一目惚れは三年前 11
◇◆◇
王都から馬車で五日ほど。
馬で駆ければ最短で三日半。手綱捌きに優れ、馬を最速で駆けさせる事が出来るカイゼンの師団であれば二日半で目的の地に着ける。
馬を走らせながら、カイゼンは後方をちらりと振り返る。
昨日、王都を発った。
馬にも、団員にもそろそろ疲れが見え始める頃合いだ。
小休憩と野営のみでここまでやって来たが、今夜は宿をとって休んだほうが良さそうだ、と考えたカイゼンは速度を緩めて自分の部下、ディガリオに告げた。
「今夜は宿を取る。この先の村に宿があったはずだ。二名ほど先に行かせて手配を」
「──! かしこまりました」
カイゼンの言葉に「助かった」と目を輝かせたディガリオは、後方の師団員にカイゼンの言葉を伝えるため、離れて行った。
(隊列も大分間延びしてしまっているな……。明朝、早い時間帯に出発すれば明後日には目的地に到着する。……だが、疲れが残る団員が多ければフランツ医師の捕縛に影響を及ぼす可能性がある。到着前に休ませるか……?)
自分たちの接近に、フランツが気付く可能性も憂慮したがその可能性は極めて低いだろうと判断する。
フランツを匿う領主の妻には大した人脈がない。
秘密裏に接近している自分達の隊を事前に察知するだけの人員も。
フランツを逃がすための人脈もないことは事前調査によって分かっている。
(……国内が落ち着いたら陛下は祝勝会を開き直す、と仰っていたが……。それがいつになるか……)
改めて祝勝会が開かれたその時は。
リーチェに自分の気持ちを告白しようと考えていたのだが、その時はまだまだ先になってしまいそうだ、とため息を零した。
◇
明朝。
村の宿屋で休息を取ったカイゼン達は、まだ薄暗い中、馬を駆け移動する。
フランツを匿っている領地はもう目と鼻の先だ。
このまま領地の外れの森林の中にある別館に向かい、フランツを捕縛する。
別館は自然豊かな景色を楽しむために建てられた館らしいが、そんな領主の気持ちを蔑ろにして不貞相手を匿う場所にしているなんてな、とカイゼンはこの地の領主を哀れんだ。
カイゼン達がフランツを捕縛すれば領主に自分の妻が医者と不貞を働いていたということが知られるだろう。
だが、カイゼンが気にしていてもどうにもならない。
カイゼンの仕事は逆賊フランツを捕縛するのみだ。
馬を駆けつつ、カイゼンは前方に見える景色に気持ちを引き締めた。
「捕縛の際は要注意だ! 相手は毒物も使用する。苦し紛れの抵抗を見せるかもしれない、気を引き締めろ!」
カイゼンの良く通る低い声音に、師団員達は気合いの籠った声で声を上げた──。
◇
森の中の館。
到着した頃には辺りは薄らと薄暗くなっていた。
時刻は夕方に差し掛かるころだろうか。
何の障害もなく太陽の光を受ける場所とは違い、森の中は光が届きにくい。
だがその薄暗さを逆手に取って、カイゼン達は音もなく館を包囲する。
複数ある館の出入口に師団員を向かわせ、カイゼンは腰の長剣をすらりと抜き放ち、正面玄関から堂々と屋内に入室する。
窓からの逃走に備え、広範囲に自分の部下を配置しているため、逃走の可能性は万に一つもない。
「室内はそこまで広くないので、すぐ発見されるような場所にはいないでしょうね……」
「ああ。領主に見付かる可能性も考慮して、館の奥まった場所にでも隠しているだろう」
ディガリオの言葉にカイゼンも同意する。
彼の言う通り、この館は別館ということもあり広くない。
予め国王から渡された資料の中にこの館の見取り図も含まれていた。
館内部の情報を全て頭の中に叩き込んでいるカイゼンは、屋内の一番奥まった場所に存在する部屋に向かって駆ける。
廊下を駆け抜けるカイゼンの背後で、ディガリオが剣を抜く音が聞こえる。
ディガリオの後ろに続く二名の団員も剣を抜く姿が見え、カイゼンは走る速度を上げた。
走ること、しばし。
カイゼンの目の前に、目的としていた部屋の扉が見える。
「──団長、下がってくださ」
「このまま突入する」
カイゼンの身を案じるディガリオの声を遮り、カイゼンは走る速度をそのままに片足を振り上げ、目の前の扉を蹴破った。
派手な音を立て扉が吹き飛ぶ。
室内からは騒音に驚き、女性の短い叫び声が上がった。
女性──恐らく、この領地を治める領主の夫人だろう。その夫人の声がカイゼンの耳に届いたと同時に、カイゼンは握っていた長剣の刃先をベッドに横になっていた男──フランツの首元に当てていた。
「逆賊、フランツ。国王陛下の命により、お前を捕らえる。大人しく我々に従えば手荒な真似はしない」
眼光鋭く自分を睨み付けるカイゼンに、当の本人、フランツはさして慌てた素振りも見せずに微笑んでみせた。
ふふっ、と吐息を零しベッドから起き上がったフランツの肩を、美しく艶やかなプラチナブロンドがさらりと滑り落ちた。
「分かりました。抵抗はしません」
両手を上げ、観念したように言葉を紡ぐフランツにカイゼンは背後にいるディガリオに指示を出す。
首元に当てた剣先は下ろす事なく、目の前の男を注意深く見下ろす。
ベッドから降りたフランツは生まれたままの姿で、ディガリオが用意した服を纏わせる。
フランツを素早く拘束していると、彼がいたベッドからもぞり、と女性が現れる。
「──いやっ、フランツをどこに連れて行くのっ!? 彼を連れていかないで……!」
「……領主の夫人か」
薄っぺらいシーツ一枚だけを体に巻き付け、フランツを連れて行かないで、と懇願する女性にカイゼンは眉を顰める。
複数の男が同じ室内にいるというのに、あられもない姿を晒すことさえ厭わない。
フランツと言う男にそれほど傾倒し、執着している。
正気を失ったようにフランツの名前を叫び続ける領主夫人に薄ら寒さを覚えたカイゼンは、拘束したフランツを連れて部屋を出た。
「フランツ、またの名をマイクと言ったか……」
カイゼンはぽつりと呟き、後ろ手に拘束されたフランツの後ろ姿を見つめる。
(数多くの証言によって、ある程度人相は予想していたが……。本当だったとはな)
貴族夫人たちが口を揃えて言っていたのは「美しい男」だ。
証言通り、中性的な顔立ちをしていると思う。この男の雰囲気はどこか妖しく他者を惑わせる危険な色香を纏っている。
リリアのような年齢の子供がいるとは思えないほど若々しく、年齢すら不詳だ。
カイゼンの呟きが聞こえたのだろう。
肩越しに振り向いたフランツが目を細め、微笑みかけてくる。
「貴方のことは知っていますよ。カイゼン・ヴィハーラ卿でしょう?」
「……この国の人間であれば、俺の名前を聞いたことくらいはあるだろう」
「ええ、ええ。そうですね。この国の英雄ですから」
「……お前と楽しくお喋りをする時間は俺にはない。王都に戻ったら嫌と言うほどお喋りする時間が与えられる。その時に色々お喋りしてくれ」
フランツと言う人物は危険な男だ。
フランツの被害者は貴族夫人が圧倒的に多いが、口が上手いこの男の口車に乗って、貴族や平民男性の被害者も少数ながらいると報告を受けている。
投資話で騙された、金を巻き上げられた、と殆どは金銭絡みだった。
だが、その中でも極小数。貴族夫人のようにフランツ、と言う男に陶酔している被害者も実在していることは事実。
(極刑……もしくは一生幽閉の身になることはこの男も分かっているだろう……。無駄話をするのは危険だな)
逃げ出すために、フランツが死に物狂いで抵抗する可能性もある。
見るからに細身の体で、歩き方を見ても戦闘の訓練を受けているような様子は見えないが「抵抗」が武力に限ったものではないことは十分警戒している。
人を誘惑し、自分に執着させ、崇拝させることに長けた男だ。
口車にも、武力にもやられない、と注意深く観察しているがそれでも「絶対」はない。
フランツはカイゼンを観察し、笑みを深めたあと再び前を向いた。
「そうですね。王都に着いたら色々お話する機会は与えられるでしょうから」
拘束されていると言うのに、フランツはまだまだ余裕を失っていない。
その姿がとても不気味でもある。
そして、進む先にフランツを乗せる馬車が見えてきた。
逃げ出すことが不可能な、堅牢な牢のような馬車。
その馬車の鍵を開けて、カイゼンはフランツを中に入れる。
再びしっかり施錠したところで、後ろからカイゼンの部下であるディガリオがやって来た。
「団長」
「──ああ、来たか。任せていいか?」
「はい。お任せください」
「……領主夫人は?」
「先ほど、ようやく落ち着きました……領主に知らせを送りましたので、そろそろ到着するかと思います」
「わかった。領主への説明は俺が行う。フランツの移送はディガリオに任せるぞ」
「かしこまりました」
ぺこりと頭を下げるディガリオに、カイゼンは馬車の鍵を手渡し、先ほどの館に戻るため道を引き返し始めた。
その様子を、馬車の小さな窓から眺めていたフランツは、小さく鼻歌を口ずさみながら楽しげに微笑んだ。
「──……フランツはまだまだ存在している」
ガタン、と馬車が揺れ、ゆっくり走り出す。
外に出ることは二度と叶わない可能性が高い。
それでもフランツは悲観するでもなく、慌てるでもなくただただ静かに自分に与えられるであろう罰を受け入れるように目を閉じた。
フランツを捕らえることは成功した。
一先ず、目下の目標は達成されたのである。
「……取りあえず、一段落は着いたのか?」
走り去る馬車を見ていたカイゼンは呟いた。
カイゼンの背後から、師団の他の団員から声をかけられる。
「──団長! 領主がやってきました!」
「分かった、今行く……!」
団員に答え、カイゼンは呼ばれた方に向かって歩き出した。
◇◆◇
カイゼン・ヴィハーラが師団長を務める団員達がフランツ医師を捕らえたという噂は瞬く間に広がった。
王都では今回の事件の首謀者が捕まった、と皆が安堵し、事件の後処理は残るもののこれで漸くいつもの日常が戻ってくる、と考えていた。
捕らえたフランツ医師の聞き取り──尋問、も国王の命令の下徐々に始まっている。
出征から戻り、慌ただしい日々を送っていたカイゼンも、やっと落ち着いた日常を取り戻した、ある日。
国王陛下より、改めて祝勝会を開くとの報せがカイゼンやテオルク達に届いた。




