8話
「リリアの下に……? まさか、お母様が……?」
「ああ、考えたくは無かったが……。リーチェの所に届いていない、と言う事は十中八九リリアに渡したのだろう」
幼い頃から母親はリリアを大層可愛がっていた。
病弱で、少しも目を離せないから仕方ないとリーチェも諦めていたが、テオルクがリーチェとリリア二人の事を考えて贈り物をしてくれたのに、それも全てリリアに与えていたのだとしたら酷すぎる。
伯爵家の長女だから、と厳しいのは分かる。
病弱な妹リリアに掛かり切りになる事も分かる。
けれど、これだけはやってはいけない事では無いのだろうか。
それ程までに自分は母親に嫌われてしまっているのか、とリーチェは無意識に自分の胸を押さえた。
「リーチェ? 大丈夫か……?」
「──! はい、大丈夫ですお父様」
心配そうに声を掛けてくれるテオルクに、リーチェはいけない、と笑顔を浮かべて問題無いと答える。
テオルクはただでさえ出征後の疲れた状態だ。
これ以上心配を掛けたく無い、とリーチェは笑顔で誤魔化した。
◇
書斎を出て、二人揃ってリリアの部屋に向かう。
廊下を進み、歩いているとリリアの声がサロンの方向から聞こえて来て、二人は顔を見合わせた。
「……部屋に居ないのか」
「あの子はまた……! 熱が下がったばかりなのに出歩いているのね……っ」
外をフラフラしていては、また熱を出すかもしれない。
自分の体調はしっかりと把握して欲しいものだ、とリーチェが呆れ、テオルクはサロンの方向に手摺から乗り出してひょいと覗いた。
するとそこにはやはりリリアが居るようで、コロコロと鈴の音が転がるような軽やかな笑い声が聞こえて来る。
使用人の誰かと共に居るのか、それとも母親だろうか。
リーチェとテオルクがサロンにやって来ると、そこに母親の姿は無く、使用人数人とお茶を楽しんでいるリリアの姿があった。
「──リリア。部屋に居なくては駄目じゃない」
「っ、お姉様?」
リーチェの声が聞こえ、リリアは笑顔を引っ込めてびくりと肩を震わせる。
先程、リーチェと話していた際に咽び泣いたせいだろうか。
リリアの目元は赤くなってしまっていて、何処か痛々しく見える。
リーチェとテオルクの姿に、サロンに居た使用人達は慌てて頭を下げてサロンから下がる。
困り果てたような表情を浮かべていたので、リリアに無理を言われ、お茶に付き合っていたのだろう。
「使用人の皆の邪魔をしてはいけない、といつも言っているでしょう? 皆には仕事があるのよ」
「だって……美味しいお茶を飲む時間くらいあっても良いと思うのです……。休憩だって必要だわ」
「皆はそれぞれ自分のタイミングで休憩を取っているわ。リリア、貴女が無理を言って付き合わせてしまったらその分仕事が終わるのが遅くなってしまうのよ」
「~っ、お父様っ、これは本当にいけない事なのですかっ」
リーチェに言われた事が納得いかないのだろう。
リリアは悔しそうにくしゃり、と顔を歪めてテオルクに泣き付く。
だが、テオルクはあっさりとリーチェの言葉を肯定した。
「使用人には使用人の仕事がある。そんなに一緒に茶を飲みたいのであれば、専属の侍女と飲みなさい。──そんな事より、リリア」
「そんな事っ、て……。酷いわお父様……」
眉を下げ、瞳に涙を溜めるリリアにテオルクは言葉を続ける。
「正直に言うんだ。私が出征している二年間……、妻から頻繁に贈り物を貰わなかったか?」
「──え……。お母様、から……?」
「ああ。そうだ」
テオルクの言葉に、リリアはきょとりと青い瞳を瞬かせ、至極あっさりと答えた。
「お母様から沢山贈り物を頂いております。それがどうなさいましたか?」
リリアの返事に、リーチェもテオルクも想像していた答えが返って来たとは言え、少なからず衝撃を受ける。
「──やっぱり……」
「何故そんな事をするのか……」
「え……? え……? お父様も、お姉様も何をそんなに驚いているの……?」
リーチェとテオルク、二人が失望したような表情と態度を見せた事にリリアはおろおろと狼狽えだす。
そんなリリアに、テオルクはぽつりと言葉を零した。
「リリア。君は自分ばかり母親から色々と贈り物を貰って、何かおかしいとは思わなかったか? 姉のリーチェにも同じように贈り物が届いているのかどうか、気にしなかったか?」
「──? どうしてお姉様を気にしなくてはいけないのですか? それに、お姉様は私とは違って健康な体を持っていますし、そちらの方がとても素敵な贈り物じゃあありませんか……。私はお姉様のように自由に外に出る事も出来ないし……学園にだって通う事も出来なかったのですよ……」
むすっと不服そうに頬を膨らませて自分のドレスの裾を握り締めるリリアにリーチェは何も言えなくなってしまう。
太陽の光に長時間当たると具合が悪くなってしまうリリアは病的に白く、細い。
体力の無いリリアは長時間歩く事も出来ないため街歩きをすることも、リーチェが十四歳から二年間学園に通っていたようにリリアも学園に通う事が出来ない。
リリアにしてみれば、健康な体を持つリーチェは自分より恵まれていて、何もかもを持っている、と思っているのだろう。
健康な体が一番いいではないか、とリリアは考えている。だからそれ以外の贈り物なんて姉には必要無い、とまで思っているのかもしれない。
テオルクはリリアの目の前に行き、ぎゅうとドレスを握り締めるリリアの手をドレスからそっと外してやる。
「リリア。その考え方は危険だ。自分と他人を比べる事は時には良い方向に向く事もあるが、良くない事で比べると言うその考え方に固執してしまうと偏った思考を持った大人になってしまう。リーチェとリリアはたった二人きりの姉妹だろう? 今回の事は残念だが……今後は二人で助け合っていけるようになりなさい」
「──~っ、嫌よっ! お父様はいつもお姉様、お姉様って! お姉様の味方ばかりするんだもの!」
テオルクの言葉を聞いたリリアは、テオルクの手を撥ね除け、逃げるようにサロンの入口に向かって走り出してしまう。
「リリア! 急に走ったら体に悪いわ……! 待ちなさい……っ!」
真っ青な顔をして、リーチェがリリアを呼び止めるがリリアは振り返る事無くそのままサロンを飛び出して行ってしまった。
慌ててリーチェとテオルクがリリアの後を追い、サロンを出るとサロンから少し離れた廊下の曲がり角で、リリアが人とぶつかってしまったのだろう。
後方に倒れてしまいそうになっている所を、曲がり角から現れた男性──カイゼンに背中を支えられていた。
「リリア……っ」
公爵家のカイゼンにぶつかり、粗相をしてしまったのでは、とリーチェがひゅっと息を飲み込む背後で、リーチェの後を追って来たテオルクは何故か首を傾げている。
「も、申し訳ございませんヴィハーラ卿……! お怪我はございませんか!?」
「リーチェ嬢。はは、私は大丈夫だ。可憐な令嬢にぶつかられた程度で怪我をしていては騎士は務まらないだろう?」
「妹が大変失礼致しました……。リリア、だから走ってはいけないと言ったでしょう? 我が家にはヴィハーラ卿を始め、騎士の方達が多く滞在しているのよ皆さんの邪魔になってしまってはいけないわ」
カイゼンに倒れてしまうところを支えてもらったリリアは、リーチェに叱責されて益々嫌な気持ちになって行く。
そして、自分を優しく支えてくれたカイゼンが目の前に居る、と思い出してリリアはわっと泣き出してカイゼンの胸元に縋り付いた。