7話
「呼び立ててすまないな、リーチェ。少し聞きたい事があるのだが良いか?」
「勿論です、お父様」
ソファに座りなさい、と促すテオルクに礼を告げリーチェは腰を下ろした。
テオルクもリーチェの目の前のソファに腰を下ろし、疲れたように眉間を揉んでいる。
「申し訳ございません、お父様。出征後のお疲れの所、このような騒ぎを起こしてお手を煩わせてしまいました……」
「煩わせるなんて言葉は止してくれ、リーチェ。良かれと思い、ハーキン・アシェット殿との婚約を整えてしまった私が悪いんだ。あれ程までに優柔不断で……移り気な人間だとはな……私の失態だ。心配せず、私に全て任せておきなさい」
「ありがとうございます、お父様……。……その、それにしても、今回の一件をお父様はどちらで知ったのですか? その……お母様はきっと詳細をお伝えしなかったでしょう?」
リーチェが質問をすると、途端にテオルクは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「そうだな……。妻は寧ろ今回の一件は私に報告せず、内々に済まそうとしていたようだ」
「──えっ!?」
テオルクの言葉に、リーチェは信じられないと目を見開く。
「カイゼン卿に我が軍が助けられたと話しただろう? そのお陰で敵国との戦も勝機が見え、早々に片が付いたんだ。カイゼン卿は私達の恩人であると同時に、我が国が甚大な被害を被る所を救ってくれたんだ。本当に英雄だよ……。それで、帰還が早まったのもあり、ここ最近の邸の様子を探らせた」
「──っ! そうだったのですね。カイゼン・ヴィハーラ卿は本当に凄いお方です。……それで、お父様が知る事になった、と言う事なのですね」
「ああ、そうだ。以前からどうも違和感を感じていてな……。案の定、妻は婚約破棄の事もハーキン殿がリリアと良い仲になっている事も全部隠していた……。私がこんなに早く戻って来るとは思わなかったのだろう。当主の権限を一時的に与えていたから隠して事を済まそうとしたらしい」
なんと言う母親だ、とテオルクは疲れたように頭に手をやり溜息を吐き出している。
「お母様、は……本当にリリアの事しか考えていらっしゃらないのですね……」
リーチェはぽつりと呟き、俯く。
悲しいと言う感情がじくじくと胸を刺すが、テオルクがソファから立ち上がりリーチェが無意識に握り締めていた手を両手で優しく包んでくれた。
「もう大丈夫だリーチェ。これからは私が側に居るからもう寂しい思いをする事は無くなる。それに、リーチェにはハーキン殿が足元にも及ばない程、良い男を私が紹介する!」
「──! まあ、ふふっ、有難いですが……。でもお父様、私暫くは男性なんて懲り懲りです」
「ははは、そうだな。暫くは私とのんびり過ごそうか」
二人で顔を見合わせ、笑い合う。
リーチェは久方ぶりに心の底から笑う事が出来て、荒んでいた感情が穏やかになって行くのを感じていた。
一頻り笑い合った後、リーチェの耳で揺れているイヤリングに視線を移したテオルクは「そう言えば」と話し出した。
「十五の時に私が贈ったイヤリングを大事に付けてくれているのは嬉しいが、デザインが少しばかり子供っぽいだろう? 今年の誕生日に贈ったイヤリングの方が今のリーチェには似合うんじゃないか?」
今日の夕食の時にでも付けて来てくれ、と笑顔で告げるテオルクに、リーチェは言葉を失う。
「──え……」
そして、掠れた声を零す事が精一杯で。
リーチェの表情を見た瞬間、テオルクは先程まで浮かべていた笑顔をすっ、と消し去り「まさか」と低い声で呟いた。
――テオルクが、自分の父親が、誕生日の時にプレゼントを贈ってくれていた。
贈ってくれた事を初めて知ったリーチェは唖然としてしまう。
テオルクからの手紙も、贈り物も。
この二年間に片手で数えられる程度しか手紙は来ず、贈り物は以ての外だ。
だからリーチェは出征している父親は戦地で大変な思いをしているのだろうと思い、手紙も必要最低限だけ送るようにしていた。
始めの頃は頻繁に送ってしまっていたリーチェだったが、テオルクから返事が返って来るのは三通から五通に一度だけ。
だから忙しい父の手を煩わせたく無いと考えたリーチェは手紙もあまり送らないように気を付けていたのだが──。
リーチェと同じような事を考えていたのだろう。
暫し考え込んでいたテオルクはふっと視線を上げてリーチェと目を合わせ、問うた。
「出征してから、何度か手紙を送ったのだが……。リーチェから返事が戻って来るのは五度に一度程度だった……。頻繁に手紙を送っていたので、リーチェが嫌がってしまったか、と思って以降は数を減らしたのだが……。誕生日には欠かさずプレゼントを贈ったし、あちらの地で珍しい工芸品や宝飾品があった時にリーチェにも、リリアにも贈っていたんだが……」
「……っ、私も……っ、私もですお父様……! 何度もお父様にお手紙を送ってしまい、大変な時に煩わせてしまっている、と思い……お返事が少なくなって来た頃から手紙をお送りするのは控えるように……。それに、お父様からのプレゼント? ごめんなさい……私の元には……」
「──っ、そうか……」
リーチェの為に、リーチェを想い、父親が贈ってくれたプレゼントは何一つとしてリーチェの手元には届いていない。
テオルクは愕然としていたが、それも少しの時間だけで。
怒りを宿した瞳である一点を見詰める。
その方向は、リーチェの母親の私室がある方向で。
何かを察したのだろう、テオルクは溜息を吐き出した後、気を取り直してリーチェに笑いかけた。
「何か手違いがあってリーチェの所に届いていなかったみたいだな。それならば、今度一緒に買い物に行こうか? それとも、邸に宝石商や衣装室を呼んでもいいな」
「で、出来ればお父様と街へ買い物に行きたいです。その、お仕事が落ち着いた後で結構ですので……」
「街へ? ああ、行こうか。そうだ、我が家に滞在しているカイゼン卿も誘って三人で行こうか。彼は街に詳しいから色々と案内してもらおう……!」
「えっ!? ですが、ヴィハーラ卿はお客様です。お客様に案内を任せてしまうのは……っ」
「大丈夫だ、彼もじっとしているのは嫌いだと言っていたし、体を動かしたいだろうからな」
話が一段落着いた所で、テオルクはテーブルにあったカップを持ち上げ、一口飲み込み喉を潤す。
そしてカップを元に戻し、先程の和やかな雰囲気はなりを潜め、ふ、と真剣な表情になった。
何か、大事な話が始まる──。
そう理解したリーチェも、浮かべていた笑みをすっと消し、背筋を伸ばし姿勢を正す。
リーチェの目を真っ直ぐ見返し、テオルクはゆっくり口を開いた。
「……それで、リーチェに一つ聞きたい事がある。──ヴィーダの事だ」
「っ!?」
ヴィーダ。
ヴィーダとは、ハンドレ伯爵家の執事である。
先代の伯爵、テオルクの父親の代から執事としてヴィーダはこの伯爵家で働いており、親子二代に渡り、伯爵家当主の手助けをしてくれていた。
テオルクの父親の時から仕えているため、確かに高齢ではあるが、最後にヴィーダを見た時はまだまだ現役、と言っても差し支えない程の気力を宿していた。
確かに風邪を引いてそれを長引かせてはいたが、それが原因で執事を辞めた、と母親から聞かされた時、リーチェは大層驚いたのだ。
「ヴィーダは、自分の健康に気を付けていたし、私の剣の稽古にも付き合ってくれる程、元気な爺さんだっただろう? それが、私が出征した後急に体調を崩して、執事を辞めたと言うのがどうしても信じられなくてな……。ヴィーダが居ない間は妻と、誰が伯爵家の仕事を処理していたんだ?」
「確かに……言われてみればそうですね……。ヴィーダさんがある日突然辞めた、と言われて……。お母様に理由を聞いても体調を崩したからだ、としか言われなくって……。伯爵家の仕事は、お母様と侍従のマシェルさんが行っていたようです」
「──マシェル……。彼か……」
ふむ、と考え込んだテオルクにリーチェは心配そうに見詰める。
「……一つ一つ処理をしていくか」
「……え?」
ぽつり、と呟いたテオルクの言葉が聞き取れず、リーチェが問い返すとテオルクはすくっ、とソファから立ち上がりリーチェに「行こう」と告げた。
「リーチェに贈ったプレゼントは恐らくリリアの所にある筈だ。それを確認しに行こうか」