最終話
公爵家の別邸。
カイゼンは自分の邸で国王から届いた書状を確認していた。
「──本当の祝勝会、か……」
以前開いた祝勝会は、フランツ医師に傾倒した彼の協力者を炙り出す囮のパーティーだった。
当の本人であるフランツを捕らえたことで、漸く祝いの場を設けることができ、戦争の功労者を労うことができる。
──表向き、はそうだろう。
「国内が落ち着いてきたとは言え……、フランツ医師は単独犯ではないからな……。今度は俺たちを囮にして、陛下は貴族たちを見極めるつもりか……」
はあ、とため息を吐き出しつつ書状に書かれている日にちを確認する。
するとそこには、早くもなく、遅くもない一ヶ月後、という日にちが記載されていた。
「……リーチェ嬢に装飾品を贈ったら、当日着けてくれるだろうか……」
タイミング良く、テオルクから誘われている晩餐会がある。
ハンドレ伯爵家に行った時、それとなくリーチェに確認して、贈ってもいいかどうか聞いてみようとカイゼンは考えた。
◇◆◇
迎えた、晩餐会当日。
カイゼンの休みの日に合わせ、テオルクは晩餐会に招待してくれた。
テオルクの心遣いに感謝しつつ、カイゼンは邸を出て馬車へ向かう。
晩餐会、ということもあり今日の装いはチャコールのフロックコートと色を合わせたトラウザーズ。フロックコートの裏地にはパープルを使い、深い色合いながらも裾からちらりと見えるダークパープルがアクセントになっている。
意匠の凝った刺繍が袖口、襟に金糸で施されていてカフスボタンと対になるよう合わされていて、フロックコートから見えるウェストコートは、チャコールのフロックコートの邪魔をしない無難なブラックを選んだ。ウェストコートにも華美過ぎない程度に下部に刺繍が施されている。
クラヴァットピンにはカイゼンの瞳を思わせるルビーがあしらわれており、クラヴァットピンから伸びた細めのチェーンが胸元のポケットに伸びて、止められている。
晩餐会に招待してもらった以上、恥ずかしい格好をしないようにしなければ! と、カイゼンは前日に何度もディガリオに相談しつつ今日の装いを決めた。
相談を受けていたディガリオは、最後の方には疲れ果て、目が死んでいたが必死だったカイゼンは気付かない。
どきどきと逸る心臓に手をやりつつ、カイゼンは馬車に乗り込む。
──ちゃんとした告白は、まだ早いだろうか。
──想いを告げられて、嫌な気持ちになってしまわないだろうか。
出征から戻り、最初の祝勝会の開催までハンドレ伯爵邸で過ごした時間は長い。
その間、リーチェに庭園を案内してもらったり、テオルクも一緒だったが街に買い物にも行った。
邸で過ごす間に沢山会話をする機会にも恵まれた。
そして、祝勝会の日。
リーチェに対して気持ちが溢れ出してしまったカイゼンは少しフライング気味に自分の気持ちを吐露してしまっている。
テオルクの介入があり、ちゃんとした言葉は伝えられていないがリーチェは顔を真っ赤にしていて、嫌がる素振りなどは見せていなかった。
だが、テオルクの登場に気を取られたカイゼンはその時のリーチェの様子をしっかり見ていなかったのだ。
「──リーチェ嬢の気持ちを優先したい」
カイゼンがリーチェに好意を抱いているのは確実に分かっているだろう。
それほど、態度に出してしまっていることは自覚しているし、言動にだって表れている。
だからと言って、リーチェに無理に頷いて欲しくない。
リーチェは婚約者に傷付けられたばかりだ。
その傷も、完全には癒えていないだろう彼女に、無理強いをしたくない。
「……それに、母君と妹君も伯爵家を出て行ってしまったばかりだ」
家族だと思っていた人達が邸を出たばかり。
いつも気丈に振る舞っているリーチェだが、寂しさを感じているのは明白。
「……これで、俺が告白して、これ以上リーチェ嬢を悩ませたくないな……」
意気地無しだ、と言われようが。リーチェの負担にはなりたくない。
告白は、もう少しあと。落ち着いた頃にしよう、とカイゼンは決めた。
揺れる馬車の中、カイゼンは窓から見える移り変わり行く景色をじっと見つめた。
◇
ハンドレ伯爵邸に到着したのは日が沈み始めた夕方頃。
カイゼンが馬車から降りて邸に向かっていると、邸の玄関からリーチェが姿を現した。
「リーチェ嬢?」
「……カイゼン様!」
カイゼンの姿を見るなり、リーチェがふわりと柔らかい笑みを浮かべ、歩いて来る。
晩餐会のためだろうか。普段見慣れたデイドレスではなく、イエローを基調としたシンプルながらも華やかなドレスを身に纏っているリーチェにカイゼンは見惚れる。
ハーフアップに結い上げられたリーチェの髪の毛が、歩く度にふわふわと舞う姿がとても美しい。
髪飾りは蝶をモチーフにしているのだろう。
赤いルビーを随所に散りばめ、繊細な装飾を施されている。
そして、その蝶の髪飾りの下。リーチェの耳元には、あの日。祝勝会のために買い物に出た街で、カイゼンが「似合う」とリーチェに選んだ百合をモチーフにしたイヤリングが揺れている。
控えめながら、晩餐会のために合わせたドレス、髪飾りにとても似合っていて。
カイゼンは自分が選んだイヤリングを、リーチェが着けてくれていることに沸き立つ心を無理矢理抑える。
(待て……! 待て待て、浮かれるな俺……。ただ、単純にリーチェ嬢がこのイヤリングを気に入って、普段から着けているのかもしれないだろう!?)
赤く染った顔を隠すように、カイゼンは自分の顔下半分を手で覆う。
そんなことをしている内に、リーチェがカイゼンの下にやって来て「こんばんは」と嬉しそうに話しかける。
「今日はご一緒できて、嬉しいです」
「あ、ああ。こんばんは、リーチェ嬢。俺も、楽しみにしていた……」
「でも、お父様がまた無理を言ってしまったのではないでしょうか? カイゼン様は今日、お休みの日ですよね……? 無理をされていないですか?」
フランツ捕縛のことを、テオルクから聞いたのかもしれない。
若しくは、王都で既に噂になっているのかもしれない。
カイゼンの体調を気遣い、心配してくれるリーチェに「問題ない」と優しく返す。
「騎士は体力が豊富なことが誇りだから、問題ない。それに、今日はゆっくり休めたし……楽しみにしていたんだ。帰って休め、なんて言わないでくれ」
「そ、そんな……! そんなこと言いません! その、私も楽しみでしたから……ご一緒できて嬉しいです」
気恥ずかしそうにはにかむリーチェに、カイゼンは自分の胸の鼓動がドコドコ、と速まるのを感じる。
「カイゼン様、夕食の時間までもう少しだけかかってしまうのです。……庭園を一緒に歩きませんか?」
リーチェからの散歩の誘いに、カイゼンは考えるより先に勢い良く頷く。
そして、頷いてしまってから「あ」と小さく声を漏らした。
カイゼンの声に反応したリーチェが不思議そうに振り返る。
「その、リーチェ嬢。お誘いは嬉しいのだが……ドレスが汚れてしまわないか?」
晩餐会のために着飾ったのだろう。
美しいドレスに、万が一土などが付着してしまったら、と心配になったカイゼンが眉を下げつつリーチェに聞く。
すると、リーチェは笑顔で首を横に振った。
「大丈夫です、カイゼン様。心配して下さってありがとうございます」
「いや、いいんだ……」
短くやり取りをして、カイゼンはリーチェに案内されるままハンドレ伯爵邸の庭園に足を向けた。
ハンドレ伯爵邸の庭園は広く、見応えがある。
そして庭園の中には小さな池が作られており、渡れるようにこれまた小さな橋が掛けられている。
橋の手前までやって来たカイゼンは、リーチェに手を差し出した。
「リーチェ嬢、手を。足元が不安定だから、バランスを崩すと危ない」
「ありがとうございます、カイゼン様」
当たり前のように差し出された手を、リーチェは嬉しそうにはにかみながら自分の手を重ねた。
カイゼンはリーチェの手を引きながら、橋を渡り切り、リーチェが橋から降りたところで前方を確認して、ぴたりと足を止めた。
「……これは。以前はなかった?」
「ええ、そうなのです」
目の前に咲き誇る、色とりどりの百合の花。
カイゼンがそう口にした通り、以前伯爵邸に滞在中、同じようにリーチェと庭園を歩いた時はこれほど見事な百合の花々はなかった。
リーチェはカイゼンを追い越し、繋がれたままの手を引き今度はリーチェがカイゼンの前を歩く。
カイゼンの手を引くリーチェの横顔は嬉しそうに綻んでいて。
「カイゼン様に、百合の花が似合う、と言って頂けたあの日から……、私、百合の花が一番好きな花になったのです」
「……!」
「今まで私には可憐な百合の花は似合わないと思って、敬遠していたのですが……」
一度言葉を切ったリーチェが、カイゼンを振り返る。
繋がれた手はそのままで。
緊張しているのだろうか。リーチェの手の震えが、繋がれたままのカイゼンの手のひらにまで伝わってくる。
「百合が、似合うと言って下さったことがとても嬉しくて……。百合が似合う女性に、なりたいと思ったんです」
「──」
日が沈み、辺りは薄暗い。
庭園の要所要所に灯された明かりが、リーチェの姿を幻想的に照らしていて。
カイゼンに向き直り、はにかんでいるリーチェの頬がほのかに赤く色付いている。
その美しさに言葉を失ってしまったカイゼンだったが、自然と言葉が自分の口から零れ落ちる。
「綺麗だ……」
「──え、? あ、百合ですね。そうなのです、庭師がとっても綺麗に明かりを配置してくれて──」
「いや、百合も綺麗だがリーチェ嬢が綺麗だ、と……思っ、て……」
二人の間に、暫し沈黙が流れる。
リーチェは、カイゼンに言われた言葉を遅ればせながら理解して。
カイゼンは、無意識に零れ落ちてしまった自分の言葉に気づいて。
二人は同じタイミングで声にならない叫びを上げ、顔を真っ赤に染め上げた。
二人は照れくささに暫く顔を合わすことは出来なかったが、それでも繋いだ手を離すことはせず晩餐会の準備が整うまで、その場で二人無言で時間が来るまで過ごした。
だが、沈黙はちっとも気まずい時間にはならず。
繋いだ手をお互い強く握りしめ、カイゼンはそっとリーチェを自分に引き寄せた。
リーチェは引き寄せられるまま、カイゼンの腕と触れ合うほどすぐ隣で、時折顔を見合わせては照れくささに笑い合った。
テオルクが呼びにくるまで二人はただ寄り添って百合の花々を眺めていて。
晩餐会の席で、カイゼンが祝勝会の日に合わせてリーチェに装飾品を贈りたい、と告げた。
その時一緒に、申し込みたいことがある、と緊張した面持ちで告げたカイゼンに、リーチェは嬉しそうに、幸せそうに目を細め、笑って「待っています」と答えた。
─終─




