13.狼男と入院
僕は病室に向かいながら、友里ちゃんに聞いた。
「さっき継名さんがいってた。氷華って、国語の先生のことかな?」
雪村先生の下の名前が、そんな感じだった気がする。
「そうよ」と、友里ちゃんはぶっきらぼうに答えた。
雪村氷華名前通り、雪女の先生だ。
銀色にも似た真っ白な髪。
彫刻で彫りだしたかのような、和風美人の究極ともいえる造形。
流し目で視られたら、あまりの美しさ凍り付いてしまいそうではあるが、優しく、生徒に人気の先生だった。
でも友里ちゃんは、なんだかあんまり氷華先生のこと好きではなさそうだ。
なにか確執があるのかもしれない。
むっすぅとしている友里ちゃんの代わりに椿さんが答えてくれた。
「ふふふ、氷華先生はね、友里ちゃんにとってはお母さんみたいな人よ」
「やめてよ、椿。氷華は全然、お母さんじゃないんだから」
と、友里ちゃんがすかさず反論する。
「どんな人なの?」
僕は、気になって友里ちゃんに尋ねてみた。
「どんなって、そりゃ、会えば勉強しなさいってうるさいし、ご飯粒一粒でも残せば、ガミガミ怒るし、進路は考えてるのかっていつも聞いてくるし、全然、お母さんじゃないよ。わかるでしょ?」
「そうだね」
僕は友里ちゃんの話を聞きながら、どう考えてもお母さんだと思った。
「それに、いつも私の家に来ては、継名と喧嘩してるんだから」
「あれ? でも、継名さんは普通に雪村先生頼ってたよね。むしろ信頼しているような口ぶりだった気がするよ。なんで喧嘩してるの?」
「なんか私のことで、いつも喧嘩してる。この間も、氷華は『あなたがもっとおしとやかに育てないからだ』とかなんとか継名に文句いってた」
うん。それ、ただの子供の教育方針で揉めてる夫婦喧嘩だ……。
僕は、心の中でツッコミを入れた。
「ねぇ? お母さんでしょ」
椿さんが、くすくす笑いながら言った。
それを見て、友里ちゃんが不機嫌になる。
「お母さんにするなら、レインがいいなぁ。会ったらいつもいろいろ買ってくれるし」
レインさんが、外堀から埋めにいってる……。
大人の恋愛って感じで、少しむずむずする。
「お母さんだれがいいかなぁ」
「友里ちゃん、お母さんは、誰にしようかなで選ぶもんじゃないよ」
椿さんが、窘める。
「産んでくれただけで、お母さんと思うのも変じゃない?」
生まれてすぐ捨てられた友里ちゃんの言葉には、重みがあった。
「産みの親よりは、氷華の方が好きかもね。累君は、お母さんのこと好き?」
「……わからない」
昔は間違いなく好きだった……はずなのに、僕を見た時の怯えた顔を思い出すと答えに詰まってしまう。
友里ちゃんの人間の常識に囚われない自由な考え方が羨ましかった。
◇◆◇
友里ちゃんが病室のドアを開けると、ベッドの上には大きな男が横たわっていた。彼の顔は荒々しく、目つきは鋭い。少し毛深いが、姿は普通の人間だった。
「この人が昨日の狼男よ」と友里ちゃんが言う。
「誰だ、お前ら?」狼男が低い声で尋ねる。
「私たちは君の見舞いに来たの」と友里ちゃんが微笑んで答える。しかし、その微笑みはどこか挑戦的だった。
「見舞いだと? 馬鹿にするな!」狼男が怒りを込めて叫ぶ。
「まあまあ、落ち着いて」と椿さんが間に入る。「私たちはただ、あなたの話を聞きに来ただけだから」
狼男は椿さんを睨みつけたが、少しずつ表情が和らいでいく。「話を聞きに来ただけだと?」
「そう。あなたがどうしてこんなことをしたのか、知りたいんだ」と僕が勇気を出して言った。
狼男はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと話し始めた。「俺は…ただ、自由になりたかったんだ。人間の世界から逃げ出して、ここに来たんだ」
「自由…?」僕は問いかける。
「そうだ。俺は、月を見ると狼男に変身してしまう。あの日、うっかり月を見て変身してしまった。化け物に変身した俺を誰かが通報したんだろう。追い詰められて、逃げ場がなくて、暴れるしかなかった」
その言葉には、深い絶望が込められていた。僕は狼男の気持ちに共感せずにはいられなかった。
「もう人を何人も殺した……後戻りはできない」
狼男が悲しそうに言う。
「まずは、あなたに名前をあげないとね。狼だし、大上でいいかな」
「あっ? 名前だぁ? なんでお前がきめるんだよ。俺にはちゃんと田中という苗字があって」
「そうだよ友里ちゃん人の名前を、勝手に決めるなんて」
それに狼男だから、大上だなんてビックリするくらい安直だし。
僕の肩を、椿さんがちょんちょんとつついてきた。
「どうしたの? 椿さん」
「塁君、私の苗字、長久比だよ」
「そんな偶然ある?」
ろくろ首にあまりにもぴったりの苗字だった。
「偶然とかじゃなくて、この町の住民になるのなら、苗字は基本なんとなく種族が分かるように天狗様がつけるんだよ。世襲制じゃないよ」
「そうなの!?」
僕にとっては、苗字はご先祖様からのもらい物だという思い込みが強かったが、この町では違うらしい。
なにもかも常識外れな町だ。
「お前ら勝手に話進めんな。だれも俺はこの町に住むなんて言ってないだろう」
「でも、ここでならあなたの居場所が見つかるかもしれない」と友里ちゃんが優しく言った。
「居場所…」狼男の目に一瞬、希望の光が見えた。
「でも、俺は人を襲って」
友里ちゃんが、大きく胸を反らし言う。
「この町に来た者の過去は問わない。あなたにはチャンスを与える。だけど、この町の住人を襲うようなことがあれば、許さないから」
狼男はしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。「分かった。もう二度と、人間を襲わない。だけど、俺は変身してしまうと理性が……」
「あなたにちゃんと人を襲わない気持ちがあるのなら大丈夫。アタシ達が誰もあなたを襲わせないし、あなたに襲わせたりしないようにしてみせるから」
「ああ……よろしく頼む」
友里ちゃんは満足げに頷き、僕たちに向かって言った。
「さあ、これで一件落着……」
友里ちゃんは、突然言葉を切ると、窓の方を向きながら、団扇を伏せて。
「伏せて!」
友里ちゃんの叫び声に反応した椿さんが、僕を床に伏せさせた。次の瞬間、病室の窓が大きな音を立てて割れ、ガラスの破片が飛び散った。飛来してきた、紙飛行機を団扇で打ち払う。
「何だ!?」と狼男が驚いて叫ぶ。
「式神ね」と友里ちゃんが団扇を握りしめながら言った。「皆、大丈夫?」
「なんとか…」と僕が答える。椿さんも無事な様子だ。
「さっきの奴ね。継名の読み通り、また襲ってきたわね。ちょっと倒してくる」
友里ちゃんは、そう言うと、窓から飛び出していった。
「ちょっと!? ここ三階なんだけど」
「ああ、もう、あいかわらず無鉄砲なんだから」
椿さんも、そう言うと、友里ちゃんに続いて窓から飛び出していった。
僕が身を乗り出すと、二人は病院の庭で大量の紙の束のようなものと戦っていた。
「椿さんも、現役でお転婆じゃないか」
「俺も…」と狼男が言いかけたが、僕が制した。
「とりあえず、病院の人呼んできてください」
「ああ」
多分、病院にも腕が立つ人がいるはずだ。
「僕にできることは……」
僕も何かできることはないかと考えたが、戦闘経験もなく無力さを感じるだけだった。
「それでも……なにかできるはずだ」
僕は、友里ちゃんと椿さんの元に向かって駆け出した。