9話
「いつもお姉様はこうだわ……っ! いつもいつも酷い事を仰る……! 何故そんなに私に厳しくあたるのですか!?」
「──ちょ、ご令嬢……っ、離してくれ……っ」
「リリア……!」
リーチェはカイゼン相手にリリアが泣き付くと言う無礼な行動に顔色を悪くさせ、カイゼンは嫌そうな表情を浮かべ、そしてリーチェの視線を感じて真っ青になっている。
カイゼンの顔色が悪くなって行く様に、リーチェはカイゼンが怒りを感じているのでは、と悲鳴を上げたくなってしまう。
ハンドレ伯爵家の恩人に対して何と失礼な事を、とあわあわしてリーチェがリリアをどうにかしようとして一歩足を踏み出した瞬間。
カイゼンが限界だ、とばかりに声を上げた。
「申し訳無い、ご令嬢……っ!」
「えっ、あ……きゃあっ」
べりっ! と音でも立ちそうな程勢い良くリリアを引き剥がし、カイゼンは顔色を悪くさせたままリーチェとテオルクの方へやって来る。
リーチェの斜め後ろに居るテオルクに視線をやったカイゼンは、途端にむっとして口を開いた。
「……ハンドレ伯爵」
「ああ、いや……すまないすまない。慌てる君の姿が珍しくて、な……?」
何処か含みのある二人のやり取りに、リーチェは不思議そうに、そしてカイゼンから無慈悲にも引き剥がされたリリアは羞恥に顔を真っ赤に染めている。
どこか砕けた態度で話す二人に、出征中打ち解けたのだろうか、とリーチェは考えていたがそれよりもリリアの無礼な態度を詫びなければ、とカイゼンに向かって頭を下げた。
「ヴィハーラ卿。我が家の人間が大変失礼致しました。……その、お怒りはごもっともなのですが……」
どうか許して欲しい、とリーチェが必死にカイゼンの目を見詰めていると見る見るうちにカイゼンの頬が赤く染まって行く。
カイゼンは自分の赤く染まった顔を隠すようにがばりと腕を自分の顔の前に持って行き、リーチェに言葉を返す。
「だ、大丈夫だ……! 気にしていない……っ」
「ほ、本当ですかヴィハーラ卿! ありがとうございます……っ」
ほっとしたリーチェがカイゼンに頭を下げた後、二人のやり取りを何処か優しげな眼差しで見詰めていたテオルクはふっ、とリリアへ視線を移した。
「──で。リリア。走っていたけれど、体は大丈夫なのか?」
「──えっ? あ、そう、ですね……今のところは……」
「そうかそうか。……もしかしたら大人になり、少しずつ体が強くなって来ているのかもしれないな。丁度出征中に軍の怪我人を見てくれていた軍医も滞在しているから体を診て貰おうか」
「……ああ、それなら公爵家の軍医もタイミング良く軍に同行していたので、二人の医師に診て貰えば安心するでしょう。良いですか、伯爵?」
「ああ、それは助かるよカイゼン卿」
二人の会話を聞いたリリアは、自分の体を心配してくれる父親と、カイゼンにキラキラとした瞳を向けた後、心配してくれている事を嬉しそうに、勝ち誇ったようにリーチェに笑いかけた。
◇
そして、両家の軍医がリリアの部屋で診察をした後。
二人は揃って同じ事を口にした。
「幼少期よりはお体も丈夫になっておりますね。食事の量を増やし、太陽の光にもしっかり当たり、運動も少しずつ始めて下さい。そうすれば体力も増え、今より丈夫な体になるでしょう」
良かったですね、とにこやかに告げる軍医がリリアの部屋を出て行き、そこに残された母親はバツが悪そうに俯き、リリアは少しだけ嬉しそうに。
リーチェは唖然としていて、テオルクとカイゼンは「やっぱり」と言うような、何処か腑に落ちたような表情を浮かべていた。
「お母様っ! お母様、聞きました!? 私、これから頑張れば以前より体が丈夫になるんですって!」
「リリア、リリア……。興奮しては駄目よ、お医者様も今仰っていたでしょう? ゆっくり、徐々に体力を付けないと……。今はまだ体が弱いままなの、興奮したらまた熱を出してしまうわ」
「──でも! 信じられない……っ! もしかしたら私もお姉様みたいに健康な体になれるかもしれないわっ! そうしたら、ハーキンと結婚して、子供だって望めるかもしれないものっ」
両手を胸の前で組み、嬉しそうにはしゃぐリリアに母親は落ち着くように優しく告げている。
テオルクはそんな二人に近付き、低い声で母親に話し掛けた。
「少し良いか。別室で私と話をしようか」
「あ、あなた……」
両親の雰囲気が何処か重たいにも関わらず、リリアは嬉しそうにテオルクに笑いかけた。
「お父様! 聞きましたか、私、健康な体になれるかもしれません!」
「──ああ。聞いたよリリア、喜ばしい事だ。けれどだからと言って急に運動したりしてはいけない。軍医も言っていただろう? ゆっくり、徐々に体を慣らすんだ」
リリアは父親に優しく言われ、益々嬉しそうに目を輝かせる。
その間も母親はそわそわと忙しなく視線を彷徨わせていて。
その様子を見たリーチェは困惑してしまう。
(お母様は……リリアの体の状態を知っていたのかしら……? 確か……医者から話を聞いていたのはいつもお母様一人だったわ、意図的に隠していたの……? 何のために……?)
リーチェが戸惑っている内に、テオルクは母親を連れて部屋を出ていき、カイゼンも淑女の部屋に長居は出来ない、と告げて早々に部屋を出て行ってしまった。
そうして、室内に残ったのはリーチェとリリア二人だけになって。
リリアは嬉しそうに笑みを浮かべながらリーチェに近付いて来る。
「ふふふっ、聞きましたかお姉様?」
「──え、ええ。良かったわね、リリア。これから色々頑張れば、自由に行動出来る時間が増えるわね」
「ええ。ああ……でも……ごめんなさい、お姉様」
「え?」
突然謝罪をして来たリリアの意図が分からず、リーチェがきょとんと目を瞬かせる。
すると、リリアはリーチェと似たような青い瞳で下から覗き込みまるで半月のようににんまりと歪めた。
「私が健康な体を手に入れたら、お姉様には何も残らなくなっちゃいますね? ハーキンもお姉様から離れて行っちゃうし、私の体が健康になって、もしハーキンとの間に子供が生まれたら……。その時お姉様に旦那様が居なかったら……」
「──何を言いたいの?」
「お姉様、可哀想だわ……。だってハーキンは伯爵家を継ぐためにお姉様と婚約したけれど、そのハーキンは私と結婚するでしょ? それで、伯爵家を継ぐ予定だったハーキンと私との間に子供が生まれたら、その子を跡継ぎにする可能性が高いわ。ハーキンと婚約破棄をしたお姉様と結婚したがる男性は居るのかしら? それを考えたら……可哀想に思えて来て……」
勝ち誇ったように笑みを浮かべるリリアに、リーチェは眉を顰める。
「何故そんな考えになるの? 普通に考えて、ハンドレ伯爵家を継ぐのは長女である私の将来の旦那様じゃないかしら? それに、ハーキンと婚約破棄するに至った理由は皆に知られるはずよ。普通の人だったら私を避ける事は無いわ」
「……? 良く分からないけど……、今現在婚約者が居ないお姉様より、愛する人が居て、その人から愛されている私の方が後継者を産む確率は高いでしょう? 私にも、丈夫な体が手に入ると分かったのだし、もうこれ以上お姉様に沢山のものを奪われないわ……!」
リリアは話はもう終わりだと言うように、自分のベッドに戻り、座ってしまう。
そうして使用人を呼ぶベルを手にした事から、リーチェはリリアの態度と、言葉に憤りを感じたものの、これ以上この件について会話をしても無意味だ、と諦めた。
根本的に考え方が違うのだ。
リリアの考え方と、リーチェの考え方は大きく掛け離れている。
お互い、理解し合えない事を討論する事は時間の無駄である。
リーチェは溜息を一つ吐き出してから、部屋を出た。
そして部屋を出た所で外で待っていたのだろうか。
廊下の壁に背を預けていたカイゼンがリーチェが出てきた事に気付き、ぱっと顔を上げて話しかけて来た。
「リーチェ嬢」
「……! ヴィハーラ卿? 申し訳ございません、何かご用があったのですか? お呼び頂ければ……!」
「ああ、いや。その、そんな大した事ではないんだけど、話したい事があってな」
「? 分かりました、サロンでお話を聞いてもよろしいですか?」
「ああ、それで構わない」
こくりと頷いたカイゼンに、リーチェは「それでは……」とサロンに向かって歩き出した。