日も、みんな無茶苦茶だったな」
ほんの少しだけ妖怪の学校にも慣れた帰り道。
まだ7月初旬だというのに、今日はずいぶん暑い。
下宿は、少し古いが、しっかりクーラーは効いているので、部屋は涼しい。
「早く帰ろう」
僕が早足で歩いていると、道の脇でうずくまっているおばあさんがいた。
その顔が瘤だらけに腫れあがっていた。
「大丈夫ですか?」
この町に来たばかりの頃なら、話しかけるのをためらっていたかもしれないが、この町は妖怪の町。
さすがに、僕も見慣れてきた。
「悪いねぇ。少し買い物しすぎてしまってね。少し休めば落ち着くとは思うんだけど」
休むにしても、木陰もない道路だ。
見捨てるなんて、できるわけない。
ただでさえ、僕はこの町の優しさで生きてる。
今度は僕が、その優しさを返す番だ。
「どこか近くまで、運びますよ」
「家が、もう少し先に、あるから頼んでもいいかい?」
「もちろんです」
僕が、買い物袋を受け取る。
結構な重量があった。
「行けそうですか?」
僕が、そう聞くと、おばあさんの体がふらついた。
「ちょっと」
慌てて僕はおばあさんの体を受け止めた。
「すまないねぇ……」
これは、もう救急車を呼んだ方がいいかもしれない。けれど、携帯電話は持っていない僕には、どうすることもできなかった。
でも、僕には父から受け継いだ鬼の力がある。
人ぐらい軽く持てるはずなんだ。
お父さんから受け継いだ鬼の力が……。
胸の奥がズキリと痛んだ。
暗い感情が心に渦巻いているように感じた。
『心と体で感じて』
椿さんの声が優しく心に響いた。
大丈夫、僕が感じるこの気配も、おばあさんを助けたいという優しい気持ちで覆いつくせば……。
僕は深呼吸して、心の中に湧き上がる暗い力を抑え込んだ。
加減をしながらほんの少しだけ出力すると、おばあさんをひょいっと持ち上げることができた。
「おまえさん、もしかして……」
僕は、心を落ち着けながらおばあさんに答えた。
「はい。僕は妖怪ですよ」
◇◆◇
おばあさんは、家で少し休むとすっかり元気になった。
やっぱり、軽い熱中症だったようだ。
病院行ったほうがいいのではといったものの、本人は大丈夫だとのこと。
クーラーはちゃんとついているし、古めかしい黒電話ではあったが、連絡もすぐできそうだったので、一安心した。
僕は、すぐおいとましようとしたが、少し休んでいきなさいとのことだったので、お言葉に甘えることにした。
縁側に座り、簾越しに広がる庭の風景を眺める。
風が簾を揺らし、涼しい風が心地よく僕の頬を撫でた。
おばあさんは、コップに冷たい麦茶と切ったスイカを持って来てくれた。
「すみません」
「いいんじゃよ」
重くなっていた原因のスイカだ。
切ったスイカは仏壇の前に、供えられていた。
多分、写真のおばあさんの旦那さんのために買ってきたスイカだったのだろう。
一口かじると、冷たく甘い夏の味がした。
僕は、口元を拭いながら、おばあさんに尋ねた。
「おばあさんは、人ですか?」
「ああ、そうだよ。よくわかったねぇ」
てっきり妖怪だと思ったら、人だったらしい。
とりあえず、人だといっておいて良かった。
「この顔で、よく人だとわかったねぇ」
実は内心妖怪だとおもっていたが、「同級生が、妖怪ばっかりなので」と、僕は言い訳した。
「そうかい。そうかい。この町の妖怪は、いい人ばかりだろう」
「そうですね。むしろ、人の町よりいい人ばかりかもしれません」
僕は、ぐっと握りしめてみる。
おばあさんを片手で軽く持ちあげられる力だ。
普通の人間なら、怖いだろう。
少し、俯いてしまうと、おばあさんが優しい声をかけてきた。
「そうじゃなぁ。お前さんも人間の町が嫌になってこの町にきたのかえ?」
「そうですね。そんな感じです。お前さん『も』ということは、おばあさんもですか?」
「そうじゃよ。この顔のこぶ、命には影響しないんじゃが、手術でとっても、何度も腫れる病気でな。人間の町にいたころは、若い頃から『こぶババア』と呼ばれておった。わしゃあ、悲しくてね。生まれ故郷を飛び出して、この町にたどり着いたのさ」
僕は、おばあさんの顔をまっすぐ見つめる。
元の顔がどうであったのかすらわからないほどのこぶだらけの顔。
「この町の人間は、ワシの顔を見ても、なんにもいいやしない。それどころかワシが『化け物だろう』と聞けば、『どのあたりが?』と聞き返してくるぐらいさ」
「僕のクラスメイトも、妖怪ばっかりで、普通がよく分からなくなってきました」
「ワシの旦那もな。ワシのことを美人なんていっておった。変な奴だったの。ワシのどこが美人なんじゃろうな」
「おばあさんは、美人ですよ」
「お前さんも、お世辞が上手じゃな」
姿だけが、人の全てではない。
顔は醜い、それでも心は綺麗な人もいる。
もちろん、心が綺麗でも、多くの人に好かれることは叶わないかもしれない。
だけど、愛してくれる人が一人いればいい。
世界から蔑まれても、受け入れてくれる町が一つあればいい。
妖怪だけじゃなく、この町に住む普通の人も僕は、好きになれそうだった。